ペケ

曲を作って絵を描く中二病兼、ボカロP

ペケ

曲を作って絵を描く中二病兼、ボカロP

最近の記事

3Dプリント作品展示と3Dプリンターのデモンストレーション

明日!

    • 大晦日の駄文

      久しぶりの更新 文を書くのも中々に好きなんだが、最近はCADやら3Dプリンターと遊んでいたのでね。音楽もちゃんと作っています。昨日丁度「百鬼夜行と白痴のブルース」という曲が出来ました。1月中にはMVこしらえてアップします。 2023年は ・IKKYU ・banboo lance ・晴天注意報 ・ルーネベリタルト の4曲+コピーライブの為に6曲か、まだまだ足りんな。 後は熱溶解積層で仏像を150体くらい作ったか。 3Dプリントで造仏することにそれなりに意味があるし、意味なん

      • 霧の中の戯言

        非常に頭が回らない。理由ははっきりとしていてコロナ羅患後のブレインフォグというやつだ。ましてや最近まで息切れ、動悸とかもあってまぁまぁいやーーな感じだった。ただでさえ乏しいやる気が一層削がれて、さぁどうしようかと言ったところで、先週指した将棋の棋譜を思い出している。居玉の相がかり的でハラハラ楽しかったがもっと良い手はあったな。 全ての境界とマテリアルが曖昧になってぼやけては、ぬめぇ〜ってなってる世界は非常に外力に対して鈍感で心地良さまであったがそろそろオサラバしたいので、誰か

        • 茹だる

          先日のボカコレ2023夏に投稿した「晴天注意報」聴いてくれた方、コメントくれた方ありがとうございます。作ったら大体忘れる事が多いから大体ですが、ちょっと茹だった脳みそをほじくって書いてみますか。 何となくいつもの道をいつもの速度で渡っている時に何となく思いついて、メロはメロディアスでコード進行はシンプルかつ分かりやすい形で暑苦しさを加えて、最後に希望をひとつまみ。てな感じでいつも通り歌詞から書いてpcに向かうと意外とすんなり出来たな、特にbメロの「メーデー」のとこは本当にすん

        3Dプリント作品展示と3Dプリンターのデモンストレーション

          無理にツナグベカラズ

          この記事はまぁ誰にとって有益な情報とか、見ればためになる〇〇!とかそんな大そうなものではなくて、自身の脳内垂れ流しテキストである。(それでもよければ読んで、嫌なら回れ右) よく通わせてもらっている茶屋の亭主が「珍しいからといって飛びついてはだめだ。自分がそれを本当に欲しているなら、それを選びなさい。」と言っていたのを聞いてひどく感銘を受けた。俺は音楽を作るにしても、絵を描くにしても「スパイスとしての変な音、変な事」をよく入れて、しまいには結果、スパイスがメインの激辛とんちんか

          無理にツナグベカラズ

          寿

          いや~、春ですね。めでたいですね、何でめでたいのでしょうかね。 桜が咲くからでしょうかね、ポカポカしているからでしょうかね、虫たちが動き始める啓蟄故、我々も説明し難い高揚感とエネルギーに満ち溢れるのでしょうか。 学生の頃感じなかったセンチメンタリズムをこの時期に感じるのは、成長?老い?(現26歳) まぁなんと形容しても良さそうだ。だって「めでたい」のだから。 今回は何の話かというと、祝辞に近い。お付き合いくださる方は、そのまま。それ以外の方は回れ右! 俺は先生でもなければ

          仙人への憧憬

          「仙人」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。山に籠り、髭を蓄え、白髪を結い、余分なものは採らず、基本自給自足で暮らす老人。 そんなイメージだろうか。 まぁ万物に言えるがそれぞれがそれぞれのイメージを持っているだろう。 僕が仙人への憧憬を抱いたのは、漫画「NARUTO」とジョン・ケージの存在がかなり大きい。 「井の中の蛙」編 NARUTOを読む前の仙人観は所謂、世捨人的だった。欲もなく、瘦せこけ、最低限生きている、そんな仙人観だった。 ところがどっこい欲まみれではないか!なん

          仙人への憧憬

          「間」の感覚

          「白と黒、デジタルとアナログ、生音と打ち込み、仕事と遊び、ポップソングとジャズ」万物は明確な境界を持ち存在している様に視えるレンズを外し、融け合い作用し合う=「ぼやけた風景」世界を視る、聴く。 ぼやけて→かたまって→ぼやける 歴史を浅く辿るだけでも「宴」や「音楽」や「言葉」、はたまた「愛」や「憎悪」など無形な「ぼやけたもの」が世界を動かしてきた(と思っている)。 浮世絵などで見られる、有り得ない程の波しぶきや酒池肉林と遊女、妖怪などが示すように我々は「形が在ると言えば在る

          「間」の感覚

          KAKIZOME

          餅は喰いましたでしょうか? 雑煮は喰いましたでしょうか? お節料理は喰いましたでしょうか? 酒池肉林な正月を過ごしている方もいらっしゃると思います。 まぁ私は相変わらずシンプルに欲にまみれた日々を過ごしておりますと。 今年の目標など胎児の時からないので(何故ならやりたいことに時間的境界は無いし変化し続けるから)茶を飲みながら音楽を作って、煩悩は捨てきれず、時計仕掛けのオレンジに感動し、過ごして行くことでしょう。 とりわけ今興味があるのは「一休宗純」 この人本当に最高なので

          KAKIZOME

          碗で茶を飲み、銅で酒を飲む

          2022年トキメイタ音楽 言わずもがな、私の敬愛する平沢進師匠。 また名曲を産み落とされました。 アニメ「平家物語」のオープニング曲で、知人のオススメで聴き、アニメ・曲共に感激。 歌詞 "最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても" 平家物語に限らず我々もそうなんだよね。 碗で茶を飲み、銅で酒を飲む タイムラインに流れてくる宣伝や仲間増やしの為の「ネタツイ」や「下品な色をしているエナジードリンクとDAW」「明らかにアルコール飲料と分かる缶と液晶」に嫌悪感と違和感

          碗で茶を飲み、銅で酒を飲む

          音楽の話と尊敬するボカロPの話

          ジョン・ケージへの憧憬 アメリカの音楽家でキノコ研究家の側面も持つ人で、恐らく皆に良く知られているのは「4分33秒」という曲だろう。簡単に言うと楽譜が全て休符で組成されており、演奏者はピアノの前に沈黙するのだ。観客の足音、声、室外機の音、木々の音、観客の怒号、野次、くしゃみや咳払いまでも「音楽」というわけだ。 私はそれらの事を「空間が時間方向に進むのならばそれは音楽である」と解釈しており、自身の楽曲にもその影響をしっかりと受けている。 例えば、ため息や妖艶な女性的声、リズム

          音楽の話と尊敬するボカロPの話

          切り取られた風景が好きという話

          借景 日本庭園や中国庭園における造園技法で「庭の構成に背景景観を取り入れる」というもの。つまり、遠くの山や川、木等も風景として取り入れ一つの「デザイン」或いは「空間」として記述し感じることである。 代表例で行くと茶室の円窓だろうか。 比較的狭い茶室の円窓の外には四季折々の自然があり、それを円と数本の格子で切り取っただけで、何とも言えぬ奥行つまり、「空間の解像度」を感じることが出来る。 こんな所にも借景 もしかしたら原則としての"借景"とは微妙に異なるが自身は以下のような

          切り取られた風景が好きという話

          「   」

          何も書かないより、きっと書いた方が良い。 「伝わるか」は別として「伝えたい」は、単なる自身のエゴなのだからどうしようもない。そのエゴで少しでも、自身の作品への考えや憧憬や愛が届けばと思います。エゴサイコー。 「ペケ」の由来 ボカロPを初めてから名乗っている名で、「身体性」「精神性」共にペケだらけだからである。身体性などある程度捨てられる世界ではあるが、とりあえず何もかもペケだらけで、少しずつ拒絶され、許され、ほどほどに迎合し生きている。 スキナコト 移ろいゆくので実体

          「   」