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私はnoteを売らない

noteには、自分の記事を売るしくみがある。

だけど、私は売らない、と決めている。


売ったところで売れないから、ではない。

いや、確かにそれも真実ではあるけれど(笑)でもそれは、私が記事を売らない理由ではない。


「お金を稼ぐ」ということから、なるべく距離をとりたいのだ。


決して「お金が嫌い」なわけではない。

むしろ、激貧だった学生時代の経験から、お金はたくさんあった方が楽しいと知っているので、ややもすればお金がもらえる方向にホイホイ流れてしまう。

だからこそ、私は意識的に「お金から距離をとる」ことを、自分に課している。


お金というのは、「お金」という「モノ」のように見えるけど、実際はそれ以上のものだ。これは、ものの価値を測る「尺度」なのである。

そしてこの尺度は、たいてい他の尺度よりも圧倒的に強力だ。


たとえば誰にでも、100円ショップで「いらないものを買った」という経験があるだろう。

こういうとき、私たちの頭の中では「必要かどうか」という尺度が、「高いか安いか」という「お金」の尺度に負けている。


これと同じようなことが、世間には山のようにある。

たとえば婚活では「年収」がモノを言う。大事なのは人柄だよね、とか言いつつ「年収1000万円」はそれだけでモテるし、「300万円未満」は最初の画面で除外されたりするらしい。

これは「素敵な人かどうか」という尺度が、「お金」の尺度に負けている。


他にも、何かやるべき仕事があるときに「お金がもらえないならやらない」とか「いくらもらえるならやる」という話になったりするが、これも「やるべきかどうか」とか「やりたいかどうか」とかいう判断が、お金の話にすり替わっている。

こうして、私たちは「お金」のために、色々な価値を見失う。


何を隠そう、私も見失ったことがある。転職活動をしていたときだ。

最初は「やりたいことができるか」という基準で仕事を探していたはずなのに、色々な条件を比較検討しているうちに「年収」が気になり始め、気がついたら、たった数十万円の差額で「年収が高い方にしようかな」などと思っていたのだった。


こわーい。

価値基準を「お金」の尺度にのっとられていたことに、危うく気づかないところだった。

(ちなみに私の場合、このときに「仕事を給料で選ばない!」と強く決意したせいで、その後、転職のたびに年収が下がるという驚きの展開をみせている。)


そんなわけで、私は自分がお金に引っ張られやすいだけに、意図的にお金と距離をとるようにしている。

お金という尺度だけでものを判断しない。

自分にとって、ほんとうに大切な価値基準を見失わないように。



ついでに、お金にはもう一つ、危険な作用があると思う。

それは、常に「他人にとっての価値」にふりまわされることだ。


特に自分が売り手の場合、買い手が「このお金と交換する価値がある」と思ってくれなければ、モノは売れない。

つまり、「お金」が示すモノの価値は、いつでも「誰かにとっての価値」なのである。

そして、お金を得るために、私たちは「誰かの価値」にすり寄ることになる。

存在しているだけで価値があるものだって確かにあるはずなのに、誰もそれにお金を払ってくれないとなると、まるで価値がないもののように感じてしまったりするのだ。

(モノだって、人だって、みんなそうだ)


だから、何かをお金に換算しようとしたり、何かに値段をつけて売ろうとしたりするときは、気をつけなければならないと思う。

お金を得るのと引き換えに、お金以外の価値の尺度や、自分にとってのものの価値そのものを、失っているかもしれない。


お金から意図的に距離をとる。

お金を稼ぐことに警戒心をもつ。

それは私にとって、自分にとってのものごとの価値を見つめ直すことでもあるのだ。


ちなみに究極的には、何も売ったり買ったりせずに、つまりお金で価値をつけたりつけられたりせずに生きていけたらいいな、と思っている。

まだ夢物語だけど、お金という地平から抜け出す方法を、この先もこっそり探してみたいと思う。


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