迷ったら団体戦

本当はシンプルなはずなのに、ひとりでに迷路に迷い込み物事を複雑にしてしまう。そんなことってありませんか?

たとえば私の会社は体育会系ということもあり、コロナ前はしょっちゅう飲み会がありました。私はそういったゴリゴリのノリは苦手で、かつ酒も嫌いで人と集まることに疲れを感じてしまうタイプです。
しかし引っ込み思案で人との摩擦を嫌う事なかれ主義の私は、会社の飲み会をなかなか断ることができず、毎回のように参加していました。そして飲み会に参加したことを後悔して、深い溜息をつくこともしばしば。
そして毎年のように起こる事件。ある人は傷害事件を起こし、ある人は電車内で痴漢をはたらき捕まる。私はこのようなことが繰り返し誘発される「飲酒」という行為にげんなりしていました。

酒は悪です。これは私の人生の明確な答えです。
酒は精神作用物質に分類され、これは覚醒剤と同じカテゴリです。覚醒剤が人を幸せにしないのと同様に、酒が人を幸せにするとは思えません。

ある人はこう言うかもしれません。

「酒で不幸になるのは一部の人間だけで、大半の人は適量で楽しくやっている」

なるほど事実かもしれません。
それならば覚醒剤も同様で、不幸になるのは一部の人間だけで、大半の人は適量で楽しくやっているのでしょう。

私にとって酒と覚醒剤は同義です。飲み会とは打ち会、飲みニケーションとはすなわち打ちニケーションです。人が好きでやっていることなら否定はしませんが、私自身はそれを不健康で危険な集会だと認識しているため、参加したくはありません。だのに人の目ばかりを気にして、人に誘われるまま参加してしまっていた。これにはもう後悔しかありません。

「酒に関わりたくない」というシンプルな考えを持ちながら、物事を勝手に複雑化した結果、私は自分の意思とは正反対の行為に及んでいたのです。

私はこの状況を打破すべく、拳を固く握り締めて立ち上がりました。
シンプルな考えをシンプルなまま貫き通すにはどうするべきか。その時その場所その時代の気分次第で変わる人の目や、暴力として振り回される常識とやらに翻弄されることなく、自分の価値観に従って生きる術とは何かを思案しました。

思案に思案を重ねた私がようやく辿り着いた答えが、「迷ったら団体戦」です。

これは自分の価値観と、対象となる物事を団体戦方式で戦わせるというものです。

戦わせるのは感情ではなく、できるだけ事実に即したものを。そして自分の価値観と照らし合わせて最も大切だと思うことを試合にだします。

たとえば飲酒であれば

先鋒 コスト
中堅 リスク
大将 健康

先鋒のコスト戦では、酒を飲まなければコスト0です。飲み会に費やす時間と費用、飲み過ぎた翌日にやってくる、いわゆる2日酔いに費やす時間。
これにはコスト0の飲まないに軍配が上がりました。

続く中堅のリスク戦では、自分の判断が正常であれば、たとえ一時の迷いはあれど人を傷つける行為は決してしないでしょう。しかし精神作用物質を接種することにより、車を運転すれば他人を轢殺する危険が伴い、口論となれば怒りに任せて人を殴り、ムラムラすれば劣情の赴くまま異性を傷つける危険もでてきます。
よってリスク戦も飲まないの勝利です。

最後は大将、健康戦です。
私は酒を飲むとすぐに気分が悪くなります。それだけでじゅうぶん健康に悪いと言えます。適量が健康に良いのであれば、私にとって飲まないことが適量です。

つまり飲み会に行かなければ、時間もお金も節約できます。前後不覚になることもないし、泥酔の末に喧嘩や痴漢で人を傷つけることもありません。時間を自分の好きなことに使えて、そしてそれは健康的な生活につながります。

以上のことから、私は酒を飲まない、飲み会には行かないというシンプルかつ確固たる意志を持ちました。
当然職場では「なんで参加しないんだ」という声が上がりましたが、そもそも「人の目」は私の価値観に入らなかったので、どうでもいいことだと思うことができました。それに言ってくる人はほんの一握りの人です。あとの人はどうでもいいと感じているか、自分も飲み会になんか行きたくないと思っているでしょう。
かくして私はより自由で満足な人生を送ることが可能となりました。

コロナワクチンに関しても、私はこの団体戦を採用し、打たないという選択をしました。

ワクチン戦は以下のとおりです。
先鋒 コスト
中堅 副作用
大将 感染予防

初戦のコストでは、ワクチンを打つためにかかる費用(あるいは時間)の戦いです。言わずもがな、ワクチン未接種であればコストは0です。
一方で、接種するには会場までの交通費や時間がかかります。知り合いは医師との問答(嫌なことを言われたらしい)でとてもストレスを感じたそうです。職場の年配者は、ファイザーとモデルナのどっちを打つべきか、副作用が心配だ、不安だと話し合っていました。安心を得るはずのワクチンでストレスや不安を膨らませるのは、なんとも本末転倒です。
かくしてコスト戦は未接種の圧勝に終わりました。

続く中堅は副作用。
未接種はこれまた言わずもがなですが、副作用は絶対にありません。だって打ちませんから。
一方の接種者には副作用の可能性があります。副作用は2~3日続くこともあるようです。知り合いは肩が上がらなくなったとか、38度の発熱があったと言っていました。
こちらも未接種の圧勝と言えるでしょう。

この時点で未接種者の勝利は確定ですが、念のため大将戦も見ていきましょう。
最後は感染予防戦です。
ワクチンを接種すれば感染予防の効果があり、重症化を防げることもあるそうです。
一方の未接種者は、ワクチン接種者に比べると感染危険があり、感染した場合には重症化する恐れもあるようです。
では接種者の勝利かというと、そうでもありません。
なぜならば、これは「感染しない」と「感染する」の戦いではなく、「感染しないかもしれない」と「感染するかもしれない」の戦いだからです。
事実として私と私の妻、そして同僚の1人は未接種でも感染していません。逆に接種した同僚は数人が感染しています。そして私は立場的に、感染者に割と良く接触する業種の人間です。

要は感染しないかもしれない≒感染するかもしれないということであり、この勝負は引き分けなのです。

結果2勝1引き分けでワクチン未接種の圧勝。というわけで私は未接種を選択しました。
「未接種」は感染するかもしれませんが、感染しないかもしれない。そしてコストと副作用は0。
「接種」は感染しないかもしれませんが、感染する場合もある。コストは絶対にかかるし、副作用の出る可能性があり、その場合は人生の2-3日を費やして苦しむこととなる。
明白な答えです。たまに「なんで打たないの?」と聞かれることがありますが、逆に「なんで打つの?」と聞きたいくらいです。

というわけで団体戦はシンプルに生きたい私の秘訣です。
ただし自分と違う選択をした人間を否定したり、矯正しようとする行為は絶対にダメだと思っています。
ある人は、酒はうまい!腹を割って話せる!最高の趣味!という価値観で酒を飲むでしょうし、ある人は感染危険がなくなる!不安がなくなる!社会と足並みを揃えて生きていける!という価値観でワクチンを打つでしょう。それはその人の価値観として当たり前の選択だと思います。

団体戦はあくまで自分の中でのみ。自分の価値観と、とある物事を戦わせて進む道を採択することはできても、自分と他人の価値観を戦わせることはできません。というより、しちゃダメです。

たとえ妻がワクチンを打ったとしても、私は何も言わないでしょう。
妻も普段酒は飲まないのですが、ある晩食卓に少しの酒をだしてきました。その日は飲みたい気分だったようです。私はグラスに少し注いでもらって、気分だけ一緒に味わいました。

人と理解し合うことはとても難しいとか、不可能だとか言いますが、そんなことはどうでもいいことだと思います。
大切なのは相手を否定しないこと。それなら理解し合うよりもずっと簡単で、平和に生きることができる気がします。

だから私は「なんでワクチン打たないの?」と聞かれた時には、「うーん、なんか怖いから?」と答えるようにしています。

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