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のび太くんのススメ

野比のび太


勉強もスポーツも苦手なのび太くんは、一見すると出来の悪い劣等生だ。

腕っぷしではジャイアンに、経済力ではスネ夫に、学力では出来杉に大きく劣る。
おまけに根性なしのやる気なし。意中のしずかちゃんにはそっぽを向かれることもしばしば。

そんなのび太くん。大人になれば相応の未来が待ち受けている。
結婚相手はジャイ子だ。ゆくゆくはジャイアン似の子供がたくさん生まれる。そして立ち上げた会社は火事になり、多額の借金を背負うことに。

ドラえもんが未来からやってこなければ、悲惨な未来を自力で変えることはできなかっただろう。

しかし侮ることなかれ。のび太くんは何の取り柄もない劣等生などではない。

それどころかのび太くんには他の誰にもない、彼にしかない取り柄がある。

そしてそれこそが、私たち現代人が持ち得ないものだ。

あなたの両手は空いてますか?


私たち現代人は大忙しだ。
仕事や勉強に追われ、恋に遊びに時間を費やし、日々を忙殺されている。

「とにかく持て」

私たちは常にこの声に晒されている。

夢を持て、学を持て、金を待て、友達を持て、パートナーを持て、趣味を持て、繋がりを持て、あれもこれも、とにかく持てるだけ持て。

テレビやインターネット、SNSには絶え間なく情報が流されている。
流行りの食べ物、最先端のファッション、遊び、映像、音楽。山ほどの情報は、とにかく私達にモノを持たせたくて仕方がないようだ。

なになに、もうこれ以上はさすがに持てない?
大丈夫ですよ。安心してください。何かと忙しいあなたのために、1日10分のスキマ時間であなたに夢と希望を持たせます!

これ以上持ちきれないくらいのモノを両手に持たせた挙句、更にそのスキマにモノを詰め込んでこようとする。そしてそれを私たちは喜んでしまう。
はたしてこれを幸せだとか、充実だと感じていいものだろうか。私には甚だ疑問である。

私たちは声に晒され、急かされて、両手にモノを積み上げていく。そうすると声は賞賛してくれる。自分が承認される気がする。それが心地よい。

やがて「1日24時間じゃ足りない」とまで感じるようになったら、この病はだいぶ進行してしまっているだろう。
あなたの両手には、目の前が見えなくなるほどモノが積載されている。だが両手を軽くさせる選択肢はない。むしろもっと持ちたいと考えている。スキマにも何かを詰め込んでほしいと考えている。

これはまずい。
何か打つ手はないものだろうか…。
のびのびと生きるための、何か指標はないものだろうか…。
のびのびと…のび…のび?

あ!のび太くんがいる!

何もしないをする


家でぐうたら過ごすのび太くん。
口を挟んでくるドラえもんに彼はこう言った。

「何もしないをしているのさ」

そう、冒頭で述べた「のび太くんの取り柄」とは、まさにこのことだ。
のび太くんは両手に何も持とうとはしない。

ジャイアンは力を持ち、スネ夫は金を持ち、出来杉は学を持っている。
彼らの片手、あるいは両手は既に塞がれている。そしてそれを強みにする反面、どこか驕っているようにも見える。

だがのび太くんは違う。
先生に怒られ、ママに口うるさく言われ、ドラえもんに嫌味を言われても、のび太くんは何も持とうとはしない。

のび太くんはあやとりが得意だ。射撃の腕も天才的だ。秘密道具の使い方も、時に類い稀なるセンスを見せる。
しかしのび太くんは、それでも持とうとはしない。

秘密道具はひとつずつ使う。
もしもBOXの破壊的な秘密に味をしめ、10話に渡って使い続けることはしない。
「タイム風呂敷と人生やり直し機、どちらが有益か検証してみた」などと動画を上げるようなこともしない。
秘密道具を使いこなせば、あらゆる欲望は意のままのはずだ。力も、金も、学も、女も、全て自分のモノにできる。なのにのび太くんときたら、道具は必要な時にひとつ借りて、終われば返しておしまいだ。

さて、私たち「持ちたがり」に、そんなことができるだろうか?
間違いなく無理だ。そしてそれができてしまうのび太くんの両手は、あるときに爆発的なエネルギーを生み出すことができる。

全力のび太くん

「帰ってきたドラえもん」の中で、のび太くんはある決意をする。

それは、ドラえもんが安心して帰れるように、これからは自分ひとりで問題を解決しようとするものだった。

いつものようにふっかけてくるジャイアンに、のび太くんは1人で立ち向かう。
もちろんのび太くんはボコボコにやられてしまう。しかし何発殴られても、何度も何度も立ち向かった。ゾンビのようにしつこいのび太くんに根負けし、ついにジャイアンは逃げ出してしまう。
この時のび太くんははじめて自分の力でジャイアンに勝つことができた。

のび太くんは何も持たない。 
だからこそ大切なものを見つけた時に、全てのエネルギーをそのためだけに使うことができる。
それは本来であれば絶対に敵わないはずの、圧倒的な力を持つジャイアンさえ打ち負かすほどの、爆発的なエネルギーだ。

たとえば険しい崖の上に大切なものがあれば、両手の空いているのび太くんなら全力でそれを取りにいける。

でも両手の空いていない人にはそれができない。
どちらにチャンスがあるかは明白だ。

目の前が見えないくらいモノが積み上がっている人は、大切なものがあっても気づかずに素通りしてしまうだろう。気づいたとしても、拾うことができない。
そして最後には「自分はもうこんなにたくさん持っている。あれは諦めよう。それが大人ってものだ」とやけに諦観して、本当に大切なものを諦めてしまう。

なるほど。道理で私たちにはいつまで経ってもドラえもんが現れないはずだ。

とかくのび太くんを侮りがちな私たちだが、実は彼の生き様こそが道標なのかもしれない。

のび太くんのススメ

とはいえのび太くんなんて所詮はフィクション。都合良くできているだけだと感じる人もいることだろう。

しかし何を隠そう、私自身のび太くんを実践してきた1人なのだ。

私は何もしないをしてきた。
おかげで私の最終学歴は中卒だ。小学校5年から6年の間はほとんど登校していない。
友達も作らずに生きてきた。おかげで友達の数は現在までほぼ0人だ。親だっていないようなものだった。

夢もなければ目標もない。やる気も根性もない。
学も、繋がりも持たずに15歳から10年近くを生きてきた。

私にはドラえもんが現れることはなかったが、そのかわり両手は空いていた。

そしてのび太くんが命がけでジャイアンに立ち向かったのと同じように、私の空の両手も爆発的なエネルギーを生み出すこととなる。

あるとき私は、倍率10倍近い資格試験に合格すべく、猛勉強をはじめることにした。
1年で合格できなければ死ぬと決めたことで、のび太くんにも負けない覚悟ができた。本当に死ぬつもりだったかはわからないが、あの時は確かにそう思っていた。

当時ドライバーをしていた私は、車の中でサボりながら勉強をしたが、仕事をしながらの勉強に限界を感じた私は、直ちに仕事を辞め、当時住んでいたマンションから家賃半分ほどのボロアパートに越した。

専門学校に通わなかったのは、金がなかったのもそうだが、カリキュラムに無駄を感じたからだ。
勉強するだけなら、予備校のDVD通学で十分だった。おかげで金と時間は10分の1以下に抑えられ、その分を勉強する時間に充てることができた。

仕事は深夜の飲食店でアルバイトをして、そこで盗み食いをすることで食費を切り詰めた。
それ以外の3食は、基本的には立ち食い蕎麦屋。当時かけそばが一杯100円で食えた。少し奮発すれば+50円で大盛りだ。
週に1回はビッグマックをひとつ食べて贅沢をしたが、もちろん店内で数時間は勉強をした。

週3-5日ほど入っていたバイトも、次第に減らしていった。金は試験が終わるまで、最低限生きていられるだけあればそれでよかった。
誤算だったのは試験が全て終わった時、私の貯金残高は2000円だった。その後のことを全く考えていなかったため、私は急いでバイトを入れて、大家さんに家賃を待ってもらうようお願いした。

勉強をはじめてから1年後、私は試験に合格していた。
試験に合格できたのは、私の頭が良かったからでも、効率のいい勉強のコツを獲得したからでもない。受験者の殆どは私より優秀だったはずだ。

ただ私の両手は誰よりも空いていた。

のび太くんがジャイアンという力に打ち勝ったのと同じように、私も学に打ち勝ったというわけだ。

もしも私が家族と仲良しで、毎月のように旅行にいっていたら?
もし私に友達が100人いて、毎週の飲み会に必ず顔を出していたら?
両手の塞がった状態では、絶対に私は受かっていなかったことだろう。

おかげで私は仕事でじゅうぶんな報酬を得るようになり、何不自由のない暮らしを送ることができている。

別に自慢がしたかったわけではない。
むしろ自分が金を持つことで、声に晒されるようになってしまったことを憂いている。
「とにかく持て」と急かしてくるあの声だ。
いつの間にか私の両手は塞がっていたのかもしれない。
初心に帰るため、自分を戒めるためののび太くんのススメだ。

少しずつ両手を軽くしていこうと思う。





 



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