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レストラン遊びの〝動き〟を捉える〜遊びの転換点に着目しながら〜

私は、こどもたちが/こどもたちと遊びの〝動き〟を生み出す渦中にいる時に大きな喜びを感じます。そして、まるで数珠繋ぎのように進んでいく〝動き〟を紐解いていくと、たくさんの発見があります。今回は、小学3年生3人、小学2年生1人と私との間で生まれた遊びの〝動き〟を紹介したいと思います。

【遊びが生まれた背景】
この日、3年生のマイカ、リカ、2年生のミドリ(いずれも女児、仮名)の3人が、お店屋さんごっこ(レストランを開こうとしていた)を始めました。少し離れたところで、以前のブログにも登場したココミ(3年生女児、仮名)が様子を眺めています。マイカ・リカ・ココミは幼い頃から同じ保育園で育ち、関係性が深いからこそ、時々対立が生じてしまうことがあるようです。この日も、ココミは本当は一緒に遊びたいものの、なかなか「一緒に遊ぼう!」と言い出せない様子。マイカとミドリは「入っていいよ〜」と言ったのですが、リカは少し難しい表情を浮かべていました。

メニュー開発会議〜遊びの転換点となった「湯豆腐」づくり〜

マイカ・リカ・ミドリは、私を遊びに誘いました。私はココミの思いも感じ取っていたため、3人に「ココミも一緒に遊びたいみたいだよ?」と伝え、マイカ・ミドリが、ココミが仲間に加わることを受け入れました。リカは少し苦い表情をしていましたが、付かず離れずの距離を保っていました。

早速、レストランを開店させるにあたって、みんなでメニューを考えることに(私が主導したわけではなく、こどもたちが進んで行いました)。私も「いいじゃん!商品開発会議だねぇ!」とノリノリ。マジックテープで付け外しができるおもちゃを使い、魚の頭とパンケーキを組み合わせたり、メロンとリンゴをくっつけたりして、こどもたちからツッコミを入れられました。

依然としてマイカ・リカ・ミドリが主導していたのですが、ココミからの「そうだ、メニューに『湯豆腐』を入れよう!私ね、おうちでよく食べるんだよ!」という言葉をきっかけに場の空気が変わりました。「湯豆腐って何?」とココミ以外のこどもたち。私はスマホで検索をし、画像を見せました。「あー、これかぁ!ねぇ、湯豆腐って、どうやって(その場にあるおもちゃで)作れるかなぁ?」と真っ先に探求を始めたのがマイカでした。他のこどもたちは、マイカと一緒に湯豆腐の表現方法を模索していきます。

「できた!」と見せてくれたマイカ。鍋の中にダイコン(葉がある上部・茎の中部・根に近い下部の3つに分解できる)の中部を入れて豆腐に見立て、周りに出汁に見立てたチェーンリングを入れるという工夫をすることができました。

「焼き豆腐」づくりの展開〜遊びの転換点の拡張〜

ココミは、さらに提案します。「うちねぇ、焼き豆腐もおうちで食べるんだよ。自分でも作ったことがあるの。火を使う部分だけは、お母さんが手伝ってくれたけどね」ー。マイカ・リカ・ミドリは再び「焼き豆腐?」というリアクションをしたため、再びスマホで画像を検索。ココミも画像を眺めながら、「うちが作ったの、こんな感じ!」と話していました。

「あ〜、これね!これならすぐできるよ!」と、何かを閃いた様子のマイカ。先程のダイコンの上部と、2つに分断できるカブのおもちゃの上部を皿に乗せました。ダイコンとカブの葉の部分は、薬味ダレに見立てたようです。確かに焼き豆腐に見えてきました!

協働・共創造の軌跡、メニュー表づくり

もはや、冒頭の部分で見られた壁がなくなった4人。わいわい語り合いながら、メニュー表を作り始めました。この「メニュー表づくり」という遊びの文脈は今回が初めてというわけではなく度々ごっこ遊びの中で見られましたが、今回のメニュー表づくりは4人の関係性を紡ぐという意味で大きな意味があったように思いました。

ココミの言葉がきっかけで生まれた「湯豆腐」「焼き豆腐」も、しっかりメニュー表に載っています。メニュー表を作る中で「湯豆腐」もグレードアップ。緑色のおもちゃをネギに見立て、彩りが増しました。

レストラン開店!

メニュー表ができたところで、いよいよレストランがオープン。私はお客さん役で、4人は店員さんになりました。マイカがウェイトレス役。3人は何やら厨房?バックヤード?で絵を描いていました。

「まさか、家から徒歩30秒のところに新しいレストランができるとはなぁ〜!早速入ってみるか〜!」と、どこかショートコント風に店内へ入る私。食べ物や飲み物を大量に注文すると、「それじゃあアンタ、太るよ!」とマイカからツッコミを入れられてしまいました笑

↑画像は「鮭のバター焼き」(これもココミが提案したメニュー)と、さらにグレードアップした「湯豆腐」。最初、私はピンポン球が別のお皿に乗せられていたため、それを単体で食べる素振りをしてしまいました。すると、こどもたちから「なんでそのまま食べるの〜!?」と総ツッコミ。これは卵の黄身を模していたようで、湯豆腐に入れて欲しかったとのことでした。「あー!ごめん!!湯豆腐に入れますー!」と言って撮った写真が上のものになります。

「無料キャンペーン」をめぐるやり取り〜遊びの転換点、再び〜

こどもたちは、何やら話し合いを始めました。

ココミ「そうだ!無料キャンペーンとか、やってみたらいいんじゃない?」
ミドリ「それ、いいねぇ!」
マイカ「スタンプカードみたいにしたら良いんじゃない?」
ココミ「そうだ!2月9日は『肉の日』だから、この日にキャンペーンをやろう!今日は2月22日だけど、遊びの中では今日が2月8日で、明日がキャンペーンの日にしよう!」

こうして、リカやミドリ、ココミでポスターづくりが始まったのでした。店名は、私が遊びの冒頭、マイカの苗字に因んで「『レストランわたなべ』ってのはどう?」と提案したのがこどもたちにヒット?したらしく、「『レストランわたなべ』よりも『わたなべ屋』のほうがしっくりくる!」とこどもたちがアレンジして決定しました。

こちらがココミが描いたポスター。「先着20名様まで」という文言が添えられています。
このキャンペーンを受けて、マイカは私に次のような相談を持ちかけました。

マイカ「でもさぁ、オープンしたばっかりだから20人もお客さんが来るのかなぁ?18人とかしか来なかったらどうしよう?」

私「でも、新しいお店がオープンしたら、どんなお店かな〜ってたくさんの人が来るんじゃない?」

マイカ「それはそうなんだけど、そのお客さんたちが来続けてくれないとダメじゃない?」

なるほど!マイカは2月9日のキャンペーンだけを考えていたのではなく、その後のお店の経営にまで目を向けていたのでした。

こうして、無料キャンペーンの期間は「10月10日まで」延長されることに!なんと太っ腹なキャンペーン!マイカの話を聴きながらその場でポスターにアレンジを加えたココミの対応力にも感動しました。

ポスターづくりと新メニュー開発〜再び生まれたのだと遊びの転換点の拡張〜

リカとミドリもポスターを作成。

こちらはミドリが作ったもの。カラフルでインパクトがあります。「ルール しゃしんOK!!」という記載は、私がこどもたちに許可をとって撮影していたことへの返答でした。快くオッケーしてくれたミドリをはじめとしたこどもたちに感謝です。

リカは「私、絵が下手だから…」と話していました。冒頭に書いたココミに向けていた鋭い視線や、日頃私に向ける、文字化するとトゲトゲした言動(と、その裏返しで示される「こっちに来て!」というメッセージ)や絵のタッチから窺えるリカの姿は、きっと内側にある優しく柔らかく細やかな心を護るためのものであるように感じています。「私、絵が下手だから…」と言いつつもポスターを見せてくれた姿からは、勇気を出して「描けたよ!見て!」という思いが伝わってきました。ちなみに、空や雲のモチーフは、ミドリとリカで共通しています。2人で話し合いながら表現を膨らませた軌跡であるように感じました。

さらに、新メニューも誕生。ミドリが作ったのは「おひさまフルーツポンチ」。ココミが提案した「フルーツポンチ」というアイディアを含んで越えて、新たな表現が生まれたのでした。

また、このミドリの表現から着想を得たリカは、スポンジボールとチェーンリングを組み合わせて「ひまわりカップケーキ」という新メニューをつくりました。

やがて外遊びに出かけていたこどもたちが帰ってきたため、自然消滅的にこの遊びは終了。「また続きをやりたいから、ポスターを取っておいてね!」と、こどもたちからお願いされました。

まとめ〜まだ、どちらの側にも実現されていない「現実」の未来図に加わる瞬間〜

今回のレストラン遊びはココミとリカの微妙な対立関係からスタートしました。しかし、

○ココミの「湯豆腐」という提案
○同じくココミの「無料キャンペーン」の提案


という2つの転換点を受けて、それまでの「平常通り」(このエピソード以前にも見られた遊びの文脈や、それまでの関係性)が崩れ、そこから新たに対話や共創造が生まれていきました。

確かにココミは様々な提案をしました。しかしそれはあくまで提案であり、命令ではありません(それに、他のこどもたちも断ることは十分可能でした)。また、ココミ自身、自分の提案がきっかけでこのような一連の〝動き〟が生まれることは予測出来なかったはずです。したがって、ココミの提案によって「まだどちらの側にも実現されていない『現実』の未来図に加わる瞬間―対話における想像的な瞬間―」(ケネス・J・ガーゲン『あなたへの社会構成主義』ナカニシヤ出版、2020年)が生まれ、それを契機として、まるで水溜りに投げ込まれた石が次々と波紋を生み出すような遊びの〝動き〟が起こったのだと捉えることができるのではないでしょうか。

なお、協働・共創造は全くのゼロベースから生まれるとは考えていません(そもそも、完全な虚無から想像や創造は生まれるのでしょうか)。例えば今回の事例では、こどもたちは未知の〝動き〟を生み出すべく、それぞれが持っている知識や経験を注ぎ込んでいました。具体的には、「湯豆腐」「焼き豆腐」「フルーツポンチ」「2月9日は肉の日」「集客のために店が用いるストラテジー」「その子なりの色彩感覚」「関係性をめぐる暗黙の知」(どのように他者と共に在るか)など。これらが複雑に入り混じりながら一連の遊びの〝動き〟(敢えて名前をつけるなら、「レストランごっこ」になるかも知れません)が生まれたと考えるならば、既存の知やそれぞれがこれまでの人生において培ってきた暗黙知のようなものと、未知のものを協働・共創造することは矛盾しないどころか、むしろ密接に結び付くように思います。では、このような瞬間を契機として生まれた〝動き〟は、どのようにして維持・持続されるのか…。このことについては、また別の機会に考察したいと思います。

何気ない遊びの〝動き〟。けれど、それを紐解いていくことで、たくさんの発見があります。何気なさ故にスルーしてしまうのか、あるいは一連の〝動き〟の末端だけを捉えて「このような遊びをしました。以上!」としてしまうのか、それとも〝動き〟を生み出す創造者としてのこども観を持ち、一瞬一瞬に目を見張ろうとするのか…こどもたちと共に在る存在の在り方が問われるように思います。今度はどんな〝動き〟が生まれるのか、楽しみです。

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