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「つくね小隊、応答せよ、」(七)



夏の真夜中。
密林。




這って進む渡邉の耳には、誰かが小声で言い争って、そしてそれを誰かがなだめているような、そんな声が微かに聞こえている。離れた場所なので、何の話をしているのかはわからない。




やがて、声のすぐそばまで近づいてきた。清水や、仲村のいる場所からは、50メートルほど離れているだろうか。人影は見えないが、茂みの向こうで、最低でも三人が話をしている。ふたりが言い争い、そして小声でひとりが仲裁し、なだめているようだ。


外国の言葉のようにも聴こえるし、日本語のようにも聴こえる。敵兵なのか、味方なのかもわからない。

味方だと思って声をかけたら敵だったなんてことは避けたい。日本人だと確定するまでは、こちらからは、話しかけられない。







渡邉が配置されたこの島。

帝国陸軍の新たな飛行場の建設と、その護衛のために沢山の日本兵が輸送艦でやって来た。


しかし、日本軍の動きに気づいた連合国軍は、この島への空襲や艦砲射撃を開始。やがて島へ敵が上陸し、戦闘が始まった。


最初は互角の戦いであったが、日本軍の補給路が絶たれると、徐々に劣勢となり、やがて殆どの小隊が壊滅。日本兵たちはばらばらになった。指揮系統が乱れ、弾薬や、食料もなくなった。そんな中、渡邉が密林をさまよっていると、仲村、清水と出会った。


それから数日間、三人は行動を共にしている。しかし食料は底をつき、先程の米が最後の食料となった。あとは、もぐらを食べたように食料を調達するか、まだ残存しているどこかの隊に合流して食料を分けてもらうしかない。








だから、この茂みの向こうの声の主が日本兵であれば、合流したいという気持ちが渡邉にあった。


日本人であってくれ…渡邉は銃剣を握りしめ、目をつむり、祈っている。







「ちょちょちょっと、やめましょうよ、おふたりとも、ね?わかり、わかりましたから、やめ、ね、やめましょうよ、ね、ほら、き、気づかれちゃいますから」


渡邉の耳に、茂みの向こうでなだめている声が、はっきりと聞こえた。日本人だ。


渡邉は伏せたまま小さく拳を握って歓喜し、大声で声をかけた。


「暗闇のなか、失礼いたしますっ。自分は、大日本帝国陸軍 一等兵 渡邉道雄と申します。敵の猛攻により、所属小隊は壊滅。起死回生のため、転戦して参りました。ご無礼ながら、こちらの姿を見せる前に、そちら様の所属を明らかにしていただきたく存じます」


渡邉は黙って返事を待つ。 














しかし、返事はない。物音ひとつしない。


声がした場所からは、5メートルと離れていない。相手が動けば、確実に足音や草木が揺れる音がするはず。しかし、返事も、足音も、草木が揺れる音もしない。


ましてや、銃を構える気配や、立ち上がるような気配もなかった。この様子だと、相手はこちらをかなり怪しんでいるのかもしれない。


渡邉はもう一度声をかけた。


「自分は、大日本帝国陸軍上等兵 渡邉道雄と申します。敵の猛攻により、転戦して参りました。貴殿方の隊に合流したく存じます」






蛙の鳴き声がして、虫が鳴く。


しかし、肝心の返事はない。 



渡邉は、茂みの隙間から、向こう側を窺った。


誰も見えない。


さっきまで声がしたのに、ずっと前から誰もいなかったかのようなそんな雰囲気だ。







渡邉は、薄気味悪い空気を感じている。確かに、日本語が聞こえたし、こちらが話しかけると話し声はやんだ。だから誰かがいるはずだ。


なのに、返事はなく、人が動く気配がない。



これは薄気味悪い。


渡邉はそばにあった石を遠くへ投げて、相手の注意をそらし、素早く立ち上がり、木に背中を預けた。そして声のした茂みの中を覗き込む。そして足元の石をもう一つ拾い、別の方へ投げた。


普通の兵隊なら、音に反応し、銃口を向けたり、銃弾を装填する音がするはず。しかし、茂みの中ではまったく動きがない。






要するに、だれも、いないのだ。



いや、そ、そんなわけはない。

声が、ちゃんと、聞こえたんだ。







渡邉は、その茂みの中に、石を投げ込んだ。それでも茂みのなかに動きはない。

やはり、そこには誰もいなかった。

渡邉の脇腹を、冷や汗が、じっとりと垂れてゆく。


おいおいおいおい日本から遠く離れたこんな南の島で日本人の幽霊かよ?おいおいおいおい勘弁してくれよおい…


怖くなった渡邉は、ゆっくりと、茂みに分け入る。いないならいないで、いないことをちゃんと確認しないと、今夜は眠れない。






“あ、えっと、その、きょ、今日の天気は、その、は、はれです。明日の、阿波は、その、晴れで、その雨とかはあんまりない、かもしれません、たぶんそうです”




足元から、突然声がした。渡邉は銃剣を声の方へ向ける。




“それで、それよりも、あ、天気は以上です。そ、それで、今年は大相撲春場所が、す、すごいですね、横綱照國、そして小結佐賀ノ花、すごい取組をみせていただけました”





暗闇に目をこらすと、茂みの中に、ラジオが置いてあるのが見えた。ラジオから、声が聞こえてきているのだ。

  




「くそ、なんだよ、ラジオかよ」





渡邉はラジオの前に、へなへなと座り込んだ。学校の校長室に置いてあるような古いラジオだった。木製で、飴色。ツマミがふたつついている。


「なんでこんなとこにラジオがあんだよ…」



“さすが佐賀ノ花、飛燕の出足と言われるだけあって、なんか、小結ながら横綱照國と、えっと、とにかくすごい取組み”





渡邉は訝しげな顔でラジオを見つめる。


「これ、ほんとに公営放送か?喋ってるやつ…めちゃくちゃ下手だな、え、っていうか、電気、どっから来てんだよ…」



渡邉はラジオを持ち上げて、コードを探す。


「あれ、電気線がねえじゃねえか」


渡邉がそう言うと、ラジオから電気線がゆっくり垂れさがってゆく。


「あ、これか。で、どこに繋がってんだよ、これ」


渡邉がそう言うと、電気線の先が、地面に「すちゃっ」と繋がった。


「じ、地面に繋がってるじゃねえかこれ、え?」


渡邉が電気線を引っ張ると、それは地面から、ぴとんっと簡単に外れた。まるで吸盤でくっついていたかのような感触。それでも、電気が切れたはずのラジオは喋り続けている。


“えっとぉ、その、つ、次のお知らせも、その、お、大相撲春場所です。大相撲春場所といえば、照國と、佐賀ノ花の取組がすごいってことは、さっきもお伝えしたかもしれませんが、あとは、”


渡邉は、ラジオをまじまじと見つめた。なんで電気もないのに、放送が出来るんだよ……。帝国陸軍は電気のいらねえ無線を開発したのか?


渡邉は好奇心で、ラジオのつまみをゆっくりと回す。ふつうなら、かちかちりという感触がある。でも、このラジオのつまみは、かちりという感触ではなかった。


ぐにゃり


という感触。まるで、猫の手を指先で握るかのような、そんな柔らかい、獣のような感触だった。




“あとは、今回の取組みでは、照國の緩ん「あ! いや!そ!そこだけは!ご!ご勘弁!」

つまみを回した瞬間、ラジオがの音声ではなく、ラジオそのものが喋った。





渡邉は思わず立ち上がり、ラジオを放り投げる。


そしてラジオが地面に落ちるその瞬間、


ラジオから足のようなものが、


にゅるりんぽん


と出てきた。


茶色い毛の生えた、小さな脚。


そして、その、ラジオは、その、脚で、着地、した。


ラジオが、着地、した。





渡邉は、さらに驚いてラジオを凝視する。あわてて地面の銃剣を握る。


すると、ラジオは、茂みの中へ大慌てで駆けていった。















「おい!遅かったじゃねえか!心配したんだぞ!おい!聴いてんのか!おい!」

渡邉が戻ると、仲村が歩兵銃を握ったまま、渡邉に抗議する。


「おい、どうした渡邉、顔色悪いぞ?どうした?」
ぼーっとしている渡邉を気遣い、清水が声をかける。




渡邉は、ふたりのそばにすとんと座り、

「いや、すまん、あの、たぶん、俺の気のせいだったわ、すまん、おれ、ねるわ」と言って横になる。


清水と仲村は肩をすくめて顔を見合わせ、銃を置き、同じ様に横になった。






しかし、横になった渡邉は、目をつむっていない。まるで幽霊でも見たかのような顔をして、ほんのり震えている。


渡邉の指先には、あの動物の皮膚を触ったような、ふにゃりとした感触が、まだ残っている。

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