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こわいものはそれだけだった

2024.04.03
ペぎんの日記#3
「こわいものはそれだけだった」

プールの水
飲んだら死ぬと思ってた
こわいものはそれだけだった

盛岡第一高校 文学研究部 佐々木麻佑子さん


いつだったか、この短歌を見つけ、例のメモ帳に残していた。

当時(といっても半年前くらいだけど)、私はどんなことを思ってこの短歌をメモしたのか、今となっては覚えていない。

でも、おそらく当時の私も、この歌の不思議な魅力に惹かれたのだと思う。

何が魅力的なのか、ちょっと考えてみたい。と言っても私には短歌の知識など一切無いのだが…。



【短歌のプロフィール】
作者:
佐々木麻佑子(盛岡第一高校 文学研究部)
掲載先:
JR東日本の月刊誌"トランヴェール" 2024年8月号

プールの水
飲んだら死ぬと思ってた
こわいものはそれだけだった

色んなことに果敢に挑戦するくせに、変なことを物凄くこわがっていた自分の幼少期を思い出した。

「こわいもの」

ひらがなでの表記が、幼稚さとともに得体の知れないものに対する恐怖を連想させる。

「今日なんかお母さん怖いよ」
母親がイライラしていつもより怒りっぽくなったりしているのだろう。

対して「今日なんかお母さんこわいよ」
は、母親の異常性を感知した表現に感じる。何やら様子がおかしい。

漢字で書く「怖い」は知識として危ないものだと分かっている恐怖を、
ひらがなで書く「こわい」は本能的に嫌だけれども、自分への害を理解できてない恐怖を、心をえぐられるような恐怖を
示しているように感じる。

プールの水を飲んだら死ぬことは分かっている。でも、自分の中に取り込まれた水がどのように身体をを蝕み、自分がどんな苦痛を感じて死んでいくのかわからないから「こわい」のだ。

成長して、知識が増えたから「怖いもの」が増えた。
金属バットを持ったタトゥーのお兄さん、「心配だから家までついて行ってあげるよ」と言ってくるおばあちゃん、畑についてたヒグマの足跡、、、。

そして、普通を知ったから「こわいもの」が増えた。
目がやけに虚ろな人、テスト前に高笑いしてる友だち、家の廊下に急にできてた水たまり、、、。

「不思議」で済まされないような事になりそうな場合に「こわい」と感じるみたいだ。

でもそう考えると「こわい」という感情は、究極の「不思議」なのだから。

こわいものが増えるというのは、すごくワクワクさせられることなんじゃないかな。


あなたの「こわいもの」は何ですか?


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