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理想の定規を探して

中高年の恋愛について意識したことと、インドカレー店で心が暖かくなったことについて

これは、わたしが理想の定規を探しにホームセンターへ行った日の、ほんとうにあった出来事です。

とある月曜日のお昼どき、わたしは某ホームセンターの革工作用工具売り場にいました。翌月に計画している某書店での革工作のワークショップの準備のための工具を求めて、自転車を6km漕いで川を渡り『市内随一の品揃え』と謳う、このホームセンターへやってきたのです。

ホームセンターは、敷地面積22,400㎡(およそ東京ドームの半分)と、広大です。
早速2階の革用工具売り場に行くと、そこには様々な革用工具と、カシメやハトメなどの革製品につける細かいパーツが、所狭しと並んでいました。
ワークショップは革紐で工作をすることを計画しており、探しているのは家にある革を革紐に仕立てたいための、革を細く長く真っ直ぐに切るためのガイドとなる定規でした。
今までは紙用の定規を革に当てカッターナイフで革紐を作っていたのですが、それだと定規の下で革が安定しないため切り口がヨレたりして、上手くいかなかったのです。噂に聞いた初心者でも革を真っ直ぐに切れる定規は本体が2枚になっていて、上下から革を挟んで安定させて真っ直ぐに切るというもの。
しかし、売り場にそれらしきものは見当たりません。

店員さんに声をかけて事情を説明すると、そのような工具はどこかにはあるが、このお店には無いとのこと。
どこかとはどこだろう。
前もってネットで調べても見当たらなく手に入らなかった理想の定規は『市内随一の品揃え』という、この店にも無かった。それならば市内随一ではなく、県内随一とか、都内随一の店を探さなければならないのか。

あるいは定規が見つからないのであれば家にある革を紐に仕立てるのではなく、最初から紐になっている革を使うとか、考え直さなければならない。
わたしはひとり革用工具売り場に佇み、革紐を手に取っては戻したり、ついでに使ったら良さそうな金属製の小さなパーツをジッと見つめて考えを巡らせていました。

どのくらいの時間が経ったでしょうか。
ふと気づくと同じコーナー内のほど近い所にダンディーなロマンスグレーの男性がおり、わたしと同じように革用のパーツを吟味しています。しかも悩めるわたしと同じくらい長い間、革工具コーナーで逡巡し、パーツを決めかねているのです。
「革小物を作るひとなのかな。革好きなひとはこだわりが強くて、相当にパーツを吟味するんだな」
と思ったわたしは、そのまま更に自分のすべきことを続けました。
革紐になっている革を買おうかな? と思っては革紐コーナーへ回り込み、あの太さの革紐ならどのカシメがいいかなと思ってはパーツコーナへ戻り、ぐるぐると革工具コーナー内を迷い続けました。
するとロマンスグレーも同じように革紐コーナーやパーツコーナーへと、行ったりきたりを繰り返すのです。
「どんだけパーツで悩むんだよ。このひと決断力ないな」と、少し思いましたが、買い物にどんなに時間をかけようと個人の自由だし、迷うこと自体を楽しんでいるのかもしれない。いずれにしても、わたしに何か思われる筋合いはロマンスグレーにはありません。

わたしは更に、革用工具コーナーで考えを進めました。
革紐になっている革を買うのは、やめました。家にどうにかすれば紐になる革があるのに、更に革を増やしてどうする、と思ったからです。
革を革紐にするための理想の定規が無いとすれば、もしかしたらカッターナイフではなく革用の包丁(革を裁断するには『包丁』と呼ばれる独自の刃物があるのです)を手にすれば魔法のように、真っ直ぐな革紐が作れるのかもしれない。
そう思ったわたしは、今度は革用包丁が並ぶコーナーに移動しました。
するとロマンスグレーも、そのコーナーについてきたのです。

「もしかして」
わたしは思いました。
「これって、中高年の世界にもあるというナンパで、このひとはその機会を伺っているの??」
それにしても物好きだな、と、続けてわたしは思いました。
わたしはどちらかというと自分の見た目を磨くことに興味が無く、更にこの日は6km離れた場所への遠出であり知り合いにあう確率もゼロに等しいため顔にファンデーションすら塗らず、前夜仕事の締切がキツいのを言い訳に入浴をサボったため油っぽくなった髪をニット帽に押し込み、自転車での遠出に備えた男女兼用のジャンパーを着ているという、お世辞にも色気のある出立ちではなかったからです。
「ごめんね」
わたしは更に続けて思いました。わたし恋愛に興味無いんだよ。

ロマンスグレーが声をかけてきたら断ろうと思いながら、わたしは革用の包丁を買うことに決めて、ちょうど良さげな大きさのものをフックから外そうとしました。が、包丁はタグのところに何故か細いプラスチックの長い紐がついており、それが隣の包丁にもついている紐と絡まり合っていて、どうしても外せません。
知恵の輪を解くようにしばらく格闘したあと、仕方ない店員さんに切ってもらおうと、わたしは早足でレジへと向かいました。
そしてハサミを持った店員さんを伴って革工具コーナーに戻ろうとすると、先のロマンスグレーがレジの方へ小走りに来るのとすれ違いました。
「もしかして」
わたしは思いました。
「このひと、万引きGメン?」

その考えが確信に変わったのは、レジからハサミを持って革工具コーナーに同伴してくれた店員さんが革用包丁をわたしに渡してくれず、レジまで付き従うようにわたしについて来たからです。
わたしを客観的に見ると、細かい高価なパーツの無数にある革用工具コーナーに長時間佇み、あげく少し値段の張る革用包丁の万引き防止用の結束バンドを必死に外そうとする、ニット帽を目深に被った人物。うさんくさいこと、このうえないことだったでしょう。
またレジの店員さんが包丁を渡してくれなかったことから、2者の間では要注意人物として、わたしについて無線でやりとりがされていたことも想像できます。

お金を払ったことで疑いから解放されたわたしは、一応と思って革用工具コーナーではない、別のフロアの工事用の工具コーナーの、更に定規コーナーに行きましたが、そこに理想の定規はありました。上下から圧力をかけ切りたいものを安定させる定規で切るものは、革には限らないためです。
だったら真っ直ぐ切る手段として買った包丁はいらなくなるのですが、これを返品したら、わたしは『万引きしそうに見えたひと』から『万引きを失敗した万引き犯』と、ホームセンター側にはとらえられると思い、包丁は返品しませんでした。
それにしてもですが、一番最初に店員さんの言っていた『そんな定規はどこかにはあるが、この店にはない』の『どこか』は、こんなに近くにあったのです。
店員さんの言う『この店』を革用工具売り場だけではなく、ホームセンター全体だと思ったわたしに敗因はあるのでしょうか。

こちらが理想の定規です。エクスカリバーを入手した気分でした。

その後、あまりにもお腹が空いたので、ホームセンター内にあるカジュアルな雰囲気のインドカレー屋さんに入りました。
2種のインドカレーと、それにサラダがついてくるセットがありましたが、野菜は夜にたくさん摂ることにして、2種のカレーセットのみの食券を買いました。
カウンターにはインドから来た感じの美しい黒い肌をしたシェフがおり、食券を受け取ると『2つ選んデ』とカタコトの日本語でメニュープレートを示してくれました。
そこには月火水木金土日と縦に枠が並び、それぞれに
月)チキン・ポーク 火)キーマ・ポーク というようにカレーが2種ずつ並び、その隣に・野菜、と書かれていました。
サラダは注文していないので、野菜は無い。
それでは月曜日に月)チキン・ポークと書かれている2種の中から、どうやって2種を選べばいいの?

あ、そうか、とわたしは思いました。
昨今あまり、そんな書き方は見かけなくなりましたが、仕様書や企画書などに項目分けとして、1)2)3)と書くところを月)火)水)と示す書き方があったのを思い出したのです。
古風な書き方ではあるけれど、外国のひとからしたらこの書きかたがわかりやすいと思ったのかもしれないよな。

そこでわたしはチキン・ほうれん草と書かれた「木曜日で」と注文するとシェフは「今日は月曜日ヨ」といいました。
「え、だって2種しかないのに2種どうやって選ぶの?」と聞くと、「野菜もあるネ」と教えてくれました。
野菜とはサラダのことではなく野菜カレーのことで、それぞれ曜日ごとの3種の中から2種を選ぶシステムだったのです。
そこでわたしは月)に書かれたチキン・ポーク・野菜の中からチキンとポークを選び、美味しくカレーをいただきました。

一連の顛末から午後2時をすぎていたその時間、インドカレー店には、わたししかいませんでした。
食べ終わってもシェフはスタッフと厨房の中で何か楽しそうに談笑しながら料理をしており、無言で立ち去るのもしのびないため、わたしは厨房と飲食スペースを仕切るガラス越しにシェフたちへ『ごちそうさま』の意味をこめて片手をあげ、あいさつしました。
するとシェフとスタッフは笑顔と共に両手を合わせて『ありがとう』を送ってきてくれました。
『片手あいさつ』対『両手あいさつ×2人』。
わたしの完敗です。
丁寧に気持ちを伝えることは大切だな。
わたしは暖かい気持ちになって、家路へとつきました。


こちらが理想の定規の成果と、入手したが今のところ使う宛のない包丁です

家にある革は理想の定規によって細い革紐になり、今は粛々とワークショップの準備を進めております。

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