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小説のようなエトセトラ

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せっかく生きているので、妄想でもなんでも書き留めておこうではないですか。
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2019年6月の記事一覧

寝室の砂漠

寝室の砂漠

アルミ製のサッシには大きな磨り硝子がはまっていてそこから流れ込んだ朝日の予感が寝室に充満している。
光と呼ぶにはまだ幼いその予感は彼女の頬に柔らかな陰影を浮かび上がらせている。
砂漠の夜明けがその斜面を滑らかに描き出すように、そして細やかな砂の粒子によってその丘が形づくられるように、その寝顔には広大さと繊細さが同居している。
その世界の均衡をなるべく崩さないように抜け出し、リビングの椅子に座る。

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甘柑

甘柑

彼女が壁に投げつけたオレンジはそろそろ焼却炉で灰になったころだろうか。厳密に言うと、オレンジは僕に投げつけられたのだが顔の横を掠めて壁に当たった。壁にはビートルズのリボルバーのジャケットが描かれたポスターが貼ってあった。真っ白な余白に飛んだオレンジの汁はまだあの時のままオレンジ色をしているのに、壁の方のシミはどんどんと色を変えまるで僕の心のようにどす黒く変わっていった。元の色に戻ることがないところ

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川端康成の雪国を読んで思いついたお話。

葉子という名前が古臭くて好きではなかった。
響きもさることながら、漢字なんて葉っぱの葉である。
物心ついたとき父にどうしてこんな名前をつけたのかと問い詰めた。
小説家志望で実際は郵便局員だった父は
「言葉にも葉書にも葉という字が入っているから。」
と答えた。父は寡黙で、そして嘘をつかない人だった。
自分の名前に「希望」とか「期待」とかそういうメッセージが込められていないということを知って幼い日の葉

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