見出し画像

「痛い痛いの人生成れど、♪ケッセ♬ラッセラ♬いつも心に太陽を!!そして青空にVサイン!!」・・・Manshingusoui by PCJAF



自己紹介を兼ねて、

わが人生に悔いは無し!!
と、言いたいですが
実のところは
わが人生は杭だらけ・・・
されども
虚心坦懐きわみ

なぜ?辞めた・・・真相は・・・?

「会社員を辞めて独立した私のストーリー」という大見出しですが、
実は、突然の病に襲われ、緊急手術の果てに、会社に出勤すると、
私の席、出勤簿がなくなっていた、というのが真相です。

も少し、詳しく、学生時代から・・・!?ちと、長くなりますが、お許しを!!

私は、「何としてもこの大学に行きたい!」という願望があり、
いみじくも滑り止めで受かった大学に通うために下宿、
当時の下宿は1畳1000円が相場で3畳一間、
一階の便所横の
(決してトイレなどという代物ではありませんでしたのであえてこの名を)
窓の無い3畳一間が、我が学生生活のスタートとなりました。

オリエンテーションが済み、学び舎に通うものの、
なんだかモヤモヤ、ざわざわの毎日で、
やはり再受験を目指そうと決意しました。

決意したものの、元来、親父は大学に行くこと自体に賛成ではなく、
ましてや下宿生活、生活費含め費用は全額は負担してもらえず、
月1万円をなんとか交渉?してゲットンしたものの、
下宿代電気代等の諸費用を支払うと残金は5千ちょっと

これで、一か月やらねば・・・
強い決意で部屋の電気はほぼほぼ付けず、
60wの裸電球のランプ(電気ですよ)と
光熱元は300W の碍子仕様のニクロム線むき出しの電気コンロのみ
(おそらく今はないかもしれませんし、想像つかないかもしれませんね)

ググると出てきました、ハイカラなデザインです。
当時のはもちょっとごっつい感じだったような気が・・・
三重の友から差し入れがあって、このコンロでスルメやサンマを焼いての酒盛りもしやした
(画像は価格COMから引用抜粋)


余談ながら、当時の物価は・・・

余談ながら、当時(1969・70年~1972・3年頃)の物価ですが
肝心の食事は、学食のA定食が¥100
バイト代が入ったときは、ちょっと贅沢に、近所のめし屋さんに行き、
サバの塩焼¥70、中飯¥70(大飯は¥100)、みそ汁
(みそ汁なんてもの飲んだことはないので記憶にござりませんが、30円か40円はしたものと)

たばこ(わかば、エコーは40円?
ハイライト80円?その後100円に
セブンスター100円?
当然、エコーか、わかば、でしたが
そんなにウマいタバコでもなく
仕方なしに吸ってた、というのが真実のような
唇にたばこ葉が付いて、ぺっぺ、ぺっぺ、ってやっとりました
ハイライトを吸った時のとんでもなくうまかったこと
セブンスターを吸った時のプチブルになったような気にさせてくれたことと
大枚はたいて缶ピーを買って吸ったときには
えげつない程に興奮しやしたことを覚えています

嫌な奴の素敵な彼女が吸っていたチェリー、ほのかに甘い香りがするんだとか、言っとりました
おしゃれであこがれたキャビン、小粋な小HO、なんだかやっちゃいました気にさせるロンピー、プチブル気分にさせてくれた7スター、キャスターは吸わなんだんでわかりません
缶ピは両切りタバコで、これがうまく吸えればいっちょまえ☼だのクラッカー、なんて、
大枚はたかねば買えなかった極悪非道なパチンカー気分にさせてくれる缶ピ、
この一缶をもってパッチンへ、負けても健さん気分で、肩で風切って外へ出る、
とたちまち夜風が身に染みてくらー!
(画像は上から、AUCFAN、amazon、Xから引用抜粋)


バイトは、蕎麦屋(正確には、うどん・丼物の更科)の出前
(まかない飯付きなので)を、18歳の時は時給¥200でした

大鉢(一番大きな運ぶためのお盆です。
そうそう、ひなびた旅館で食事時に仲居さんが大きなお盆で鉢類を運んでくださいますが、あの時の大きな盆です)
に丼ぶりを10杯乗せることができますが、
これを2段重ねにして、
新地、歓楽街のキャバレーやら雀荘やらに、ちゃりで、
このチャリも、氷やさんやお米屋さんが乗ってた「ダンチャリ」?

「わっかるかなーわっかんねーだろなー(このギャグ?誰のやったかな?)」
わかりました!➡(松鶴家千とせ師匠、ツービートの師匠(おっしょさん)です

サドル下からハンドルにかけてバーがついてますので、これをまたがんことには乗れません
足が地面に付くのが大原則ですが
万一、背が低いとか、足が短いとか、何某なにがしらの事情があって、地面に足がつかないとなると、
まさに「なるとのうずしお」ならぬ、曲乗り、曲芸・・・
かく言う私も背は高くなく低く、華奢な身体なのですが
なんか、足は、つま先が、かろうじて地面についちょりました

で、大鉢2段重ねが、何故にかつげた???か、って
柔剣道で鍛えた?
というのは眉唾まゆつばものでして
身体が小さいために
占め技、関節技の格好の餌食にされておりまして
それが、晩年に肩やら首にとんでもない影響、後遺症になろうとは
当時は、「まさかの坂」でした

これまた、余談ですが
背負い投げ、一本背負い、体落とし、が得意でして
たまに内また、背負いからの小内刈り、
なんて連続技(姑息な技使いやがって:当時はそんな評価でした)
なんてこともあったり

イラストはせいろ蕎麦、お盆は大鉢
この大鉢にどんぶりを10杯それぞれに木蓋をしてさらに大鉢2段重ねで
この自転車はちと違いますね
もっとごっつい、荷台がごっつくって、コメ俵を難なく乗せるんですもの
感じはこんなんでした、しかし、なかなかええイラストですなー
(画像は、河原文翠の日々是好日より引用抜粋させていただきました)


まずは自転車にまたいで乗って、
他店員さんか親方から丼ぶり入りの大鉢を渡され、
走り出すのが至難の業で、ちょっとでもバランスが崩れると、
うどんのおつゆがこぼれて
大鉢はつゆびたしに・・・

急発進急ブレーキなんぞをかけようものなら
大鉢はニュウートン様曰くの如くに従って
地球とぶつかり稽古宜しく衝突大破破損全損ごちゃぐちゃに・・・
止まって降りるのが、これまた至難の技でして
肩も腰も脚もパンパンに張って
なんやかんやいいながらも
結局は卒業年の春前までやりました

事故ってしまった、その結末は・・・

が、事故は一度だけ、やられました
大きな交差点の横断歩道を
大鉢2段重ねで、うどんやら丼ぶりを20杯かついて横断中、
もちろん青信号にもかかわらず、自動車にぶつけられました

交差点のほぼド真ん中に鉢とうどん、めし、具材やらが、ところ狭しと、
まさにごちゃぐちゃぐちゃ、です
どなたかが、警察に電話をしてくれたのでしょうが

私は、動転し、頭ン中は真っ白ケッケ
出前に行かなあかんのに、そこらへんに電話なんてないですし、「店に戻らなあかん!」しか頭になく、
その運転手さんに「店に一緒に来てください!」「店に一緒に来てもらわな困ります!」の二言だけをしゃべり続け、一緒に店に

弁償してもらわな、かなわんし、
もう一回同じもんをつくってもらわにゃいけんし、
親方には絶対怒られるにきまってるし、

「あーーあっーー無常!--嗚呼!無常!」
なんせ、時給200円、きつねうどんが一杯100円やったと思いますが
弁償してもらわんことには・・・の一心
自転車は、さすが「ダンチャリ」でしたんで、びくとも?してなかったように記憶してますが
ただ、あとの掃除が大変で、もう嫌
警察官の交通整理でちびちびと、瀬戸物と生ものとを分別?しながら
ようやるわー!、
ほんまえらかった!

まず、初めての大きな病気に

【閑話休題】
本日はここまでにします
ちょっと疲れましたので
ごめんなさい



宜しければサポートお願いします。いただきましたサポートは残余人生の生きる糧として、また若い人、青少年のサポートに利用させていただきたいと思っております。引き続きよろしくお願いいたします。