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「ミツバチと私」感想 - 自分もアイデンティティの一部に蓋をしたままなのかも

自分にとっては、かなり刺さる内容でした。パンフレットも買った。
配信ではなく、劇場で集中して観るのがおすすめです。言葉以外の感情表現がたくさんあるし、バスクのきれいな自然にも没入できるため。
特にこの映画をおすすめしたい人は、孤独感を誰も言えず分かってもらえないまま、どこかでアイデンティティの一部に蓋をしたまま大人になったような人かも。


以下、ネタバレ配慮無し感想です。半分は泣き言かも。



ドキュメンタリータッチで生活を切り取ったような画作りの中、”普通”を押し付ける会話が自然と登場するわけですが、マイノリティーの子供がその一つ一つに自尊心を削られていく様子がリアルに感じた。音楽やセリフが説明してくれないので、人によってはもしかしたら分かりづらいかもしれないけど、その静かな悲しみの積み重ねで、めちゃめちゃくらった。
周囲の人が自分に向けてくれている愛情は分かっているし、でもその人たちの何気ない言葉が刃になり自分の心は砕けていて、自分が"普通"を上手にできないことによって、大人同士のケンカも発生し、我慢して隠して生きていくか、いっそ死ぬか、そういう気持ちになってしまう。
観る前は、同性愛者の自分が、性別違和の子供と家族を描くこの映画に当事者性を感じるとは全く予想していなかったのに、あの終盤のアイロンがけのシーンでふと死の話になり、本当になにげない調子で主人公から「死んで、生まれ変わったら女の子なれるかな」という言葉が発せられたときは、まるで自分を見ているのと思うくらい苦しくなった。今思い出しても涙が出る。
この辺りのリアリティや重さは、監督がこの映画を撮るきっかけとなった言っている、バスクで16歳のトランスジェンダーが自ら命を絶ったという痛ましいニュースや、その後取材したという複数の性別違和当事者とその家族の実像から繋がっているのかもしれない。

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この映画の予告編には「温かく思いやりに溢れている」というコピーが登場する。監督のインタビューの日本語訳にも「この映画は光に満ちていて繊細で優しく感動的です」とある。
私はそんなハートフルな気持ちでは見られなかった。
被害者ぶった言い方にしたくないんだけど、それはそっち側だから言えることだと思っちゃった。この映画見れて良かったと思っているし、監督には敬意しかない(次回作もあるなら絶対見たい)けど、それでもそう思う。
いかに自分が「男女の恋愛をし、結婚し、出産し、男性を立てる、女の正しい生き方」をできない自分に劣等感を抱いたまま生きてきてしまったのかを痛感されられて、映画を観終わったあとも苦しい。今もマジョリティーが発する何気ないでも確実に自分が傷ついてしまう言葉に出会ってしまうのではにないかと怯えている。尚且つ、なるべく悟られず、周囲から浮かないようにしたいと気を付けながら生活している。どうにか克服したい。どうしたら良いんだろう。

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主人公は、信仰とは何かを祖母祖父から教わり、目に見ない自分の中の大切なものを大切にして良いと知ったと思うんですが、その後自分自身と向き合って、女性の名前で呼ばれたいと人に言えて、本当に偉かった。なんて切実な願いなんだろう。勇気もある。偉い。
それを受けて、少しずつ変わっていったのは家族のほうで、男女どちらもでいいとか、認めてあげよう、みたいな教科書的なセリフじゃなく、主人公個人の気持ちを理解しよう、尊重しようという、思いが、名前を呼ぶ声から感じた。確かに、この辺りからは優しかった。
ラストは大団円でもない、悲劇でもない、でも好奇心を持ったようなまなざしで外を眺めている主人公の姿が希望的に見えました。

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