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切貼民話@山梨県市川三郷町 表門神社

今回もブログをご覧いただきありがとうございます。世界で唯一(おそらく誰も名乗っていないため)の「切貼民話師」、ゆーだいです。

今回は、山梨県市川三郷町にある「表門(うわと)神社」を訪れた際のレポートと、そこで生まれた切貼民話たちを紹介します。

いざ、表門神社へ!

まずは市川三郷町にある表門神社をフィールドワーク。最寄駅はJR身延線の芦川駅。神社は駅から程近いため、車がない私にもありがたい民話スポットです。

こちらが身延線の芦川駅。甲府駅からは30分〜40分ほど。

こちらが表門神社の鳥居。くぐってすぐのところに2つの石が対になるように置かれていました。神社の文化には詳しくないため何を意味するのか分からなかったのですが、とても興味深く思いました。

表門神社の鳥居。その奥には…
2つの石が対となって置かれていました。狛犬的な役割なのでしょうか?

こちらは石鳥居。「造られた時代は鎌倉時代と推定される」と記されていました。

こちらが表門神社の石鳥居。
鎌倉時代に造られたとのこと。すごいなぁ…!

神楽殿越しに本殿を撮影。鮮やかな神楽殿と厳かな雰囲気の本殿のコントラストが素敵。

神楽殿越しに本殿を臨む。
ここに書かれている大工の作品と思しき彫刻が本殿に彫られていました。

「夜鳴き鴉」

この表門神社には「夜鳴き鴉」という民話が残っているとのこと。切貼民話のフィールドワークで毎回お世話になっている「YAMANASHI DESIGN ARCHIVE」には、次のように書かれています。

[概 要]市川三郷町上野にある表門神社にまつわる話。昔、文殊の社の屋根に名高い彫刻師が彫った鴉像があったが、あまりの腕前に夜になると鴉が鳴いた。そこで、弓の名手でもある神主が鴉像の目を射たのでそれからは鳴かなくなったというお話がのこされている。この地は、鎌倉時代の弓の名手でもある浅利与一(義遠)の本拠地でもあることから、浅利与一だけでなく、後に続く弓の名手の言い伝えも残っているのかもしれない。

「YAMANASHI DESIGN ARCHIVE」より抜粋

実際に「夜鳴き鴉」と思しき彫刻は見当たりませんでしたが、本殿に施された素敵な彫刻を発見。このクオリティーなら、確かに生命が宿っていそうですね。

「夜鳴き鴉」と思しき彫刻は見つからなかったものの、こちらの龍?鳳凰?のような作品を見つけました。

表門神社周辺をフィールドワーク

こうした民話が伝わる表門神社の周辺をフィールドワークして切貼民話の素材を集めました。自然物・人工物問わず、直感的にビビッときたものたちを撮影していきます。

環状に葉が付いたこちらの植物。なんだか神聖な感じがしますね。
こちらは切り株なのですが、その周辺には、もともとは1つの樹だったのか、他の切り株?根っこ?が翼のような形になっていました。
神社の裏の茂みで見つけたトゲトゲの植物。
木の幹には竜巻のような形の模様が。グラデーションのような色彩は自然が生み出した神秘!
神楽殿の階段には、取れてしまったと思しき紙垂が置かれ、その上に石が乗せられていました。こうした偶然生まれたと思われる事象も切貼民話の大切な素材となります。

他にもたくさんの素材が集まりました。
これらの素材を印刷し、おおよそ輪郭に沿って切り取ったら準備完了。いよいよコラージュしていきます。

完成した切貼民話作品の紹介

あれこれ素材たちを組み合わせて並べ替えて…を繰り返し、5つの作品たちが生まれました。

まずは「夜鳴き鴉」に因んだ切貼民話を2つ紹介します。

「ヨゲンノヨナキガラス」。新型コロナウィルスが感染拡大する中で話題になった「ヨゲンノトリ」は、甲斐国市川村(現山梨市)の名主・喜左衛門が記した「暴病流行日記」(1858年)に登場し、山梨県立博物館が2020年に紹介したことで話題となりました。民話に登場した「夜鳴き鴉」がなぜ夜鳴きをしたのか…その理由に着目し、「もしかしたら、人々に何かを伝えようとしたのではないか」と想像。きっと「夜鳴き鴉」はヨゲンノトリの仲間で、疫病の大流行を予知して夜な夜な鳴き叫び人々に伝えようとしたのかも知れません。
「夜泣き鴉」。夜鳴きから、赤ちゃんの夜泣きを連想し、幼くして天に昇った子鴉の魂が彫刻に宿り、毎晩夜泣きをしていた。親鴉は我が子を喜ばせようと食事やおもちゃなどを咥え、彫刻の前に備え続けたという。

元の民話は人間サイドに焦点が当たっていたため毎晩鳴き続ける鴉は迷惑な存在として位置付けられ、夜鳴きを鎮めた神主は英雄的な存在として扱われています。

「撃ち鶏(うちとり)」。聖なる森に棲むスナイパー。弓矢や火縄銃など様々な武器の扱いに長け、いかなる獲物も逃さない。

しかし、鴉の側に焦点を当てれば、夜鳴きをし続けた理由について想像する余地が生まれます。そして、人間中心の価値観から、自然との共存へと考えを膨らませるきっかけとなる新たな物語が紡ぎ出されていきます。このようにアナザーストーリーを創ることで視点が拡がり既存の民話の読み取り方に厚みが生まれることが、切貼民話の魅力の1つです。

「夜鳴き鴉」関連以外では、次の2つの切貼民話が生まれました。

「おもてな師」。最初、私は「表門」を「うわと」と読むことができず、「おもてもん」と読んでしまっていました。素材をあれこれ組み合わせているうちに、何やら「ウェルカム!」と迎え入れてくれそうな「コラー獣(コラージュして生まれた幻獣)」が誕生したため、「おもてもん」×「ウェルカム!」=「おもてなし」だ!と謎の閃きが生まれ、「おもてな師」と名付けました。この表門神社を訪れる人々を丁寧にもてなし、入り口や階段の段差で転ばぬよう手を差し伸べてくれます。一つ目で怖そうですが、とっても優しいです。
「跳ね駒」。山梨県には黒駒伝説があり、北杜市のあたりは名馬の産地だったそう。そんな黒駒の要素と、鳥居の奥にあった2つの石とを結びつけ、この「跳ね駒」が生まれました。聖徳太子を乗せた黒駒のように富士山を軽々跳び越すことができるよう、2つの石を使って跳ぶ練習をしています。夜な夜な「カコーン」という音が聞こえたら、それは跳ね駒の仕業。見られると恥ずかしがって消えてしまうため、遠くからこっそり応援してあげましょう。

「夜鳴き鴉」と「跳ね駒」が共存していたら、表門神社の周辺は毎晩ものすごく賑やかになりそうです😓笑

以上、5つの切貼民話の紹介でした。

まとめ

今回は市川三郷町の表門神社を訪れ、鴉が人間にとって迷惑な存在として扱われている民話のアナザーストーリーを生み出し、新たな視点を紡いでいきました。

次回は、同じカラスが登場しつつ、「夜鳴き鴉」とは対照的に、烏が神事において大切な役割を担ってきたという民話が残る山梨県韮崎市の當麻戸(とうまと)神社の切貼民話をアップ予定です。お楽しみに!

最後までご覧いただきありがとうございました☺️

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