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noteの友人を家にお招きすること 

福岡から大阪に引っ越し、そして不安な独り暮らしを始めた。数ヵ月たつと、福岡の実家の、母や父や祖父母から、あれが届いた。

若い頃、地元を離れ、独り暮らししたことがある方であれば、たぶん地元から届いたことがであろう、あれ。

あれには、「年賀状」だとか「お歳暮」だとか「タイムカプセル」のように特定の名詞を持たされてはいない。

だから、たったいま僕があれに、あの箱に、名前をつけてみたいと思う。



ぽくぽくぽくぽくちーんっ




「ふるさと箱っ」



ふるさと箱の外見は、あんまり、おしゃれだとは言えない。包装紙やリボンがついているわけではない。ただのむき出しのダンボール箱。

それを配達の人が両手で抱えて持ってきて、狭い玄関でお互いに箱を支え、その上でサインをする。

そして、部屋の真ん中で、ゆっくりとその箱を開く。

すると中には、米や漬け物や食材や菓子などが、ところ狭しと詰め込まれている。

小さい頃によく食べた菓子や、味噌や米などの食材。そしておなかがすいたときにすぐに食べられるカップ麺や、地元でしか買えない袋麺。

箱の向こうに、地元の風景、家族の顔、子供の頃の思い出が見えた気がして、ひとりの部屋で涙ぐむ。

ふるさと箱に入っているのはモノではなく、想い、そのものだと思った。



最近、そんなふるさと箱に品物をつめていくかのような経験をした。

noteで出会った、シモーヌ・なんてね姉妹が我が家に宿泊に参られたのである。


お迎えの儀式は掃除から始まる。

宿泊してもらう部屋に僕のクローゼットがあるので、クローゼットの中の不用品を処分する。

そしてその勢いで家中の不用品を、阿修羅のごとく処分する。その時の様子を、お嫁は昨日、このように回想した。

「鬼のあんこやったなぁ、あのとき」

カーテンを洗い、埃を払って、窓を拭き、サッシを清める。
フローリングに長年染み付いていた汚れを、時間をかけて擦り落とし、絡まったテレビのコードを解き、拭きながらまっすぐに伸ばして束ねてまとめる。二人が見ることはないであろう本棚や、掃除用具置き場も整理整頓する。

閉めているはずのゴミ箱でも、生ゴミが入っていればかすかに匂いは漂うはずだから、見えない場所こそきれいに!だから冷凍庫の中も整理整頓して掃除をする。もはや精神修行。

そして到着前日。到着の夜の晩ごはんと、翌朝の朝ごはんの材料を仕入れにゆく。野菜を近所の農家さんのところで買って、カブの荷台の木箱にいれる。朝霧の中、カブで自宅へ戻る途中、朝日を浴びながら白菜を収穫する老夫婦が見えた。なんとも神々しい、平和な風景。こういう風景の中で育った野菜が、木箱のなかで揺られている。

客用布団を出し、日に当てておひさまの匂いを吸収させ、アイリスオーヤマ布団乾燥機カラリエを使い、布団の湿気を確実にぶっとばす。ワインのフランベのようにね!

そして、ひのきのチップを置き、部屋を木の香りで満たす。部屋を見渡し、ひとつうなずく。まるで堅実な工場長のようにね!

箱に入れ、安静にさせておいた干し柿を覗く。白い粉をふいた静かな干し柿たちが、ちらちらとこちらを見て、今か今かと出番を待っている。

満貫 富士 四つ溝 蜂屋 それぞれの干し柿を眺める。それぞれに硬さや味や粉のふき具合が全く違う。

よし、ふたりとも、蜂屋柿で、お迎えしよう。シモーヌさんはじゅくじゅくした干し柿が嫌いって言ってたから、硬さの違うものを明日の朝選ぼう。あ、そうだ、どうせなら、お茶を点てよう。蜂屋柿と宇治抹茶で、甘みと苦味とお茶の香りで、意識を混濁させよう。

こういう、まだ相手がその場にいないのに、相手のことを考えて動いている時間って、とっても尊いものだと、そう思った。

ふるさと箱に物をつめてゆく全国の祖父母や両親たちも、あんな気持ちだったのかもしれない。見返りとか対価とか評価とか、そういうものじゃなく、ただひたすらに一方的なエネルギーの方向性。

そしていよいよ翌日、姉妹がやってくるのである。

つづく(まだ姉妹ぜんぜん来てないのに、なんと次回!!最終回!!)

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。