愛の信仰者と超人

どうも皆さん。

今回は今までの記事を見返して自分なりに修正と新しい解釈を加えた形で例の領域のヒエラルキーを説明しようと思います。

まだまだ全然未完成の概念なので、これからも変化、進化、発展させていこうと思いますので、読まれた方の中でご意見ご感想がございましたら是非コメントにて教えてください。

ぼくは現段階では、愛の信仰者に過ぎません。これは宗教レベルの話となります。信じるか信じないかの世界だからです。これを超越するには、科学の進歩が必要ですが、結構真実への追及は諦められている節を感じますね。人間は思考する機械であり、科学は生活に便利な道具を作り出すモノという風にほぼ確定しています。

まあ、これが真実という可能性も否めませんね。

しかし人間は自由に考えて自由に答えを出す権利を有しているので、ぼくは勝手に、人間は思考する機械ではなく、心と意識によってクオリアを発生させ、それが解釈、概念を生み、解釈や概念によって自然を分析、加工し、情報を得て、科学、学問、思想等を創り出した、と考えさせて貰います。

愛がすべてなのです。これがぼくの信条であり、愛は自然の相対性を超越したものだと信仰しています。

よって、こうなります。

領域のヒエラルキー

ぼくの現在の拙い脳味噌では、この表現が限界です。が、必ず進歩させて、納得していただけるようになりたいと思います。

現段階の人間の思考では、概念や解釈がイデアや自我を否定する程度の事しか出来ず、絶対の領域を打ち破るには、イデア(共通認識)と自我を破壊して愛、クオリア、心、意識、自由意思を否定する程度のことしかできませんが、それで充分で、これらを否定すれば絶対の領域は破壊され、すべては相対であると説明することが可能です。

つまり、心、意識、自由意思、愛、クオリアなんて無かったよ、すべて脳が機械的にプログラムしただけのモノだよ、と言い切ればそれで相対の領域の勝利です。実際、そう解釈することは充分可能です。何故なら、真実の領域なんてのは所詮個人の感覚に過ぎません、証明も出来ず、反証可能性が無いモノだから矛盾している、と指摘すればそれで終わりです。

実際幸福感というモノは、単に神経伝達の分泌成分(セロトニンとかドーパミンとかノルアドレナリンとか)が脳内で麻薬のような作用を引き起こして発生する気分に過ぎませんからね。

絶望感や倦怠感も、これら分泌成分のバランスが崩れたり、分泌量が多過ぎたり少なすぎたりするだけのことですからね。感情もそれだけで説明が付きます。心や意識、クオリアや愛などと言ったものは、それらの説明に必要ありません。

よって、もしクオリアみたいなものを科学的に完全に解明できたとした場合には、こうなります。


超人の誕生

ニーチェ哲学あるいは、汎神論と言ったものの正しさが証明された場合の図となります。こうなればヒトは領域をすべて超越し、思想などというモノは形骸化することでしょう。もはや回答は得られたわけです。自分の思うがままに世界を生きることが出来ます。どんな破天荒な行為も否定されません。すべては相対で説明することが出来ます。

これでもすべてを支配することが可能になりますので、問題が無いと言えば問題が無いですね。

あれ、なんかイデアと自我を破壊した時と同じ結果になっちゃってますね。

まあでもこれはぼくの知能がその程度の認識しかできない低レベルなモノに過ぎないからかもしれません。もう少し勉強しようと思います。

以上、愛の信仰者の思想である領域のヒエラルキーと、それを破壊することが可能な超人による相対への絶対視についてのお話でした。

・・・・・・相対への絶対視って何だよ(哲学)

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