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今、学童保育職員の視点から「コロナ禍」を振り返る~何気ない日常の中でこどもたちが生み出した遊び・学び・育ち~

今年の3月から約3ヶ月、新型コロナウィルスの影響を受けて休校措置がとられました。私が勤務している学童保育はこの期間中、朝から夜までの運営が行なわれたため、普段以上に日常の中で生まれるこどもたちの遊びや活動が見えてきて、その中に込められた思いや願いを感じる機会がたくさんあったように思います。休校措置解除から4ヶ月が経ち、今日では、感染拡大へのリスクマネジメントを行いつつも少しずつそれまでの日常が戻りつつあるように思われます。しかし、だからこそいわゆる「コロナ禍」で見えてきたこどもたちの姿を今一度振り返る必要があると感じています。今回のブログは(いつも文量が多くて申し訳ないですが)かなりの長文になってしまいましたが、社会情勢と結び付けつつ「”戦争ごっこ”と秘密基地(屋外遊び)」「屋内での”ごっこ遊び”」「地域のお店に向けた絵手紙や、新聞づくり」という3つのパートに大きく分けました。ぜひ、ご興味を持っていただけた部分だけでもご覧いただき、豊かなこどもたちの姿を感じていただけたら幸いです。

河原で生まれた”戦争ごっこ”と、「秘密基地」での交流

休校措置開始直後の3月。感染リスクと施設内での「密」を避けるため、屋内だけでなく、人が少ない屋外(河川敷など)を探しながら、極力こどもたちが密集しないよう職員間で工夫しました。ただでさえイレギュラーな状況、不安定な社会情勢の中でストレスが溜まっているこどもたち。そのような状況にも関わらず、10時間超×3ヶ月間ひたすら屋内で過ごさせることは、きっと育ちの中で心身共に大きな歪みを生じさせてしまうのではないかと感じました。また、「2m以上の距離を確保する」「机の間隔をあける」「会話は極力しない」という対応は現実的に厳しいだろうとモヤモヤしたことも覚えています。自身の感染リスクや社会からのバッシングへの恐怖を感じながら、様々な困難さの狭間で、それでもこどもたちに寄り添った日々。きっと、これから実践・研究を行う上で大きな糧になると信じています。

さて、このような状況にあった3月。こどもたち(1~3年生の男の子たちが中心)は、河川敷で””戦争ごっこ”をしきりに行なっていました。川面に「船」に見立てた草や木の枝などを浮かべ、「相手の国が攻めてきたぞ~!」と言いながら、川岸から石や砂を投げまくって「船」を沈没させるというもの。鋭い言葉と共に投げられる「砲弾」の雨霰、そして無残に沈みゆく「船」―。一見残酷で荒々しい遊びの光景。「安全・安心」「キレイな言葉遣い」「屋外だから、周りの眼に曝されても恥ずかしくないように」という「オトナ」のエゴとのせめぎ合いが自分の内側で激しく繰り広げられていたように思います。けれど、どこかこどもたちが新型コロナウィルスという目に見えない恐怖と必死に闘っている姿であるように思え、この遊びを静かに見守ることにしました。

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別の日、再び河川敷を訪れました。こどもたちは、過去の台風で流れてきた流木や土砂によって造られた島のような場所を「秘密基地」にし、木の枝や漂流物を拾ってせっせと自分たちの空間を創り始めました。

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すると、そこへ釣り竿を持った地域の方がやって来ました。どうやらこの方は、こどもたちが「秘密基地」にしていた島を”釣りスポット”にし、ここでの釣りを日課にされていたようです。「こんにちは。すみません…こどもたちが遊びでお邪魔してしまって…!」と挨拶とお詫びの言葉を伝えることに。すると、「いいんだよ。こどもたちは元気が一番だからね!」と笑顔で返してくださったのでした。優しい方だということがわかったからなのか、「おじさん、釣りに来てるの?ここ、魚釣れる?」「毎日来てるの?」「オレも釣りしてみたい!」と、しきりに話しかけ始めたこどもたち。そんなこどもたちの勢いに少し困り顔を浮かべながらも温かく対応してくださった地域の方―。公民館やコミュニティー・スペースのような場や集いの機会が相次いで閉ざされる中、人々の交流の場は次第にオンラインへと移行していったように思います。しかしそれは同時に、オンライン環境へのアクセスが難しい世代との分断を生じてしまったようにも思います。実際、コミュニティー・スペースで出会った、パソコンやスマートフォンを利用していない(あるいは操作に不慣れな)年輩の方々との連絡が数か月間取れず、大きな不安や淋しさを感じました。そのような中、こうして「密」を回避した上で交流できる場がこんなに身近にあったのだと驚いたとともに、身体性を介した異世代交流の大切さや、(うちの学童保育のこどもたちではありませんが、地域の方から近隣の小学校へと「こどもたちが外で遊んでいてうるさい!感染したらどうするんだ!学校は指導しないのか!」という苦情が入ったと聞いていたため)こどもたちの存在を温かく受け止めてくださる方々の存在のありがたさを感じることができました。

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謎の口調のごっこ遊びが展開

まだまだ休校措置解除の見通しが立たない4月末、河原での”戦争ごっこ”は自然消滅していきました。過去の記録を遡ると、この頃に屋内でこどもたちの”ごっこ遊び”が展開したことが綴られています。以下、私のFacebookページに投稿した内容を引用します。

○遊びの土台〜ヤンキー口調から謎の口調へ〜
・昨日の午後、室内にいたこどもたち(1年生2人、2年生1人、3年生1人、4年生1人)と女性パートさんとで、お家ごっこをしていました。長机を壁にして、自分たちの「家」となるコーナーを作成。こどもたちは家族の構成メンバーになり、パートさんも高校生の息子に変身していました。もともと鋭い口調で話す子たちが中心だったためか、赤ちゃん役の1年生以外、家族はみんなヤンキー口調。「おいお前!○○やれよ!」「△△じゃねぇの?」のような口調が飛び交うカオスな家族の中で、パートさんが上手にごっこ遊びの世界に溶け込んでいました。敢えてこの遊びに介入する必要もないと判断した私は、ほうきと塵取りを使って部屋の掃除。すると、何故かだんだんこどもたちのヤンキー口調が訛りはじめ、「○○やるで〜?」「△△だで〜」と、似非関西弁なのかどこかの方言なのか、かなり独特な口調へと変化(笑)。「スカーレット」という単語も聞こえたため、どうやら朝ドラの影響を受けて関西弁を意識したようですが、不自然過ぎるイントネーションが醸し出す口調がすっかりツボに入った私は、掃除しつつ笑いが止まりませんでした。
○遊びへの参入〜掃除をするゆーだいから「親戚のおっちゃん」へ〜
・やがてこどもたちが掃除をしている私を指し、「あれは誰だで?」「あれは、親戚のおっさんや!」と会話。それまでこどもたちにとって背景となっていた私が、ここで遊びの世界へ引き込まれることに。こどもたちに呼応する形で、私は「せや。わしは、隣に住んでいる親戚のおっちゃんや。毎日、ここの掃除をして、みんなが気持ちよく過ごせるようにしてるんやで〜」と、独特の訛りを入れた口調で返事をしました。こどもたちも大ウケ。普段は「うるせぇ!あっちいけ!」と言いつつも、どこか関わりを求めているような4年生の女の子も、「おっちゃん、紙とコンパス取ってくれで〜(もはや、語尾に「で」を付ける文化になった)」と独特な口調で私に依頼。そのギャップがなんだか微笑ましかったです。
○新たな文脈〜もともとの家からの独立〜
・「うわぁ〜ん」という泣き真似がとてもうまい、赤ちゃん役の1年生の女の子。遊びの中でいつの間にか2歳になり、なぜか親戚のおっちゃん(私)が誘拐?するという展開に(こどもたちから「この子、連れてってくれで〜」と依頼された)。なぜか「太郎」と名付けられた1年生の女の子と一緒に、「新しい街へ引っ越すで〜!豪華な家を建てるで〜!」と、フロンティアスピリット全開で家を建てる(長机を数個出してスペースを作る)ことに。出来上がった「家」で、アナログゲームをして遊びました。

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○新たな仲間の参加〜多様な参加の萌芽〜
・ワイワイ盛り上がっていると、やがて隣の部屋(図書室)で勉強や折り紙をしていた2年生の女の子、2人の5年生の女の子が様子を眺めに来ました。「何、その話し方!」と言いつつ、「私たちも家つくる!」と遊びに参加。「ってか、なんでもとの家と親戚のおっさんの家がこんなに近いわけ⁉️」と5年生がツッコミを入れたため、「何言うてるんや。もともとの家と、わしらの家との間には、山が32個もあるんやで!」と冷静に返事をする私。思いがけない?返事に、5年生の2人も吹き出しました(笑)。こうして、もともとの家がある場所と、私・1年生の女の子が一緒に作った家がある場所の間に家が建てられることに。さすがに独特な訛りのある話し方には抵抗があったらしく口調は普段通りでしたが、自分たちが建てた家でイラスト屋さんをオープンさせ、みんなの似顔絵を描き始めました。こうして、1つの「ごっこ遊び」の文脈ではなく、それぞれが好きなことをしつつ緩やかに繋がり合うような遊びの文脈が生まれました。

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○お店屋さん開店!〜個々の遊びを緩やかに繋ぐ役割・機能の誕生〜
・1つの家から始まったごっこ遊びからちょっとしたコミュニティが生まれてきたことを受けてなのか、2年生・4年生の女の子は、図書室からやって来た2年生の女の子を巻き込んで3軒の家からアクセスしやすい位置にテーブルを出しました。テーブルの上にはUNOやトランプ、アナログゲームなどを並べていきます。その横には、たくさんのドミノが入ったケースを用意。「いらっしゃいませー!」…この子たちは、ドミノを通貨としたお店屋さんを開店させたのでした。店頭で直接「これは、○○円やで〜」「これ買うで〜」と売り買いができるだけでなく、家まで届けてくれる現金代引システムまで導入!

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○現実世界とごっこ遊びの世界との混ざり合い〜テレビの誕生〜
・「最近のテレビはつまらないで〜」と、もともとあった家に住んでいた子たち。お笑い芸人のネタ(シソンヌの「ゴンちゃん」)を、テレビに見立てたホワイトボードにイラストで描きながら笑い合っていました。やがて「これから面白いテレビが始まるで〜」とピアノのところへ向かった数名のこどもたち。1年生の男の子が指揮者、2年生の女の子と4年生の女の子が2人で「猫ふんじゃった」を演奏するという音楽番組を「放送」しました。お互いの弾き方にズレがあり若干険悪?な雰囲気になりかけるも、最後は無事に演奏・放送し終えることができました。公園で遊んでいたこどもたちが帰ってくる時間が迫り、片付けをする時間がきたことで、この一連の遊びは終わりました。
○「バイバイやで〜」〜遊びの余韻〜
・学童保育は19時までの運営ですが、昨日は私は18時あがり。一緒にごっこ遊びをしたこどもたちは、まだお迎えを待っています。帰りの支度をして施設のドアから出ると、ガチャっとドアの開く音が。振り返ると、先程まで一緒に遊んでいた2年生の女の子が「バイバイやで〜」と言いつつ、ぺろっと舌を出していました☺️普段はトゲトゲした口調で私に接しつつも、二重跳びができるようになった喜びを分かち合い、それ以降は時折「見て!何回できるか数えててね!」と私を呼んでくれるこの子。今回の一連の遊びの中で同じワクワクを分かち合えたからこそ、こうして遊びの余韻を残した挨拶をしてくれたのだと思います。なんだか嬉しくてウルウルしてしまいました✨きっと、この遊びやその中で生まれた関わり合いの記憶は、今後の関係性の中で一つの土台になることでしょう。
遊びは動き。未知や不確かさに満ちたプロセスの中で〝遊び〟に導かれるようにしてそれぞれからアイディアが引き出され、だんだんと新たなものが立ち現れていく。そして、その新たなものに導かれ、さらに新たなものが引き出され、立ち現れていく。それは、「いま、ここ」の連なりの中で参与者同士の間で即興的・共創造的に生まれていくものであり、参与者の外側に遊びのマニュアルや段階があるわけでもなく、内側に生得的・本能的に定められているわけでもない。そこで生まれた遊びや分かち合ったプロセスは、それぞれの中に特別な瞬間として記憶され、「これから」を生み出す種になる…。そんなことを感じながらこどもたちと一緒に楽しんだ、金曜日の午後のひとときでした☺️

この遊びが展開したのは、ちょうど学校から「休校中の課題」が出された頃でした。たくさんのドリルやプリントを前に、こどもたちからの「やりたくない!」「こんなの終わらないよ…」という声が噴出。保護者の方も、お迎え時に「本当はもっとこどもに温かく接したいのに…。けれど、課題が終わらないと成績に反映してしまうと言われており、最終的にこどもが苦しんでしまうから、仕方なく叱咤激励しながら課題を進めている」という苦しい胸の内を吐露してくださいました。私自身も「このような形の課題ではなく、こどもたちが生き生きと生活の中で探求したことをまとめるような学びではいけないのかなぁ…」と感じつつ、一方で「学童保育で課題をある程度進めておかないと、各ご家庭に負担がのしかかってしまう…」という思いもあり、激しく葛藤していたことを鮮明に記憶しています。

「休校中の課題」について、私は「学校が悪い」と批判することはできないと感じています。むしろ「こどもたちは未熟な存在なのだから『管理』や『介入』が必要。数や量をこなすことで、点数・成績・偏差値などの(狭義の)『学力』が上がる」という人間観・発達観のもと、学校へ「課題を出さないのか!」「休校にしておいて、何もしないのか!」という要求・重圧をかけてしまうような社会の雰囲気に危機感を覚えました。また、そのような雰囲気の中で、学童保育が単なる学校の補填的な場(具体的には、宿題や課題をみたり、「善かれと思って」独自のプリントを強制したりする)に成り下がってしまうやりきれなさも痛感。偶発的な遊び、ぶつかり合いと関係性の深まり、こどもの権利や自治、余暇・休息、様々な文化に触れること、それらが豊かに混ざり合いながら動いていく日常…これらが「勉強」や(狭義の)「学力」に比べてあまりにも蔑ろにされているという状況が浮き彫りになったように思えました。「遊んでいないで、勉強しなさい」という古くからの価値観は、令和となった今でも根深く存在しているのでしょうか。

上記の”ごっこ遊び”の場面をFacebookに投稿したのは、学童保育などで流れる何気ない日常、そしてその遊びの”動き”の中に宿る豊かさや、未知・予測不可能性を孕みながら協働・共創造的に展開していく人間観・発達観について、少しでも発信することができたらと思ってのもの。この遊びを「生み出す」ために、何か特別な物を用意したり「○○メソッド」「□□アプローチ」「△△プログラム」などを用いたりしたわけでは全くありません。逆に言えば、何気ない日常の中で、こどもたちは様々な要素を結び付けながら豊かな遊びを展開させているということが言えるのではないでしょうか。

今回の遊びの”動き”は決してその場限りのものとして消滅してしまうのではなく、現実の状況を含みながら新たな展開を生み出していきました。

「コロナ禍」という社会情勢を含んで展開した、新たな”ごっこ遊び”の”動き”

この”ごっこ遊び”が行なわれたのが4月10日(金)。そこから数日後の4月14日(火)、再びこの”ごっこ遊び”の流れを汲む遊びが展開しました。

○「この前の、変な喋り方のやつ」〜前回の遊びを土台にして新たな遊びが始まる〜
・今日の午後、「この前の、変な喋り方のやつ、やろ〜‼️」と私を遊びに誘ったのは、以前Facebookに投稿した「謎の訛り口調のごっこ遊び」に参加し、以前Facebookごっこ遊び」に参加し、別れ際に訛り口調で挨拶をしてあっかんべーをしてくれた2年生の女の子。この子の呼びかけから、室内にいた4人(うち3人は前回も参加)と私とで遊びがスタートしました。前回の遊びの中心となっていた4年生の女の子が外遊びに出ていたため不在。そのため、当然ながら前回とは異なるユニークな形で展開していきました。2年生の女の子は「変な喋り方のやつ」という言葉を用いて誘ってくれましたが、似非・関西弁?鳥取弁?のような訛り口調はそこまで遊びの全面には出ず。このことから、「変な喋り方」をするという遊びの型が楽しかったというよりも、そこで仲間や私と共有した情動体験・遊びのワクワク感をもう一度味わいたかったのだろうなぁと感じました。
・遊びを始めた2年生の女の子はお母さん役、3年生の女の子はお姉さんなのか医者なのか不思議な立ち位置、1年生の女の子は赤ちゃん役〜成長した「太郎」という少年役。さらに、近くでダンボールを切ってスマホやiPadを作っていた1年生の女の子も、後から緩やかに遊びに参加していきました。私は例によって「親戚のおっちゃん」役のつもりでしたが、いつの間にかお母さん役の2年生の女の子の夫?父親?という立ち位置になりました。現実世界では設定に矛盾が生じるカオスな世界の中で、遊びの文脈に応じてしなやかに立ち位置を変えていくことに。これがまた面白い!
○口論勃発!〜予想だにしない展開から遊びが方向づけられる〜
・最初は前回の文脈を引き継ぎ、長机を使って仕切りを作ったスペースを2箇所作って、メインとなる家と、親戚のおっちゃん(私と「太郎」)の家が完成。お母さんが「太郎」を出産するところから遊びを始めるようです。しかしここで、その後の展開をめぐり、「一緒の家に住みたい」2年生・3年生と、「実家から独立して太郎の家を作りたい」1年生との意見が衝突。しばし本当の口論が勃発しました…‼️最終的に「家は分けるが、太郎は時折、親戚のおっちゃんと一緒に実家へ遊びに来たり泊まりに来たりする」という折衷案が生まれ、見事に解決!ちなみに「太郎」は2歳程度…のはず(笑)。そして、この辺りから私の立ち位置は「親戚のおっちゃん」から「太郎のお父さん」へと、緩やかに変化していきました。
○変わりゆく機能・役割〜お家ごっこから病院へ〜
・双方が折衷案をのんでから程なくして「おっちゃんと太郎が家に遊びに来るのね」と実家サイドから私と「太郎」に招集がかかりました。一度「食事会」というシナリオで進みかけましたが、ここで「お母さんが熱を出し病気になってしまった」というシナリオが急浮上。遊びは、このシナリオに基づいて展開しました。それまで「実家」だった空間は、「実家兼・レストランの機能を併せ持った病院」というカオスな空間へと緩やかに変化。まだ「実家」だと思っていた私は「太郎」を連れて熱を出したお母さんに会いに行きましたが、入り口で「医者」に成り変わった3年生の女の子に「ダメです‼️ここに入るためには、まず熱を測ってください。あとは消毒をお願いします‼️」と言われてしまいました。昨今の状況を過敏に感じ取っているのだなぁ…と感じながら、こどもたちがダンボールで作った体温計で検温をし、消毒液入れとして活用されたティーポットを使って消毒をした上で、「太郎」と一緒に「実家兼・レストランの機能を併せ持った病院」で食事をしました。

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○遊びとリアルとの狭間で〜10秒間の面会〜
・この辺りから、遊びのテーマは「ウィルスに罹患したお母さんの治療・お見舞いをする」というものに変化。医者役の3年生は、お母さん役の2年生を寝かせて治療を行います。ダンボールで「冷えピタ」を作り、おでこに当ててあげていました。「太郎」は「お母さんが太郎のことが好きだから」という理由で病室に入ることを許可されましたが、私は「感染るかもしれないから」ということで原則入室禁止に…。時折、医者によって「10秒だけなら会って良い」という時間が与えられ、そこで「良くなりますように、応援してるで〜」などと声をかけました。面会時間が終了すると、医者が無愛想な表情で「出てください!」と私を締め出します。遊びの中の出来事でしたが、「実際は10秒の面会時間すらないんだよなぁ…」「10秒で何を伝えられるのだろう…」と、なんとも言えない無力感に苛まれました。

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○新たな仲間・新たな展開〜ダンボールスマホの誕生〜
・この辺りから、同じテーブルでダンボールを切っていた1年生の女の子が緩やかに遊びに参入。それまで遊びを気にかけ、特に役割のない形で声かけなどをしていましたが、ここで遊びを新たな展開へと導く役割を担っていきます。それまでダンボールでスマホやiPadを作っていたこの子の様子をみたお母さん役の2年生は、もはや夫なのか父なのかわからない私との連絡手段として、この「ダンボールスマホ」を使いました。やがて、この「ダンボールスマホ」のLINE機能を使っている様子を再現するべく、1年生の女の子が習いたての字で「なおるといいね」などと記入。こうして、間接的にお母さんとやり取りするという展開が生まれました(実際は近距離かつメールを送る動作をしながら音声も発してやり取りしましたが)。
○遊びとリアルの狭間で②〜メッセージカードの誕生〜
・この1年生の女の子は、さらに新たな遊びの展開を生み出しました。10秒の面会時間が終わり、なんとも言えない気持ちで座っている私のもとへやってきて、「はい、これ!」とダンボールを渡してくれました。見ると、熱を出したお母さんと、それを励ます私。そして習いたての字で「げんき」と書かれていたのでした!「この手紙をお母さんに渡してあげたら元気になるよ」という優しい気持ちに溢れた行動にウルウルしてしまいました。この子の優しさに触発されたのと、この子が「これにメッセージを書いてあげてください〜」と新たなダンボールを差し出してくれたため、私も「はやく げんきに なるんやで」とメッセージを書きました。「太郎」もダンボールを小さく切っては、お母さんのためにメッセージとイラストを描いていきます。なんだか良い光景だなぁ…。お母さん役の子も、メッセージカードを読んだあとに、少し間を置いて演技に戻ったような気がしました。きっと遊びとリアルとが混在した時間の中で、何か感じるものがあったのでしょう。

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○「楽しかったで〜!」〜遊びの終了と余韻〜
・しかし、お母さんの熱は治りません(途中29℃というまさかの体温から一気に40℃に跳ね上がったり、前回の遊びの場面を思い出したのか「ピアノのコンテストがあるのね。で、テレビに映ってるの!」といってお母さんがピアノを弾きに行ったりすることもありましたが…)。「さぁ、どうなる⁉️」というところで、公園に行っていた子達が帰ってきて片付けの時間になり、終了。片付けながらお母さん役の2年生と視線で合図を送り合い、「楽しかったで〜!」「またやるで〜!」とお互いに伝えました。
今回書いた2年生の女の子たちは、前回の遊びの文脈を引き継ぎながらも、「いま、ここ」にいるメンバーやその場にあるもの、思い浮かんだこと、実際の世の中やそこで感じていることなどを組み込んで、前回とは全く異なる新たな展開を生み出していきました。前回同様敢えて細かく書きましたが、こうして見てみると「ごっこ遊び」という範疇では捉えきれない無数の「いま、ここ」があり、それらが数珠繋ぎになって一連の遊びのプロセスを生み出していることがわかります。私を含む参加していたメンバーは、最初から最後まで遊びの展開をイメージしていません(もし完璧にシナリオを描いた上で行為していたら、それはもはや遊びなのか怪しくなってきます)。「自分の意思だけでアイディアを出した」ようにも見えますが、「アイディアを出したのは自分ではあるけれど、複雑な要素が絡み合った文脈によって自然と引き出された」というほうがしっくり来るように思います。リアルな喧嘩や「お母さんの熱」という緊急事態をきっかけに生まれた様々なシナリオ、一連の状況をじっと眺めていた1年生が生み出したダンボールスマホやメッセージカード…これらは決して文脈とは無関係な独りよがりのアイディアではなく(仮にそうだとしたら、周りからスルーされるか、遊びの文脈が破綻するでしょう)、文脈にマッチする形で自然と引き出されたものであり、だからこそ一連のプロセスになんらかのユニークな影響を与える役割を担うことができたのでしょう。「親戚のおっちゃん」のつもりで似非関西弁バリバリの口調で話していた私が、いつのまにか夫や父に変化し、遊びの中で様々な感情を抱きながら表現を変えていったことも同様で、能動的でも受動的でもなく中動的とでも言えるような感覚で遊びに参与していました。
様々なジレンマに曝されている学童保育現場にどっぷり浸り、心身共に疲れているはずなのですが、その中でここまでの長文を書きたくなってしまうのはその瞬間が自分にとって特別だと感じ、なんとか残したいと思ったから。生き生きとした「いま、ここ」の数珠繋ぎが生まれる場として、学童保育やサードプレイス的な場がもっともっと社会の中で認知されて欲しいですし、私も実践・研究・発信をし続けたいです。

4月7日に、勤務している学童保育がある埼玉県を含む7都道府県に向けて緊急事態宣言が発令され、やがて4月16日になると宣言の範囲は全国へと拡大されました。この一連の遊びは、このような社会情勢の影響も含みながら展開していったと言えるでしょう。こどもたちが描き出した「病い」と「ケア」の物語―。見えないウィルスに苦しむ大切な人を前に、何もできない無力感を抱きながらも、ただただそばに居続け、メッセージを送り続ける中で感じた気持ちは、もはや”ごっこ遊び”の域を越えて私の心を揺さぶりました。この遊びの”動き”は「他のこどもたちが帰ってきた」という事態を受けて突如として途切れはしたものの、「楽しかったで~!」「またやるで~!」の言葉や、そこに込められた生気(笑顔や動き、言葉の間など全身から伝わる言語外のもの)を介した交流を通して、それぞれの胸に深く刻まれたのではないかと思っています。

地域のお店に向けた絵手紙制作プロジェクト

未だ休校解除の見通しが立たない4月24日。この頃から、いわゆる「コロナ禍」を通して地域のお店が苦境に立たされているということがメディア等で報じられ始めました。昨年度行なったコミュニティー・スペースのプロジェクトを通して何軒かの地域のお店にお世話になったため、この状況だからこそ何かこどもたちとできることはないかと考えました。

私が勤務している学童保育では、昨日と来週月曜日、コミュニティー・スペースにて昨年度行なった「こどもたちが地域を取材し、その良さを発信するマガジンを制作・販売するプロジェクト」でもお世話になった、地域にある創作イタリアンのお店のお弁当をお昼ご飯として注文するという取り組みが行なわれています。
このことを踏まえ、昨日の午前中、屋内にいた数人のこどもたちと一緒に新型コロナウィルスが地域のお店に与えている苦しい状況と、その中でみんなができることはあるか話し合うことに。活動状況や私自身の施設内での立ち位置、こどもの様子や関係性を鑑み、一斉に「集まって!いい?今から考えるからね!」というスタイルは避け、数人のこどもたちからじわじわと活動が広がれば良いなぁという「裏・プロジェクト」スタイルで行なったところ、1年生の女の子、そして、このお店の近くに住んでいる4年生・2年生の兄弟が参加。

こうして、こどもたちから生まれた「絵手紙を書く」というアイディアを形にすべく活動が展開していきました。

○コロナウィルスからお母さんの誕生日、そして地域のお店へ〜1年生の女の子の表現〜
最初は「だって私、(創作イタリアンのお店に)行ったことないから何ができるかわからないよ〜」と話していた1年生の女の子。しかし、コロナウィルスに対してたくさん感じ考えていることがあるようで、「お店に行けないと潰れちゃうよね」「お母さんの職場(事務系?)にも最近全然行けないの。前は時々行って、職場の人からいろいろもらってたけれど、最近は会えない」などと話していました。ふと「今日お母さんの誕生日なの!」と話し、そこから地域にあるケーキ屋さん(こちらも昨年度のプロジェクトで取材させていただきました)に想いを馳せ、「今日ケーキ買いに行ったら『美味しいよ』って伝えようかな」と、今、自分ができることを考え出すことができました。その後、ケーキ屋さんに向けて素敵なイラストを作成!近くで様子を見ていた友達から「誰からのお手紙かわかるようにしなきゃ」というアドバイスを受け、裏に「いちねんせいの○○」と自分の名前を書きました。午後の時間、友達と一緒に新たなケーキのイラストを作成。お母さんのお誕生日、このお店のケーキを食べて素敵なひとときを過ごせたかな…。

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○よく知っているお店を応援したい!〜2年生の男の子の表現〜
昨年度こどもたちが作ったマガジンを見せながら創作イタリアンのお店の話をすると、「オレ、このお店知ってる!だってオレんちの近くだもん!」と一生懸命略地図を描いて説明してくれた2年生の男の子。「何回か家族で行ったことあるよ!美味しいよね。たまにカラオケ(音楽をしている方の演奏会なども行なわれているため、彼の知っているボキャブラリーからカラオケと表した)もやってるんだよ!」と私や周りにいた友達に説明していました。1年生の女の子がケーキ屋さんに手紙を描いているのを見て「オレも手紙を書く!」とやる気満々。けれど、すぐに「オレ、字も絵も下手だよ?」と発言。「そんなことないよ。気持ちが大切だよ」と伝えると、「じゃあ、うまく丸が描けないから、コンパスを使ってもいい?オレ、うまく描けないから、オレの言う通りにゆーだいが丸を描いてね!」とのこと。早速コンパスを用意して、彼のイメージを聴きながら私が円を描いていきました。素敵だなぁと思ったのが、円=人の顔の大きさを一律にしなかったこと。彼曰く「いろんな人が働いているでしょ?だから、顔の大きさを1つひとつ変えたいの」とのこと。みんな違ってみんないい…そんな優しい彼の感性が表れた瞬間でした。
「お店の絵を描きたい!ゆーだいが(下絵を)描いくれたら、オレが色を塗る!」と彼。そこで私は写真を見ながらお店の外観をサッと描くことに。彼が色塗りをして、協働で作り上げた作品が誕生しました。

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○日常のやり取りとの繋がり〜2年生の男の子の表現〜
この2人の様子を見て、2年生の男の子2人も輪に加わりました。1人は「まずは、オレのことを知ってもらいたいなぁ」と呟き、学童にある歴史の漫画の表紙に描かれた龍の絵を一生懸命描いていました。まだ未完成で写真を撮りそびれましたが、周りの子達から「やっぱ、○○は絵が上手いなぁ!」と認められるほどでした。

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もう1人の2年生の男の子は、大好きなクレヨンしんちゃんのイラストを描きました。そこに吹き出しをつけて「コロナでも がんばってね!」と温かいメッセージを添える優しさも。最後に学童の名前を書いたのは、彼だけの思いではなくみんなの思いを届けたいという気持ちの表れでしょうか。個人的には、すっかり彼の絵の虜?ファン?になっている私との間で、「絵を描いたから、オレの絵、写真に撮って!」 「おぉ、わかった!ホント○○(しんちゃんの絵を描いた子の名前)の絵、大好きだわぁ〜!」というやり取りを日頃から重ねている彼が、このような場面で絵を描いてくれたということがなんだか嬉しくてジーンときてしまいました。
誰かを想って絵を描くということ。この困難な状況の中で、こどもたちが生み出した作品、そしてそれが生まれるプロセスの中に大きな希望を感じました。

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こどもたちが、いわゆる「コロナ禍」を通して地域のお店で過ごした思い出を語りながら一筆一筆思いを込めながら紡ぎ出したイラストや言葉は、後日お店の方へ贈らせていただきました。危機的な状況の中で誰かを想う気持ちから生まれた繋がり―。「外出自粛」「三密回避」の中で、それでもこうして心と心が繋がり合うことができるのだと感じ、こどもたちの優しさに胸が熱くなりました。

新聞づくりプロジェクト

この流れを受け、4年生の佑樹くん(仮名)は、新聞づくりをしたいという思いを抱き、少しずつ取り組み始めました。

○新聞づくりに込める思い                      彼が最初話していたのは、「コロナに負けない」「市の良さや美味しいお店があることを知ってもらいたい」「自分が通う学童保育の良さを伝えたい」というような内容でした。新聞というツールについての拘りがあるようで、私が「もし新聞ができたらFacebookとか地域の方々へのグループLINEとかで発信するよ?」と提案すると、「う〜ん、でもそれじゃあ違うんだよ」と納得いかない表情。「直接」届けることに意味があると考えている様子でした。ポスト投函、ビラ配りなども浮上しつつ、外出自粛・三密回避が強く求められている状況も鑑みてお互いにアイディアを出し合い、最終的に「出来上がった新聞はコミュニティースペースのテイクフリーコーナーに置く」ことで考えがまとまりました。
○未知のものを創る中で生まれる協働
「新聞のタイトルどうしよう…」と彼。私にもアイディアを求めましたが、いまいちピンと来るものが出ません(私のアイディアに誘導してしまうことには抵抗があったため、敢えてアイディアを出さなかったという意図もありました)。すると、隣で算数プリントをやっていた2年生の男の子(前回の投稿でクレヨンしんちゃんのイラストを描いていた子)が、おもむろに私のメモ紙を取り、「すばらしい」と書きました。それを見て「あ〜!それいいねぇ。それじゃん‼️」と大喜びの4年生。ホクホクした表情で「『A市すばらしい新聞』とか、いいんじゃない⁉️」と呟いていました。未知のものを創る…その中で生まれる自然な協働の瞬間に感動しました。

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○新型コロナウィルスに伴う地域課題から障がいのあるこどもたちとの協働の可能性へ
ここから、新聞の具体的な中身について、彼と話し合うことに。「すばらしい」というフレーズを提案した2年生の男の子、前回の投稿で最初にケーキ屋さんへの手紙を描いた1年生の女の子も緩やかに参加。4年生の男の子の思いをまとめると、おおよそ次の通りになります。
・これ以上、今の状況を落ち込ませたくない
→コロナウィルスの悲しいニュースについては書かない
・A市の良いところについて、学童保育がある建物の1階部分にある放課後等デイサービスに通うこどもたちや職員さんにもインタビューをしたい。このことが延いては多様性への理解に繋がり、障がいがあることに対するいじめや偏見がない社会づくりに繋がる。彼の言葉を借りると「障がいのあるこどもたちにも適した新聞にしたい」
※学童保育で大々的に活動してしまうと、彼との関係性があまりよくない他のこどもたちから否定的な意見や嘲笑等が出て活動そのものが台無しになることを懸念している様子でした。そこで、放課後等デイサービスのこどもたちや職員さんとの協働に活路を見出したのだというニュアンスのことが語られました。だんだんと彼の言葉から伝わる熱意からは、この状況下で障がいの有無に関わらず協働し合うという道を切り拓こうとする思いが強く伝わってきました。
・外出自粛が続き、こどもたちは外に出ることができない。だから、すごろくやオススメの屋内遊びなどを新聞に載せたら良いのではないか。
※彼は繰り返し「8割減とか7割減とか」という言葉を用いていました。ニュースや社会状況を捉え、しっかりと考えている様子がうかがえました。 
○自主学習ノートに綴られた思い〜こども観・学び観の転換へ〜
「せっかくだから、新聞づくりの計画を自主学習ノートにまとめてみたら?こういうことこそ、本当の学びだと俺は思うよ!もししっかりまとめたら、学童保育の職員さんたちに提案してみたら、きっと伝わるんじゃない?」と、私は佑樹くんに提案。彼は前向きに私の提案に乗り、早速学校から宿題として出されている自主学習ノートへ自分のアイディアをまとめていきました。コロナウィルスとの長い闘い…けれど、悲しい思いを乗り越えて進んでいく中で、障がいによる差別や偏見、いじめがなくなり、新たな協働・多様性を認め合えるような新たな社会を築ける希望がある…。そんな彼からのメッセージが伝わってきます。

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○新聞の枠づくり
午前中、多くの子たちが公園へ遊びに行き屋内には佑樹くんを含めて5人程度になったところでプロジェクトがスタート。佑樹くんが最初に折り紙で遊んでいた横で私がパソコンを取り出し、どのような新聞の枠が良いかを調べ始めました。興味を持った彼は早速いくつかの枠を調べたものの、ピンとくる新聞の枠がなかったため、手描きで枠を作ることに。前回考えた下描きを手掛かりに、彼が指示を出して私が線を引きました。丁寧に仕上げたいようで「(枠の)上のほうがズレてる!」と僅かなズレにも気づき、修正し、新聞の枠が完成しました。
※画像のモザイク部分にはA市の名前が書かれています。

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○新聞のタイトルを考える
枠が出来上がったところで、私は「タイトルどうする?この前○○(2年生の男の子)が言ってたの、覚えてる?」と投げかけると、佑樹くんは「あぁ、あれかぁ。忘れちゃったんだよね~」とのこと。そこで「俺は覚えてるよ!『すばらしい』って言葉だったよね?」と伝えると、「あ〜!」と思い出した様子。ちょうど前回「すばらしい」という言葉を提案してくれた2年生の男の子も室内におり、私が目を合わせるとニヤっとしていました。
前回挙がった「すばらしい」という言葉も踏まえ、改めてタイトルを考えることに。「タイトルどうしようか?オレは『明日へはばたこう』とか、『コロナに負けない』とか良いと思うんだけど、ゆーだいはどう思う?」と佑樹くん。室内には他に4人のこどもたちがおり、うっすら我々のやり取りを聴いていると思ったため、敢えて「んー、もしあれだったら、向こうの子たちにも意見を聴いてみたら良いんじゃない?」と提案。張り切ってみんなに聴いて回った佑樹くんのもとへ1年生の女の子がやってきて、「今はコロナだから、お店が少ししか開いてないでしょ?だから、おさまったら…」と話しかけました。すると、1年生の女の子の話を遮る形で佑樹くんは「落ち着いて来る前に、地域のお店とかが潰れちゃったらどうするの?おさまるかなんてわからないし、今はおさまる気がしないよ!だから『おさまる新聞』とかは絶対にダメ!!オレは、〝今〟元気づけたいんだ!〝あとで〟では命は救えないでしょ?」と真剣な表情で語り始めたのでした。きっと、先が見えない状況の中で日々感じている「このままで良いのか!」という思いが溢れたのでしょう。結局タイトルは決まらなかったものの、力のこもった佑樹くんの言葉からは、一層新聞作りへの思いが固まったように感じました。
○インタビューがスタート!
この流れで佑樹くんから「今の状況や、A市の良いところを知りたい」という発言があったため、私は「それじゃあ、いま人数が少ないうちにインタビューとかしちゃう?」と提案。「いいねぇ!」と盛り上がった佑樹くんは、早速2年生の男の子にインタビューを始めました。内容を忘れないように、私がスマホで動画を撮ることに。しかし「コロナの今の状況について、どう思う?」という佑樹くんからのザックリした質問内容に2年生の男の子も困惑。そこで一度インタビューを中断して、私と佑樹くんとで質問内容を整理することにしました。その結果、
・コロナの状況は、自分にとってどう思うか?
・A市のこどもの状況はどうなっているか?
・家での過ごし方(どうやって楽しんでいるか)
の3点に決定。この質問に沿って、2年生の男の子や、ちょうど2階に来ていた放課後等デイサービスの職員さんにインタビューを行いました。いつのまにか、私がインタビュアーをして佑樹くんが動画を撮影するという役割分担に。「佑樹くん〝が〟つくる新聞」から「佑樹くん〝と〟つくる新聞」へと私の意識が変わった瞬間でした。
○佑樹くんの思いが少しずつ広がっていく…!
すると、一連のインタビューの様子を見ていた2年生の女の子が「私もわかった(考えた)ことあるんだけどな〜」と、少し照れながら、けれどしっかりとした思いがあるような表情で話しかけてくれました。既に佑樹くんは遊びモードに入っていたため、カメラを回さずに私が聴き取りを行うことに。感染リスク回避やマスク節約も考えご家庭では極力お店へ行かないようにしていること、学校の友達とも会える場所がなく、「三密」を回避できる川原で、しかも限られた時間だけしか会えないことなどが語られました。「最後に、何か思っていることや伝えたいことはありますか?」と伝えると、先日有名な女優さんが亡くなったことにも言及しながら「コロナウィルスで人が亡くなったりすると悲しいから、みんな外に出ないでほしい」という切実な思いを伝えてくれました。「今、埼玉県はどのくらいの人が亡くなっているの?」というこの子の質問を受けて、私のスマホを使って調べることに。遊んでいた佑樹くんをはじめ屋内にいた子たちも集まり、埼玉県内、日本国内、そして世界の状況をみんなで確認しました。佑樹くんが蒔いた種が少しずつ他のこどもたちの心の中にも育ち始めていることがうかがえました。

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こどもたちや放課後等デイサービスの職員さんのインタビューに続き、私も佑樹くんからのインタビューを受けました。最終的に新聞という形にはならなかったものの、こうして新型コロナウィルスをきっかけに抱いた問いや思いを「新聞づくり」という行動に移し、ノートやインタビューなどの形にすることができた佑樹くんの取り組みはとても大きな意味を持つように思います。また、インタビューを通して語られた2人のこどもたちの語りは、いわゆる「コロナ禍」をこどもたちがどのように捉えていたかを知る上での1つの手掛かりになるのではないでしょうか。外出を控えなければならず友達と会うことができない状況下で感じたもどかしさや、メディアを通して報じられた訃報を通して抱いた「コロナウィルスで人が亡くなったりすると悲しいから、みんな外に出ないで欲しい」という切実な願いは、普段の学童保育の生活ではなかなか聴き取ることができないものでした。こどもたちは単に庇護され、何か決められたものを与えられるだけの未熟な存在ではなく、深い問いを抱き、考え、行動している主体として生きているということを改めて感じることができました。

まとめ

なぜ今のタイミングで「コロナ禍」で見られたこどもたちの姿をまとめようと思ったのか…。その理由としては「危機的状況の中で見えてきたこどもたちの姿を『過去のもの』として終わらせてはいけない」「(悪い意味で)”これまで”に戻ってしまってはいけない」という思いを抱いたからです。少しずつ日常に戻る日本社会の中で、果たしてこどもたちが置かれた環境は良くなったと言えるでしょうか。こどもたちが本来持つ権利が蔑ろにされ、再び「オトナ」主導によって急かされ、要求され、賞罰によって動かされ、こどもたちが参与することなく「活動」や「プログラム」が決められてしまうような日々が戻ってきてしまい、そんな状況の渦中にいながら何も変えることができない無力感に苛まれています。「このままではいけない!」という思いを胸に動き出す原動力として、このブログをまとめました。

私の乏しい文章力のため、こどもたちの生き生きとした姿がどの程度伝わるかが不安ではありますが、こどもたちが/こどもたちと紡ぎ出した学童保育の事例が少しでもより良い社会を築くきっかけになったら嬉しいです。

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