10000時間の法則とピーターの法則と立身出世

まずはhajimeさんの記事の紹介をば。

10000時間の法則が指す意味は記事の解釈でいいとして、ピーターの法則を付け加えるとより現実的ではないかと思う。
人が出世するのは、能力があるから、とする。能力が通用するかぎり、出世するとして、あるランクに来たら、無能と判断される限界がある。
誰もがいずれは無能になるまで出世するものだ、というのがピーターの法則です。

成長するのにコスパを考えると、10000時間をかけるべき人と、かけても成長が途中で止まる人がいます。
例えば、納豆を食べるときに、とても美味しい納豆を食べたいとする。混ぜるコストをどれくらい払いますか? という質問とよく似ている。

だいたい、50回程度までは、確実に混ぜるだけ、美味しくなります。それは確実です。なので、誰でも50回は混ぜるべき、とは言えます。
それ以上のコスト、1分程度は混ぜてもいいよ、と言う人は110回くらい混ぜるのがベストでしょう。美味しくなる割合は多少落ちますが、まだ美味しくなる余地はあります。
しかし、納豆にこだわりがない人は、早く食べたいものです。費やす労力と耐える時間を鑑みて、コスパの良い塩梅だけ、混ぜると良いでしょう。
その回数は、それぞれ自由に混ぜる回数を選べばいいと思います。そこはトレードオフになります。

もし、限界までおいしい納豆を食べたいとこだわるとしたら、400回まで混ぜるのが最適解でしょう。5分を費やし混ぜると、そこで伸びしろが限界になり、おいしさは頭打ちになります。

努力には頭打ちになる限度がある、ということです。人間がビジネスをする上では、10000時間を費やすと、その才能の成長限界に達するのではないか? というのが10000時間の法則の正体ではないか? と自分なら推測します。

さて、才能には個人差があります。

ミステリー作家の森博嗣さんの書籍をいろいろと読んで見ると、だいたいのミステリー小説のトリックは小説の3分の1ほど読めば分かるそうです。ミステリー小説を書ける人は、初めから、トリックを見破れる才能があると推測できます。種を見破れるから、自分でトリックを作れると言うわけです。

マジシャンのナポレオンズさんのインタビューで、今まで見抜けなかったトリックは3つくらいしかない、という話しも読んだことがあります。
才能がある・なしは、最初の段階である程度決まっているのかもしれません。

もちろん、知的労働だけではなく、楽器の演奏だったりスポーツの才能だったり、才能のジャンルはいろいろとあるわけです。どれに才能があるかは、やってみないと分からないのが大半でしょう。
やってみたら、周りの人よりうまくできる、むしろ周りがなぜできないか分からないくらい、突出してうまい才能があるかもしれません。

そういう才能に、10000時間を費やすと結果がついてくるものでしょう。つまりは、10000時間で成功する、というのは生存バイアスでもあるのでしょう。

私の父は50年くらいは囲碁に没頭してますが、プロではありません。上には上がいます。ピーターの法則です。

問題をあげるとすれば、誰でもなんでもチャレンジできるわけではない、ということでしょう。いくら潜在的な才能があっても、環境が許さなかったら成就しない、ということです。

というわけで、自分としては誰でもなんでもチャレンジできる世の中になったらいいなぁ、とか思ってるわけです。

これは、努力を否定しているのではなく、努力できるのは、環境のおかげだ、という当たり前のことを言っているだけです。

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