神学および信仰の先鋭化と人間疎外

 前回わたしは、柔軟な信仰の必要性を強調した折に、それとは正反対の運動、すなわち神学および信仰の先鋭化の問題に簡単に触れた。今回はその先鋭化の危険性を詳しく取り上げたいと思う。

■1:神学の先鋭化と人間疎外

 心理学に関しては素人ながら、わたしは愛や信頼と怖れとは少なくとも同じ対象に関する感情としては本来同居しえないのではないかと考えている。ましてや、それが同じその対象との関係の在り方を意味する言葉として、愛と怖れが同じような次元で使われた場合はなおさらだろう。

 そうは言っても、わたしは神や神的な存在に対する畏怖や畏敬の念を必ずしも否定するものではない。しかしながら、ある対象に対する怖れの感覚が特に過剰な場合、その対象に対する愛や信頼の念は自然と薄くなるはずだし、そもそもこの両者はもともと両立が難しい観念なのだ。
 ある対象に対して愛や信頼と同時に怖れの念を同時に持たせようとするアプローチは、それだから、かえってその対象に対する分裂した感情を呼び起こし、その関係を病的な歪んだものにする危険性が高いと考えられる。それに、とかく人間は愛や信頼よりも怖れや敵意の方に親和性を持ちやすいものだから、怖れを強調するあまり、神への信頼の念をかえって「疎外」〔注1-1〕する結果を生むのではないかと思うのだ。

注1-1:この場合は「阻害」の方が表現としては適切かもしれないが、あえてこの表現を用いる。何となれば神との信頼関係から「的外れ=罪」となった状態とは、まさに神との間の「疎外」状況そのものに他ならないからである。その神との疎外が必然的に「人間疎外」を生むのである。そして、その状態でなされる自己愛もまた、疎外された病理的な自己愛すなわちナルシシズムとなる。

 もちろん神に対して独裁者ないし暴君に対するかのような接し方(この場合は「服従」という表現がより適切であろう)を薦める人は昔からそこそこ存在する。しかしながら、神に対してそのような接し方をする人が真実に神を愛せるとはわたしには到底思えない。ましてや性格的に歪んだ愛や怖れの持ち主が、神に対してだけはこれを正しく愛し畏れることができるとも思えない。そういった次第で、最初から神への怖れを強調するアプローチ(神への接近の試み)は、その主唱者がもともと意図したのでない結果をもたらすだけのようにわたしには思えてならないのである。

■2:先鋭化とその恐るべき結末

 いくらわたしがカルヴィニズムが性に合わないからと言って、神への過剰な怖れがはびこってしまった原因をカルヴァン一人に責任を帰そうなどと考えているわけではない。
 このことについて、ここで「先鋭化」という観点から少し考察してみたい。

(2-1)神学とその先鋭化―特にカルヴィニズムにおける問題として―

 カルヴァンはその主著『キリスト教綱要』において《厳しいおそれに結びついた信仰》〔注2-1-1〕の必要性を強調しているのだが、このような思想はもとよりカルヴァン一人の発想ではない。どのような思想であっても、それはそれ以前からの伝統があって形成されたもので、カルヴァンの神学思想とてその例外とは言えない。たとえばカルヴァンの神学と言えば誰しも「二重予定説」と答える人が大半だろうが、予定の教義そのものは古くはアウグスティヌスにまでさかのぼることができる。またカルヴァンの二重予定説にしても、それは、彼とその反対者との論争の結果として『キリスト教綱要』第三版〔最終版は第五版〕から現われ、発展した思想なのである。

注2-1-1:ヒュー・カー編『カルヴィン キリスト教綱要抄』竹森満佐一訳、新教セミナーブックス3、新教出版社1958年12月初版、1997年8月復刊第2刷、p.8.

 これはカルヴァンの先駆者とされるルターの場合も同様である。
 ルターの場合は、特にエラスムスとの論争書である『奴隷意思論』〔注2-1-2〕において「隠れたる神」の神学が展開された。それを読めばわかることだが、ルターはこの中で後年のカルヴァンの神学につながる思想を展開している。実際この方面におけるルターの思想は、表現こそ多少違うものの、いわゆる「二重予定説」に結実するカルヴァンの思想〔注2-1-3〕をほぼ先取りしているものと言える。カルヴァンと同じく、これも論争の結果、その必要から現われた先鋭化の例としてみることができるだろう〔注2-1-4〕

注2-1-2:『世界の名著』中公バックス、所収、翻訳は全体の五分の一程度の抄訳。
注2-1-3:残念ながら出典を失念してしまったが、カルヴァンの中心的な教説は厳密には「二重予定説」と表現されるよりは「神中心主義」と捉えるべきだとされる。
注2-1-4:もっともルター及びルター派神学の場合、ルターの弟子に当たるメランヒトンがルターの「隠れたる神」の思想をまったく理解できず、そのこともあって、ルター神学の発展は幸か不幸かこの方面では起こらなかった。これには、ユーモアを解し、日常の楽しみも満喫することができたルターのある意味楽天的な性格も多分に与っていたようだ。その結果ルター派の神学は、より神の愛を強調する穏健なものとして、その後継者の手によって発展していったのだと理解することができる。これがルター神学とカルヴィニズムの違いであると言ってよいだろう。

 いささか専門的な議論になるが、一般にカルヴァンの神学と言うと、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論述されているものや、あるいはウェーバーの解説書などで説明されている内容をそのまま踏襲しているものが大半だろう。もっともそれは、厳密に言えばカルヴァンその人の思想というよりは、彼の死後80年ほどして成立したウェストミンスター信仰規準(1647)などにその先鋭化の姿として現われているものである〔注2-1-5〕。実際ウェーバー自身が書いているように〔注2-1-6〕、ウェーバーが描くカルヴァンの神学は、ウェストミンスター信仰規準に鮮明な形で現われた《理念形》としてのカルヴィニズム(厳密に言えば後期カルヴィニズム)である。だからそれは、単なるカルヴァン派の神学とも一線を引いて理解すべきものである〔注2-1-7〕。そのようなわけで、プロテスタント神学における人間(性)否定の立場を直ちにカルヴァン個人に帰結させてよいかとなると、やはり多少の疑問は残ると言わざるをえない。
 大体カルヴァンとて、その神学が彼の死後どのような形で発展することになるか予想しえなかったに違いない。いや、こんなことは誰にも予想できないことである。しかしながら、そのような形で神学を先鋭化させる萌芽がもともとカルヴァンの思想のうちにあったことは事実なので、カルヴァンに一切の責任がなかったかと言えばそれも間違っているとわたしは思うのである。

注2-1-5:ウェストミンスター信仰規準としてまとめられたカルヴィニズムの基本的思想は、予定説の批判者アルミニウスを排斥するためにカルヴァンの死後50年ほど経って行なわれたドルト信仰会議(1619)の議論などをも踏まえて形成された思想である。
注2-1-6:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄改訳、岩波文庫、1989年1月、p.150以下。
注2-1-7:ウェーバー自身の説明によれば、カルヴァンの神学を、その宗教思想としての重要度ではなく、その後の社会=経済面に与えた影響の強さから描き出すためにカルヴァンの「二重予定説」が大きくクローズアップされることになったという。

 なお、それと関連するが、改革派神学者であるジョン・ヘッセリンクが、カルヴィニズムの先鋭化について大変うまい表現を紹介しているので、参考までに以下に引用しておきたい。
 ヘッセリンクは、改革派に対するさまざまな誤解を解く目的でなされた一連の公開講義をまとめた本の中で、《予定説はアウグスチヌスの場合は安全であり、カルヴァンの場合は理解でき、イギリスのピューリタンの場合は煩雑なもので、スコットランド長老派の場合には全く恐ろしいものであった》という言葉を引用し、その上で《オランダのカルヴァン主義者の何人かにも、この最後のコメントに該当する者がいる!》と述べている〔注2-1-8〕。神学思想上の先鋭化(急進化)とは、要するにこういう形で起こるものなのである。

注2-1-7:I・ジョン・ヘッセリンク『改革派とは何か』廣瀬久允訳、教文館、1995年5月、p.73.

 以上いささか議論が詳細にわたったが、ここでわたしが言いたいことは、論敵との論争の結果として「二重予定説」が明確化された過程(プロセス)と同じ運動、すなわち「先鋭化」の運動が、広くキリスト教の発展の歴史の中にも明瞭に現われているということである。

(2-2)先鋭化の特徴的な例―ホロコーストを中心に―

 ここで少し観点を変えよう。
 先鋭化や急進化に関しては、キリスト教とは別の例をあげておくことも理解の助けになるかもしれない。

 過日わたしは映画『ショア』をある図書館で数回に分けて視聴したのだが、その中でホロコースト問題の大家ロバート・ヒルバーグがユダヤ人迫害の歴史を簡単にまとめて秀逸な解説を行なっていた。
 それによると、古代末期、ユダヤ人は「ユダヤ教徒として生きてはならない」と言われた(強制改宗)。次に中世になって、(その延長線として、すなわち、その施策の立場を踏まえた上で)ユダヤ人は「われわれのなかで生きてはいけない」と言われた(ゲットー、隔離政策による排除)。そして20世紀に入って、今度はユダヤ人は「生きてはならない」とダイレクトに命じられることになった(ユダヤ人問題の最終的解決)。これがホロコーストであるというのだ。

 もっとも専門家によっては、ホロコーストをそれ以前のユダヤ人迫害と同列にあつかってはならないとする人もいる。事実この両者には異質な側面があることも事実である。しかしながら、ヒルバーグの簡便な説明が見事にその本質を描き出しているように、そこに連続性があることも決して否定することはできない。何となればユダヤ人迫害の歴史は、ヒルバーグが的確に要約したように、「○○として生きてはならない」という最初の命令が、まだ容認できる範囲の先鋭化の末に、ついにその「○○として」という前提が外さる――この場合は「生きてはならない」という意味として先鋭化される――という形で進んだ。かくて、「○○として生きてはならない」に内在していたその悪魔的な正体がここについに顕わになったのである。

 もちろん迫害は容認できない事実には違いないものの、前世紀のそれと比べれば、古代末期にはそれはまだ穏健なものであった。中世におけるゲットー政策もまた、市中での危険を考えれば、ユダヤ人にとってはそこはまだ安全が保証された場所であった。それが、キリスト教に改宗しようが、ゲットーに隔離されようが、あるいは過去に従軍して武勲を立てていようが(最後のものはドイツの例)、何をしようが、ユダヤ人というだけで排除の対象となったのがホロコーストなのである。

 ちなみにキリスト教に強制的ないし自主的に改宗させられた後も迫害がやまなかった例としては、15世紀のスペインにおけるユダヤ人迫害にその先例がある。レコンキスタ後キリスト教徒に改宗したユダヤ人は、改宗して信仰を共にする兄弟になったにもかかわらず、彼らはマラーノ(スペイン語で豚ないし汚らしい人を意味する侮蔑語)と呼ばれて相変わらず蔑まれ、迫害され続けたのである。

 先鋭化の視点から見るかぎり、キリスト教がローマ帝国の国教となって以降のたび重なるユダヤ教徒迫害の歴史はみなホロコーストの「先例」であったと言ってよいだろう。
 なお、キリスト教がローマ帝国の国教となる前は、ユダヤ人だけでなくキリスト教徒も同じく迫害を受けたが、その迫害は皇帝が代替わりすれば大概は自然と治まる性質のものであった。ところが、地中海世界の公式宗教がキリスト教のみとなり、中世ヨーロッパ世界もまた同じく教会が支配する世界となると事情はかなり違ったものとなる。キリスト教徒とユダヤ人の対立(その暴力的な構造はいつもキリスト教側による一方的なものであった)は固定化し、キリスト教がこの世から消えてなくなりでもしないかぎり、ユダヤ人に対する迫害は終わることなく続くことになった。その過程の行き着く先が「ユダヤ人問題の最終的解決」、すなわちホロコーストだったわけである。

 古代末期において「ユダヤ教徒として生きてはならない」という命令が必然的にもたらす結末を予想しえた人はたぶん誰もいなかったであろう。しかし、「○○として生きてはならない」の最終段階は、必然的に「人間として生きてはならない」にならざるをえない。これをわたしは先鋭化の最たる例だと見ているのである。ユダヤ人迫害の歴史に限らず、先鋭化の動き(ムーブメント)はえてしてこのような形で進むのだ。

■3:先鋭化の何が問題なのか?

 ユダヤ人迫害の問題は、ここではこれ以上云々しない。実際あまり軽々しく論ずべきテーマでもないだろう。しかし、先鋭化や急進化について明確なイメージを描くには最適なテーマだと思ったので、ここであえて取り上げた次第である。神学の先鋭化も時と場合によってはこのような恐ろしい結果を生み出す危険があるとわたしが捉えているということを理解していただければ幸いである。

 ただし、誤解をしないでいただきたいのだが、わたしは先鋭化の動きがすべて間違っていると考えているわけではない。自らの思想や立場をより明確にさせるために、それが有効な効果をもたらすことも事実だからである。しかしながら、論争や異端排斥の結果としてその思想が先鋭化(急進化)した場合は、いろいろと厄介な問題を残すことになる。歴史において迫害や反対者の虐殺などがたびたび起こるのは、ひとえに先鋭化(厳密には急進化――いや、ラディカリズム radicalism と言うよりはエクストリーム extreme と言うべきかも知れない)の結果でもあるのだ。

 くりかえすが、わたしは先鋭化の働きがすべて間違っていると見ているわけではない。その証拠に、たとえば改革派(カルヴァンの流れを汲む教会。長老派とも)の「キリストの言葉によって日々改革される」とする立場は非常に評価できる視点だと最近は捉えるようになった。しかしながら、その改革が悪しき先鋭化として結実した場合は、その結末が《全く恐ろしいもの》(ヘッセリンク)となる。その危険性をわたしたちは決して忘れてはならないのである。
 そして、ユダヤ人迫害の「○○として生きてはならない」が、最終段階でその限定を外され、「人間として生きてはならない」に結実したように、先鋭化(急進化)した末に「人間疎外」、いや「人間排斥」をもたらすような宗教の教えは、やはりそのどこかに何らかの問題を孕んでいたと見るべきだとわたしは思うのだ。
 たとえそれがその宗教が立教の時点(キリスト教で言えばイエスの福音宣教のその時)からもともと孕んでいた問題点でないとすれば、それはどこかでいつの間にか紛れ込んだものであろう〔注3-1〕。そのような逸脱の種を紛れ込ませる要因がもともとその思想になかったかどうかも含め、批判的な反省はわれわれに対していつも神から要求される課題なのだとわたしは考えている。その意味で、われわれは自分たちが信じているそのキリスト教がはたしてほんとうに正しい教えなのか。あるいはほんとうに神の御心にかなった正しいキリスト教なのか。いつも反省を忘れてはならない。わたしたちは、キリスト教に限らず、自分たちが信じるその教えとそれがもたらす結果、すなわち《その実》によって《その木》を知る必要があるのである。キリスト者でないわたしが言うのも変な気がするが、この問題についてわたしはいつもそのように考えている。

注3-1:もっともわたしは、イエスの福音宣教の時点ではそのような逸脱はまだなかったと考えている。しかし、さかのぼれば彼の直接の弟子たちがイエス・キリストの福音を宣教し始めたその時点にまで問題の原因を探ることは可能かもしれない。いくら聖霊による霊的な導きがあったとしても、人間のなすことに完全ということはない。そのことに思いを至す時、問題の芽をこの時代までさかのぼらせて考えることは決して間違った観点ではないのではないかとわたしは思うのだ。

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