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世界史漫才63:蔣介石編

 苦:今回は蒋介石です。中華民国の軍人にして国家指導者で、1943年のカイロ会談では国民政府主席として参加、1945年のポツダム宣言ではスターリンのダミーとして名前だけが使用されました。
 微:名義貸しは、詐欺やトラブルの元だぞ、おい。
 苦:気安すぎんだよ、お前! 蒋介石は第二次世界大戦勝利後は中華民国総統となりますが、1949年に毛沢東の中国共産党に敗れて台湾に逃亡します。
 微:国というか政党ごと逃亡したんだよな。
 苦:それでも1975年に死去するまでずっと「反攻大陸」をあきらめませんでした。
 微:失ったのが大陸ではなく女性だったら、絶対ストーカーになるタイプだな。
 苦:出た、変な譬え! 大陸の選挙区で選出されて台湾に逃亡してきた国民党議員らは「大陸奪還までは改選できない」という名目で永世議員となりましたから、中国国民党全体が迷惑な団体でした。
 微:それで日本の国会議員のかなりの人数が熱心にテレビの小松左京の『日本沈没』を観ていたんだな、心の中で「オレの選挙区、沈没しろ!」って叫びながら。みんな『復活の日』は思い出したが。
 苦:勝手な妄想するな! なお、日本では蒋介石で通っていますが、台湾では蒋中正で通っています。台湾にある中正紀念堂、中正国際空港、国立中正大学はいずれも蒋介石の名前を取ったものです。現在でも200元紙幣には彼の肖像が使用されています。
 微:金日成大学とか、個人名が大学に付く国って、要するに独裁国家だろ? トルコ共和国も近いところがあるけど。
 苦:実際その通りで、1949年12月に台湾に国民党ごと移転してから国民党独裁政治を敷き、1950年に総統に就任してから自作自演の総統選挙で5回当選するなどして、1975年に死去するまで中華民国大総統の地位に居座った人です。
 微:30年以上同じことをやったスハルトやムバラクには負けているな。
 苦:はい、同じように「開発独裁」「アメリカ傀儡政権」としてものすごく印象が悪かったです。また、同時期の韓国も李承晩とか朴正熙などアメリカべったりの独裁政治家が続き、とても民主国家とは言えない状況にありました。
 微:「クーデタで大統領が殺されて政権交代する国よりはいいだろ」と開き直ったそうです。
 苦:またデタラメを。毛沢東の中国革命が崇められていた頃は、どうしようもない強権的保守政治家と低く扱われていました。というのも当時の日本の社会主義陣営では、遅れていると侮っていた中国共産党が日本より先に社会主義革命に成功したことに衝撃を受け、日本国内の権威主義的なもの、封建遺制的なものを探し出すことに学問の世界も必死でした。「産業革命をアジアで最初に実現したのに、なぜ政治での社会主義革命を阻止あるいは遅らせている要因は何だ?」という問題意識です。
 微:それは、中国や帝政ロシアほど貧しくなかった、人の命が安くなかった、ってだけだろ? 労働者でも失うものができたら社会民主主義化するか、保守体制との妥協に走るよ。
 苦:まあ、その通りでレーニンたちが一番期待したドイツの社会主義革命は社会民主主義路線に食われましたしね。その伝で行くと、日本の労働者のプロレタリア化はすごい勢いで進んでるんで、21世紀後半には社会主義革命、ただし、20世紀の戯画ではない形であるかもしれません。
 微:そして革命国家の独裁者に維新の会のアホが連なるかもな。
 苦:そんなわけねえよ! さっき北朝鮮の金日成大学の名が出ましたが、実際のところ昔の台湾は北朝鮮と五十歩百歩でした。戒厳令時代には、蒋介石は中華民国の指導者、中国4000年の道徳の体現者として尊敬の対象とされました。彼の銅像が中華民国のあちこちに建立されました。
 微:お前は二宮金次郎か!
 苦:また偉そうにつっこむ。金次郎さんは、地元の名士が小学生に勉学に励み世のために尽くすよう、自費で寄付したことから始まったもの。税金では作られていませんが、蒋介石銅像は税金です。
 微:しかし「中国4000年の道徳の体現者」とは大きく出たな。
 苦:さらに台湾の学校には孫文と蒋介石の肖像画が必ず並べて飾られていたんです。
 微:金日成・正日親子か!
 苦:まさに昔の台湾は北朝鮮と五十歩百歩だったんです。しかも1947年の二・二八事件で台湾人を虐殺し、戒厳令を敷き、白色テロによる支配を行ったため、「アメリカは、日本に原爆を落とし、台湾に蒋介石を落とした」として、特台湾生まれの人の間には根強い拒否反応を持つ人が多いのも事実です。
 微:金日成も満州で抗日ゲリラ部隊を指揮していて、それをソ連が落とした、いや送り込んだんだよな。いやあ、大国からのプレゼントには気をつけないといけんなあ。
 苦:ちなみに二・二八事件とは、1945年に中華民国が国民党の役人・軍人を送って台湾の日本軍を武装解除しようとしたんだけど、国民党関係者の強姦・強盗・殺人事件が絶えず、本省人との緊張が高まっていました。そんな中1947年2月27日に闇タバコを売っていた女性が役人に暴行され、それがきっかけになって起きた暴動事件です。以後、1967年まで台湾には戒厳令が敷かれました。
 微:これを今の台湾の教科書では「華寇」って呼んでいるんだよな。倭寇も本拠は福建省だったし。
 苦:教科書に載るにはあと100年かかるかな。あとまあ、余りの国民党の腐敗にアメリカが援助を打ち切ったことが毛沢東に敗れる原因だったくらいですから、そりゃ幹部の酷さは筋金入りです。
 微:ここで姉歯建築士を国民党に送っていたら、もっとスムーズに行ったのにな、チャンス逃したな。
 苦:それは筋金じゃなくて鉄筋だろ! 姉歯建築士は実は四川省の小学校設計で送られていたという未確認怪情報があります。しかも蒋介石は、生前から息子の蒋経国への中華民国の支配権の世襲を準備し、実現します。世襲は、共和国の権力委譲としては不適切な形です。
 微:ツッコミがボケるな。しかし、この権力委譲が金日成に決断させたのかもしれんな。でも両国の運命はどこで狂った、いや分かれたんだ? 息子の出来不出来の差か?
 苦:それもありますが、それは北朝鮮だけでなく、日本でも同じ問題です。一番はバックについている国の差でしょう。それと北朝鮮の場合は、朝鮮戦争の被害に加えてこの15年間のノドン、テポドンの開発と核兵器開発に国力を浪費したことが大きいでしょう。
 微:話は変わるけど、ノドンで日本語に直すと「労働」なんだろ。なんかヘルメットかぶったオッサンらがミサイル抱えて突っ込んでくるイメージが湧いちゃって、笑えるぞ。
 苦:話を戻します。しかし、後継者の蒋経国は、最後まで「反攻大陸」を望んでいた父親とは全く別の道を歩みました。
 微:遅れてきた反抗期だったんだな。「自分の人生くらい自分で決めるぞ!」って。
 苦:キミとは違います。確かに蒋経国は複数の特務機関や秘密警察を使って過酷な支配を続ける一方で、「私も台湾人だ」と発言し、台湾の経済復興政策・民主化政策・本省人登用政策など進めました。
 微:どこで東ドイツやソ連のようなあくどい方法を勉強したんだ?
 苦:また若い頃、人質同然でモスクワのスターリンの元へ送られていましたから、計画経済はお手の物でした。彼の時代に台湾の富は台湾のために使われるようになったのです。ついでに言うと朴正煕も日本留学経験があり、共産党との関係が指摘されています。計画経済は高度成長と親和性があるのです。
 微:ユダヤ教とキリスト教、細木数子と宜保愛子、真奈と佳奈、ツチ族とフツ族みたいなものか。
 苦:微妙な譬えはいいよ! 台湾独立運動への弾圧は苛斂誅求を極め、台湾独立派からの評判は芳しくないんですが、台湾人の李登輝を副総統に据え、台湾民主化、選挙による・民意に基づいた政権交代へのへの道筋をつくったのは紛れもなく蒋経国なのです。
 微:なるほど、そう考えると『じゃりんこチエ』のテツとチエちゃんだな、親の不始末を子が処理。
 苦:さて時間が前後しますが、日本との関係は個人レベルでも深いものがあります。蒋介石は日本の東京振武学校へ留学して軍事学を学んでいます。それが彼の政治家への道を拓きました。陳独秀、魯迅、周恩来など明治から昭和にかけて、中国近代化を担った若者たちは日本に留学したのです。
 微:今の日本に来るのはオタクばかりだけどな。でもある意味世界最先端かもしれん。
 苦:”満蒙快オタク団”ってか? また辛亥革命の後、日本で亡命生活を送っていた頃には犬養毅、右翼の大物頭山満らに庇護されるなど、日本通でもありました。実際、第二次世界大戦後に焦点になっていた天皇制の扱いについてのフランクリン=ローズヴェルトからの質問にも答え、天皇制存続と昭和天皇を訴追すべきでないことをに書簡で何度も訴えてもいます。
 微:そうしないと朝貢してくる東夷の君主がいなくなるもんな。
 苦:いつの時代だよ! 戦勝国となり、日本への報復を求める世論が沸き立つ中、蒋介石は「以徳報怨」、つまり徳を以って怨みを報ずと称して日本兵の中国大陸からの復員に最大限の便を図りました。これこそまさに中華帝国の論理で、彼の絶頂期だったでしょう。やはり中国には帝国の論理があります。
 微:日本には『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲!』しかないもんな。
 苦:無視します。逆に日本に一定の愛着と信頼を持っていたことが1928年の満州某重大事件以後の関東軍・日本軍の動きを放置してしまうことにつながったと言えます。また1927年の上海クーデタ以降、毛沢東や周恩来と顔を合わせるのも嫌だったでしょうね。蒋介石は、ソ連の支援で1925年に設立された黄埔軍官学校校長で、副校長が周恩来、政治教育担当面接委員が毛沢東でした。
 微:メチャクチャ濃い学校だな。それで、満州事変も国際連盟に丸投げしたんだな。
 苦:きちんと手続きを踏んだ提訴です。1935年には英米の援助で通貨統一も実現し、別に駄目な政治家ではありません。でも共産党との提携は拒み続けたのです。
 微:それで1936年の西安事件か。部下に拉致されるわ、監禁されるわじゃあ、傷ついただろうね。
 苦:その言い方だと、商工ローンみたいだろが! そして運命の1937年、日中全面戦争です。
 微:心の傷が癒えない時に南京が陥落したんで「自分を見つめ直してきます」って書き置き残して重慶に引き籠もった、いや撤退したんだな。
 苦:長期戦に備え、かつ日本軍の補給線を伸びきらせるための戦略だってば。
 微:四川省の蒋介石を毛沢東が「いつまでも引きこもってんじゃねえぞ! コラ!」って挑発して。
 苦:それじゃビートたけしだよ。
 微:それで、その時冗談で「ボクは旅に、東に向かって旅に出ます。探さないでください。」って書き置きを残したら、本当に台湾に行ったきりになっちゃったわけか。
 苦:勝手に書き置きを書いたり、話を作るんじゃねえよ!(バシッ!)

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