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不可抗力に殺された旅の計画を弔うのだ

先日、ロシアのカムチャツカ半島で、火山の大規模噴火が発生した。

航空機の運航に影響があるとか、いや日本の農業に深刻な打撃のおそれがあるとか様々な憶測が飛び交っている。

一方現地の情報や現地を心配する声が極端に少ない。正直見当たらなかった。

現在のロシア国内の状況を考えても情報は十分に伝達されないだろうし、加えて噴火した「ベズィミアニィ」火山の意味が「名無し」であることからも分かるように、カムチャツカ半島は相当な人口希薄地帯(かつモスクワや渦中のウクライナから遠く離れた極東地域)であるため、情報も人々の興味もないことは仕方がない部分もある。しかし情報や情報の需要がないことは、そこに住む数十万の人々の安全に対する懸念が無いことを意味しない。心配している。


実はカムチャツカに行きたいと思っていた

もともとiPhoneの世界時計とかで目にするペトロパブロフスク=カムチャツキーなどという異様に長い都市名も気に入っていたし、受験時に聞かれた「お前そんな成績悪かったらカムチャッカ短期大学しか行くとこないぞ」なる謎の定型文(極めてローカルなスラングである可能性もある)も引っかかっていたし、とにかく気にはなっていた。

ある日、日本の東西南北それぞれのはじっこについて調べていた時のこと。
日本の最北端はご存知・択捉島*であるが、1875年(樺太・千島交換条約)から太平洋戦争まで**、日本の最北端は千島列島の一番北のはじっこ、阿頼度島(あらいどとう)という島にある最北埼(さいほくざき)という岬であったらしいということが分かる。

*日本が実効支配する最北端は北海道・宗谷岬
**日本国が正式に千島列島の領有権を放棄するのは1951年のサンフランシスコ平和条約

戦前に教育を受けた今のおじいさんおばあさんは、日本の最北端はもちろん択捉島などではなく、そのさらにずっと北の阿頼度島の最北埼ですよと習っていたことになる。


何それ。行ってみたすぎる。


調べれば現在はロシア名アトラソフ島といい、ペトロパブロフスクまで飛行機で飛んで、そこからは船で行けなくもなさそうであるらしい。

現在の日本最北端・択捉島に行きたいなら、ロシアに入国した上、国内便で択捉島に飛ぶことができる。ただし、”ロシア領土として”上陸することになるため、日本政府は国民に対し渡航しないよう要請している。ちなみに択捉島には現在数千人のロシア人が居住し、ロシアの水産系企業の企業城下町の様相を呈しているらしい。

一方、戦前までの最北端・阿頼度島。択捉島と同様にロシアが実効支配しているが、日本は領有権を放棄しているため「帰属未定地である」としており、もちろん渡航自粛要請も出ていない。さらには2005年、時の首相・小泉純一郎が「それらの島はすでに日本が領有権を放棄し、またロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っていないことから、日本政府は異議を唱える立場にはない」と答弁したらしい。

行ける…行けるぞ…どっちみちロシアが実効支配してんねや、今の最北端に行くなと言うなら、戦前の最北端に行かせてくれ…ついでに周りの戦跡も見せてくれ…



ところがここに来てロシアがウクライナに攻め込みやがった。大噴火の影響は甚大なのか僅少なのかさっぱり分からないが、とにかく当面行けそうもない。

やがて行けたとして、それは俺が行きたかったペトロパブロフスクと言えるだろうか。

行けるメはまだ残っていると信じたいが、このままロシアが死ぬまで行けない場所になってしまったら悔しくて死にきれないのであまり深く考えないようにしている。

ただ幸い、そもそもカムチャツカに関しては、時間的にも資金的にももう少し余裕ができてから行こうと思っていたので具体的な計画は何も詰めていなかった。


行ったことのない所に行くことが人生唯一の目的である

…と思うからこそ、行きたかった場所に行けなくなることが一番辛い。
カムチャツカ以上にきちんと育てていた旅程が、これまでに何度もポシャってきた。この瞬間が何より辛い。

その原因は、火山の噴火のような完全な天災かもしれないし、戦争のような完全な人災かもしれないし、コロナ禍-コロナ対策禍のような複合的なものかもしれない。
いずれにせよ、人が亡くなっていたりするために、「旅行に行けなくなった」という我儘かつ瑣末な不満は表明されづらい傾向にあると思う。不謹慎とか言われるからね。


それでええんか。


我儘なことには変わりないが、急な不可抗力、特に殺し合いとか土地のぶんどり合いとかのせいで、俺のささやかな、しかし人生唯一の楽しみを奪われるのはとても苦しい、悔しい、頭に来ると言う権利ぐらいはあるはずで、抑圧されるべきではない。なくない?それもあかんか?

世界に数多ある災いと自分の感情とは、因果があるだけで、本質的に全く別問題ではないか。

こちらの苦しみ悲しみ悔しさ怒りの方が世界全体のそれと比べて相対的にしょうもないからといって、その感情の表明を控えなければいけない理由にはならない。表明する。


・2016年の世界一周中 ボリビア・首都ラパス
世界一標高の高い首都で、富士山より高いところにある。スリバチ状の地形で、都心の方が標高が低く、周縁部に近づくにつれ標高が高くなり治安は悪化する。
もう絶対に外せない場所だったにもかかわらず、記録的な渇水により非常事態宣言が発出されており、行くことが叶わなかった。ボリビアには入国を果たしたのに、ウユニ塩湖を堪能したまでで進路を已む無く西へ変え、チリのアタカマ砂漠の観光都市でまた観光してペルーのマチュピチュに向かうという、ちょっと旅行好きなキラキラ女子大生の春休みみたいな旅程になってしまった。いや世界最大の塩湖はダテではなかったが。

・同じく世界一周中 トルコ・イスタンブール
これも外せないと思っていたが、直前に空港でテロ→国内で軍部によるクーデターが発生したため入国を断念。
人災に次ぐ人災。これは空港テロ発生の時点で行くかどうか吟味にエネルギーを使ったあげく、行くと決断していた。その直後にクーデターが来て全部おじゃんになったのでめちゃくちゃ頭に来た。

・世界をもう一周する旅程
サラリーマンとして労働していた時分、会社の1週間休みをゴールデンウィークにぶつけることに成功し、夢の2週間休みを錬成。
ひとりでコーカサス諸国を回ったのち、ヨーロッパ経由でカナダ西部エドモントンにて友人2人と合流、再結成したRage Against the Machineのライブを鑑賞し、仕事で溜めに溜め込んでいた怒りを発散し帰国、2週間という短期間で世界をもう1周するという計画が具体的に進行していた。RATMについてはアリーナ立見のチケットも押さえていた。

これが2020年2月初頭ごろのこと。

直後にあのウイルスが世界中を席巻。説明不要の巨大不可抗力によって夢の計画は完膚なきまでに殺されてしまった。

・同計画内 ナゴルノ=カラバフ
コーカサスといってもジョージアで観光を楽しむ!おわり!みたいなヌルい考えではもちろん無かった。
一般に知られるコーカサス三国(アゼルバイジャン・アルメニア・ジョージア)の他に、いくらかの独立を主張する地域が存在し、そのうちの一つ:ナゴルノ=カラバフは未承認国家の中では最も安全に行ける地域の一つとして旅行者界隈では有名だった。個人的にはコーカサスの目玉であり、万全の準備を整えて行くつもりだった。


我々がウイルスに足止めを食っている間に、紛争始めやがった。

紛争が起こりかねないから領土係争地であり未承認国家なんであって、仕方がないといえばないんだが、逆に言えばこういうところこそ早くに行っておかないと、二度とは行けなくなってしまう。これは一番歯痒い。悔しい。コロナとコロナ社会をこれほど恨んだことはない。もちろんそれ以上に殺し合いも恨んだが。

・同計画内 RATM
Rage Against the Machineのツアーは延期され、延期後の日程は私を含め皆の都合がつかず、チケットは払い戻した。(そもそもが日本のGWの中日だったからこそ奇跡的にみんな行ける日程だったのである)
ちなみに彼らの再結成当時は米大統領選前で、最初に公演が発表された5ヶ所はいずれもアメリカ-メキシコ国境線に極めて近い都市ばかりであり、訴えたいメッセージが明確に存在した。(まだピンと来ない方は、当時当該地域に壁を造ろうとしていた男がいたことを思い出してほしい)

大統領選は終わり、おそらく彼らがマシと思う方の候補が当選した。
加えてロシアのウクライナ侵攻に関して、声明は特に確認できていない。個人的な予想では、彼らは我々が期待するメッセージを発信することはないと思っている。

あと、私自身が仕事を辞めてしまった。今の私はもはや、当時のように労働の怒りを全身に纏って生きてはいない。(ただしたまにこういった記事を書くなどしている)

つまりはあの高まりきった気持ちのまま彼らの演奏を聴くことはもう、二度とは叶わない。


我々は絶えず旅程を殺されている

ナゴルノ=カラバフにしたって、遠い将来その土地を踏むこともあるかもしれないが、それはこの私が2020年に行きたかったナゴルノ=カラバフではない。
支配者とか制度がはっきり変わってしまうこともあるだろうが、そうでなくともそこに住む人々や、街の風景や、食事や空気や、何もかも少しずつ変わっていってしまう。

そういう意味では、ラパスやイスタンブールは多分当面国家体は変わらないし、しかも比較的簡単に行けそうではあるけれども、行ったとて、行けなかったときの苦しみ怒り悔しさが消えるわけでは決してない。
設備点検で登れなかった展望台の夜景はいつかまた登る夜と絶対に同じではないし、たとえいま草津温泉の人混みの中に立っても3年前の草津温泉の賑わいは二度とは戻らないし、先週台風で行き損なった千葉に今週行けたとしても、台風への恨みは忘れなくてよい。

上に表明した亡き旅程だって、ハデなものを選び取っただけで、本当はたくさんの細かい旅程が殺されてきたし、たぶん今もどこかで殺されている。国内の方が天災が多いような気がするが。朝起きたら台風でJR北上線うごいてませーん、とかあったなあ。

旅程。
旅程というと大袈裟だが、「あの街に行ってみたいなー」「この国、行けるなら行くよねー」などと思える場所は誰しもあり、そのうちいくらかは今日も戦争やら紛争やら噴火やらウイルスやらによって、行けない場所にされている。

そう意識するとせざるとに関わらず、我々の行き得た場所を二度と行き得なくしている不可抗力に対し、文句の一つぐらい言う権利はある。文句を言おうがどうせ何も変わらんから不可抗力なのである。自粛しなくてよろしい。

旅程、旅先、すなわち私の生きる唯一の目的を奪う全ての不可抗力へ
くたばれ







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