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世界史漫才55:ヴィルヘルム2世編

 苦:今回はドイツ帝国皇帝のヴィルヘルム2世(位1888~1918年)です。
 微:ああ、志村けんと一緒に変なヒゲをつけて、ステッキ持って踊っていた奴だろ?
 苦:それは加藤茶だよ! それにヴィルヘルム2世のは本物のヒゲで”カイゼル髭”の語源です。
 微:ああ、思い出した。調子に乗ってイギリスを怒らせ、ロシアも怒らせて三国協商を実現させ、第1次世界大戦中に革命で亡命していったニイちゃんだな。
 苦:その通りです。ドイツ内ではもっと辛口の「彼の最大の業績はビスマルクを引退させたことだ」という評価もあります。
 微:日本で「森を辞めさせた」なら立派な業績だな。
 苦:実質上は第2代皇帝なのですが、父フリードリヒ3世(位1888.3.9~6.15)が99日 間、皇帝に就任したので、形式的には第3代皇帝です。皇帝になった時は、弱冠29才でした。
 微:大正天皇以上に影の薄い2代目だな。筒覗きのような伝説はないのか?
 苦:皇帝フリードリヒ3世は非常に優秀で英語とフランス語に堪能なだけでなく、歴史学・地理学・物理学・宗教学に詳しかったそうです。
 微:今の日本の天皇みたいだな。オクスフォード大にも留学してたりして。
 苦:また軍人としても有能で、1866年の普墺戦争のサドヴァの戦い、1871年の普仏戦争のセダンの戦いでも活躍し、プロイセンに勝利をもたらせています。
 微:その時、詔書を丸めて作った望遠鏡で戦況を分析していたんだろ?
 苦:それは日本の2代目だろ! 国民は自由主義的で有能な皇太子に期待を寄せていましたが、ヴィルヘルム1世は譲位しようとせず、フリードリヒは皇太子のまま老いました。
 微:それは日本の天皇家というかイギリス王室を批判しているのか?
 苦:1888年に即位した時は既に56歳、しかも健康は前年に患った喉頭癌に蝕まれていました。
 微:日本の近未来のような。その上、娘まで男を見る目がなかったりして。
 苦:しかもドイツ医学界の勢力争いによって適切な治療を受けることもできなかったのです。
 微:お互いに譲らず千日手だったら、笑うに笑えん。
 苦:さて、フリードリヒ3世はヴィクトリア女王の長女ヴィクトリアと1858年に結婚しています。二人の第一子として生まれたのがヴィルヘルム2世です。少年期のヴィルヘルム2世の性格は自己中心的で移り気という、アイドル歌手によくある、周囲には迷惑な性格だったそうです。
 微:ヴィクトリア女王の孫って、トンデモが多いな。ロシアのニコライ2世にしてもそうだし。
 苦:まあ、日本にも吉田茂の孫や岸信介の孫がいますから負けてません。ヴィルヘルム2世の時代は、文化的には世紀末ヨーロッパ、自然科学ではドイツ科学の躍進期に当たり、進取の気性と保守性とが混在した過渡期ですが、彼の性格も時代とシンクロしていたようです。
 微:碇シンジとは違ったんだな。
 苦:エヴァはもういいです。彼は道徳的・芸術的には祖母ヴィクトリア女王のように保守的で、自然主義文学を「排水溝文学」と呼んで否定しています。
微:それって『泥の川』『道頓堀川』、つまり追手門学院大学にケンカを売ってるんだな。
 苦:宮本輝の方が後だよ!! 革新的な技術革新には関心を示し、カイザー=ヴィルヘルム協会を設立して将来有望な自然科学者を援助しました。しかし自らは自動車や船に乗ることを恐れていたそうです。
 微:だったら、2度も船酔いしながらモロッコに軍艦で行くな!
 苦:ちなみにこの研究所の青写真は「影の文部大臣」アルトホーフが描いたもので、現在はマックス=プランク研究所となっています。さて、3ヶ月皇帝の父フリードリヒ3世を継いで6月15日にドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世は社会主義者鎮圧法の存廃をめぐってビスマルクと対立します。
 微:老人と若造の対立だな。しかし、帝政国家では皇帝には逆らえない。
 苦:1890年にビスマルクが引退しますが、対立の本当の理由は、ヴィルヘルム2世は「老いた水先案内人に代わって私がドイツという新しい船の当直将校になった」と述べたように、3B政策とパン=ゲルマン主義に代表される帝国主義的膨張政策の是非でした。
 微:後知恵だけど、植民地現地の人間に無慈悲に応対できるイギリス・中国・ロシア人しか帝国主義は無理だって。心が鬼畜になれないと無理。
 苦:さり気に安保理常任理事国3つディスるなよな。まず、1896年にトランスヴァール共和国首相クリューガーに激励電報を送り、イギリスを牽制しました。1898年には海軍次官ティルピッツに命じて海軍増強を加速する「艦隊法」を制定し、イギリスとドイツの関係は悪化の一途をたどります。
 微:漢検対英検では漢検の負けだな。
 苦:無意味な誤変換はいいです。さらに従兄弟のロシア皇帝ニコライ2世に「余は大西洋提督とならん。貴殿は太平洋提督となられよ」と囁き、日露戦争(1904~05)の原因を作りました。
 微:ニコライ2世も二度も利用されたことに気づけよ。そんなんだから津田三蔵に斬られるんだよ。
 苦:日露戦争後、欧米で黄禍論(イエロー・ペリル)が高まります。ヴィルヘルム2世も提唱者の一人でしたが、彼の場合はその対象は中国でした。
 微:だったら、三国干渉するな! 中国分割をしろ!
 苦:まあ、誇大妄想で、支離滅裂で、矛盾した人格の持ち主ですから、としか言いようないですね。
 微:これが消えたお笑いコンビ”ざ・たっち”ならわかるんだけどな。そう考えると、ベルリンとバグダードで”幽体離脱”したかったからバグダード鉄道を通そうとしたと、彼の世界政策を矛盾無く説明できる。
 苦:どんな世界政策だよ! しかし日本には並々ならぬ関心を持っており、陸軍大演習の際で大使館付き日本軍人に「日露戦争の日本軍の戦法を採用した」と説明したり、ベルリン散歩中に、出くわした日本人留学生に声をかけて激励したことも伝わっています。
 微:その日本人に「うぜーし、キモイんだよ、このオッサン! 変な髭生やしやがって!」と拒否られて、三国干渉を決意したんだよな。
 苦:話を作るな!
 微:ちなみにその日本人は外交官時代の加藤高明だそうです。
 苦:歴史を捏造するな! たしかに第1次世界大戦でドイツに宣戦したり袁世凱に二十一ヶ条要求を出した外相は加藤高明だけどな。話は少し戻りますが、ヴィルヘルム2世1905年にはモロッコのタンジールに大艦隊を連れて現れ、1911年にもモロッコのアガディールに艦隊を派遣してモロッコの領土保全と門戸開放を訴えて、フランスの権益を侵そうとしました。
 微:この時にMr.オクレみたいに情けない声で「こんにちわー」って挨拶してたら、力が抜けた状態で両国は率直な話し合いができて、関係も改善されただろうになあ。
 苦:逆にバカにされます。列強との対立は予想に反して第一次世界大戦を引き起こし、さらに予想に反して長期化します。ヴィルヘルム2世はオーストリアとの同盟重視の立場から世論を参戦に導きました。
 微:いや、本当は東欧とロシアが欲しかったんだろ。後の展開が示すように。
 苦:やる気満々でしたが、軍司令権は制限され、末期にはヒンデンブルクとルーデンドルフに政治的実権も失っていました。でも指揮していたらニコライ2世と同じ批判を浴びたことは間違いありません。
 微:ヒンデンブルクに奪われるって、どんだけ無能なんだ・・・。
 苦:1918年のキール軍港の水兵反乱はドイツ革命に発展し、11月9日、宰相バーデンはヴィルヘルム2世の了解なく一方的に皇帝の退位を発表しました。それしか革命を阻止できなかったんです。
 微:読売グループの人事かよ。
 苦:ヴィルヘルム2世はオランダに亡命します。ホーエンツォレルン家によるドイツ支配は終わり、元皇帝は王家の財産を何両もの貨車に満載してドイツを去りました。
 微:略して「満鉄」だな。どうせならバグダード鉄道にすればオチがついたのに。あ、未完成か。
 苦:略さなくていいよ! ヴィルヘルム2世は、亡命後はユトレヒト州ドールンの小さな城館で少数の旧臣を従え、自分の境遇を罵りながら余生を過ごしました。彼は常に復位の希望を抱き、戦後もドイツの保守派や右翼に対して一定の政治的影響力を保っていました。
 微:お前はタクシンか!
 苦:ナチスにも好意を寄せており、ドイツ本国に留まっていた第四皇子アウグストをナチスに入党させています。また1931年にはヘルマン・ゲーリングがオランダを訪れてヴィルヘルム2世に面会しましたが、ヒトラーが反君主主義者だと知ると、ナチス支援も消極的になっていきました。
 微:今頃気づくな!
 苦:その一方で1940年5月、オランダがナチス・ドイツ軍に占領されそうになった際には、イギリスのチャーチルからヴィルヘルム2世に対してイギリスへの亡命の勧めがあったにもかかわらず、これを拒絶してオランダに残り、ドイツ軍の保護を受けています。
 微:ドイツへのお迎えが来ると思ったのか!
 苦:さらに同年、かつてドイツ皇帝だった自分が成し遂げることができなかったパリ陥落をヒトラーのドイツ軍が達成したのを見ると、ヒトラーに対して祝電を打ちました。また、ナチスを出迎えようとしたが、冷たく無視されたと言われています。
 微:「別に~」と沢尻に言われて切れたそうです。
 苦:薬物タレントと同じにするな。1941年6月4日、ヴィルヘルム2世はドールンで死去しました。ドイツ国内における葬儀は禁止され、ナチスは皇族や以前から近しかった将校だけに埋葬に参列することを許しました。
 微:警察が墓を暴いて遺体を検視し、「国軍は無関係」と発表したそうです。
 苦:それはミャンマー!! 彼の墓碑には「我を賞賛することなかれ、賞賛を要せぬゆえ。我に栄誉を与うるなかれ、栄誉を求めぬゆえ。我を裁くことなかれ、我裁かれたるがゆえ」と刻まれています。
 微:辞世の句なんだろ、自分で考えた。麻原彰晃の墓碑にも使えそうだな。ただし、賞賛を国会議員の地位に、栄誉をメロンに替えると完璧だな。「我に国会議員の地位を与うるなかれ。我にメロンを与うるなかれ。我を裁くことなかれ」でどうだ?
 苦:オレに訊くな!! オレは尊師でもグルでもフューラーでもねえよ!(ペシッ!)

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