人生における絶望は、常に自分が選択している。
生きていると、少なからず絶望に巡り合うことがある。
絶望のない人生、これはこれでどうなのか?
楽で、特に苦労しなかった人生は、良いように思えるがどこか味がしてこない。
そんな人はほとんどいないだろうが。
大小様々な絶望をどんな形でも乗り越えていった人たちが寿命を伸ばし、どんなに嫌なことがあっても生きて対抗しようと頑張ってきた人たちが人生を全うできる。
明けない夜はないなんてよく言ったもので、どんな絶望も明けないことはないと思う。ここでの明けるというのは、良い方に転ぼうが悪い方に転ぼうが、どちらにせよ絶望は形を変えて姿を消し、また人生において違う姿となって目の前に現れる。
絶望は生きていく上で、切っても切り離せない関係なのだ。
時々、その絶望を他者や環境のせいだと嘆く人がいる。自分もそうだった。
うつになったのは今までの環境のせいだと、自分は特に悪くないみたいな言い方をしていたことだってある。
それでも今思うのは、どんな絶望も自分が選択して起こっているということ。
というよりも、絶望を人任せにしていると前に進めない。
自分は何もせずに、絶望をただぼーっと見ているだけでは何も好転しないんだなと気づいた。
自分の周りの環境や人物は、願っているだけでは何も変わらない。
その環境に属すことを選んだ自分の選択をまずは見つめ直す。
違う選択肢があるのか?すぐに行動に移せるのか?多少我慢できるのか?
その絶望は自分にどのくらいのダメージがあるのか?
とにかく最初は考え、答えが出かけてきたらすぐに行動できる足を持つ。
ここでの行動はそんな大袈裟に捉えなくてよくて、逃げることだって立派な行動になるし、我慢できる範囲を見誤ると、割とすぐ潰れてしまうこともしばしば。繊細な戦いなんだが、絶望から目を逸らすのはダメだ。
とにかく絶望に真正面から、自分の体が保つ範囲で体当たりする。
そしてその絶望は自分の選択次第で天国にもなり得るということを知っておけば、ずるずると引きずることも減るんじゃないかと思う。
そしてもう一度言いたい。明けない夜はないということを。
サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。