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AI共作断念小説『ある建築家との対話』

どうしてもAIと親和性がとれずに完成に至った小説となりました。
おそらくその理由は、この作品にノンフィクションの要素が多く含まれていたからだと思っています。

以下投稿する作品「ある建築家との対話」が、建築を志す方々のどこかに引っかかりを受けるものであれば、それはこの物語が私の中にあるひとつの真実であることを表していることにほかなりません。

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 ぼくは敬愛していた建築家との再会を、彼の設計した自邸で果たした。それは彼が自身の設計事務所をたたんで5年経過してからのことだった。

 訪れた住宅は、穏やかで静かな時間が流れていた。
「私は自分の居場所に静けさのみを求めて手を動かしました。住宅はもともと閉鎖的な空間であったほうがいい。それが私の考えであり、その答えがあなたと今ながめているこの中庭です。施主本人の本質的な願望は内向きであることが多い。それが愛着につながると思ったんです」
 建築家は窓のサッシに手をかけながらぼくに話した。窓はガラスが大きく見えるよう、枠自体が薄くつくられている。細かな意匠への配慮が、住宅内部と中庭との関係をより親密にしていた。

 建築家は薄くなった頭をかきながら、「さあ、奥へどうぞ」という仕草をしながらリビングのほうに進んでいった。リビングは吹き抜け上部の高窓から光が採りこまれている。光は白い壁面によって一旦受け止められ、そこから反射する弱い光が部屋を照らしていた。

 ぼくはリビングに隣接した客室へと通された。客室は椅子がしつらえた洋間であったが、床の間が設置されていた。ぼくは椅子の座後ろが大きく開けてあるのに目がいった。建築家は、
「椅子のある客間は、着物をよく着ていた家内とその友人が座りやすいようにしてあるんです。特に家内は足が悪くて膝を折ることができなかったものですから」
と説明した。椅子に腰掛けると、座った目線が床の間の高さと同じになった。

「一度お会いしたことがあるようですね。妻から聞きました」
建築家は椅子にゆっくりと座ると、落ち着いた口調でぼくに尋ねた。
「はい、十年以上前だと思います。先生の講演会で質問をしたことがあるだけですので、それがお会いしたといえるかどうか」
「そうでしたか。それは私のほうこそ失念して」
「いえ。またお会いできてうれしいです。しかもおすまいまで拝見できるなんて」
建築家は小さく頷きながらぼくを見つめた。ぼくはその視線に照れくささを感じ、住宅空間をながめるふりをしながら目をそらし、彼から発せられる次なる言葉を待った。

「すみません。失礼なお話ですが、そのとき、あなたはどんな質問をされたのか教えてくださいませんか」
建築家は言った。
「はい、『先生は、今までのお仕事でこれはうまくいったという手ごたえを感じた瞬間と、反対に、これは思うようにはならなかったという瞬間はありましたか』という質問をしました」
建築家は目を細めた。
「そうでしたか。なかなかこたえにくい質問をされたんですね」
「すみません」
「いえ、いいんです。それで私はそのときのあなたにどんな回答をしましたか?」
「はい。うまくいったという手ごたえを感じた瞬間については、たしか先生は笑いながら、『今度の作品が最高傑作です。そういつも思って仕事をしていますね』とおっしゃっていました。そして、うまくいかなかった瞬間については、『もう十年ほど仕事をしてから思い起こしてみたいなあ』とおっしゃっていました」
建築家はくくくと小さく笑った。
「そうでしたか。ありがとうございます。十年後、あなたはこうしてその回答をもらいにきたのですね」
「そうなのかもしれません」
「ははは。でも、今になって思い起こすといろいろありました。それは精力的にやってきたこの設計という仕事を、今ではなつかしく思っているからなのかもしれません」
建築家はそう言ったあと中庭をみつめながら黙っていた。そして彼は照明の光に手をあてながら口を開いた。

「手が動くっていうのはすばらしいね」
ぼくは頷いた。
「そこに生まれる線のひとつひとつに意図があるのだと思うと、愛おしいですね」
ぼくの相槌のような返答に、建築家は微笑んだ。
「うん。私が設計の初期段階でスケッチを描くときは、ひとつの線を重ね続けながら、かたちをつくります。その中から、自分の意図と手先の意図、さらに施主の意図、いや要望か、それらを見極めて設計図の線を起こしています。描かれる線のなかから、私の場合は選ぶという作業をしていることになるのかな。私の師匠もそうしていたんです。私は彼の描く線の重なりから、本質的なひとつの線を常に探していました。その行為は彼に対する敬意だったのです」
ぼくは頷いた。

 建築家の目線はまた中庭のほうへ向いた。ぼくも中庭のほうを見て、光の落ちる場所をながめた。
「人をもっと育てるべきだったかな。」
 建築家は小さく息を吐いた。
「私は仕事をしていたとき、人を信じきれていませんでした。私の描いた線を、スタッフが図面にして、作り手がかたちにする。でも、私はそれすらあまり信用できていなかったのだと思います。自分自身が描いたスケッチをすべて自分で捉えようとしすぎていました。そんな関係で生まれた建築たちは精微で美しくはありましたが、それだけであったような気がします」
 彼は机をコツコツとたたいた。
「でも私はそんなことおかまいなしに、精微で洗練した仕事を求めてこれまでやってきました。そこに私の仕事のすべてがあると思ったんです。できないことに対しては、その理由をとことん考えた。もちろん作り手や私をサポートしていたスタッフにもそれを求めた。そこで出た答えは、やはり私の言葉でしかなかったし、それに皆従った。私の追及する洗練というものを求めてね。でも建築作品は完成してしまうと、私のものではなく、施主のものであったり、それを使う人たちすべてのものになってしまいます。私の意図とは異なる使い方をしていても、それは何もいえない。私は、竣工後に撮影した写真だけを手にもっているだけになる。そしてあと図面だ。私にとって建築は、最終的には紙の上に残ったものが美しければいい。そう思っていたのかもしれない。とても後悔しています。でもそれが夢中になれた理由なのかもしれない」
と建築家は言ったあと、「でもなあ」という言葉とともに息を吐いた。

 ぼくは建築家の奥さんがもってきてくれた紅茶を一口飲み、建築家の目をまっすぐ見て言った。
「私はそつなくこなせるだけの人間でした。だから、ひとつある目的に到達すると、もう全てを網羅したような気でいました。建築設計に関してもそうです。だから私が描くスケッチは決め打ちで描かれた一本の線でした。そして私は気づいたら、自分で描いた線を一切捉えようとしないで、ただ人のアイデアをトレースしていました」
建築家は、ぼくの言葉に大きく頷いた後、やさしく答えた。
「基本、人が真似から入ることはあなたも承知していると思います。ときに、同じ線を引いたとしても、それはその人自身が手で描いた線ではありませんか。」
「しかしながら、今、手が動くというのは、手そのものではなく、パソコンのマウスになってしまっています。紙でなく、パソコンのディスプレイ上にあるものになってしまっています。少なくとも私にとってはそうです。そのなかで、さきほど先生がおっしゃったことがどれほど真実なのか。今の私にはわかりません」
ぼくはせっかく会うことのできた敬愛する建築家に、いったい何の話をしているのだろう。
「三十年、四十年という間に、線が生まれる意味はこんなにも変化が生まれていたのですね」
と建築家は言った。その言葉はぼくの話を徐々に受け入れようする努力に聞こえた。
「でもこの時代でなければ、私はこの職業を続けてきていたかどうか」
「では、あなたと私はそれぞれの時代に迎えられて今があるわけですね」
建築家は笑いながら言った。ぼくも彼にあわせて笑った。

 それからぼくは建築家の自邸をじっくり見せてもらった。彼の設計したすばらしい住まいを前に、ぼくは全体の統一性や形式を優先した建築を学生時代に好んで学んでしまったものだな、とあらためて思い、それを後悔した。今もそれがぼくの体のどこかに染みついてしまっていて、その秩序からはずれた建築を捉えることに躊躇している自分がいたのだ。そうではないんだよ、と、この建築は優しくぼくに語りかけた。


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