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関西ハードコア

関西NO WAVEの中心的人物が関西アンダーグラウンド・シーンの重鎮、故・林直人で、当時、「アウトサイダー」というミニコミを発行・発信しており、その拠点が、大阪阿倍野にあったボロボロのジャズ(ロック)喫茶「マントヒヒ」だった。「マントヒヒ」は決してライブハウスと呼べるものではなく、ジャズ喫茶という名目で営業していて、天王寺とあいりん地区の間くらいにあった店で、防音なのか壁に発砲スチロールみたいなんがむき出しで、ようあんなところでバンドを演奏させていた。憂歌団とか阿部薫なんかがかつて拠点にしてた老舗だったが、ドラムを置くとこ無いくらい狭い店だった。林直人レーベル「アンバランスレコード」の拠点もここで、80年代初頭ラフィンノーズ、モホークス、ナシといった面々がここで演奏していた。
ラフィンノーズは、日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動しており、メジャーデビュー前である1980年代前半から、THE WILLARD、有頂天と並び、「インディーズ御三家」といわれる程の人気を博した。この「インディーズ御三家」という名称こそが、現在日本語として「インディーズ」という単語が浸透するきっかけとなっている。バンド名の名付け親は初代ギタリストのアカベー。自分達でレーベル(レコード会社)「AAレコード」を設立し、音源を発売していた。また、インディーズシーンで活躍する他のバンドの音源のリリースも積極的に行った。インディーズでの人気を得た後、1980年代にはメジャーデビューし活動。当時の「バンドブーム」の先駆けとなる。1991年に一旦解散するが、1995年から(バンドの意思により)再びインディーズシーンでの活動を再開。日本を代表する「パンクロックバンド」の1つとして、増子直純(怒髪天)、難波章浩(Hi-STANDARD)、森若香織(ex.GO-BANG'S)、ATSUSHI(NEW ROTE'KA)、桑原康伸(ガガガSP)、峯田和伸(銀杏BOYZ)、JOE ALCOHOL(ex.THE HONG KONG KNIFE)、トール(ギターウルフ)、石坂マサヨ(ロリータ18号)、千秋(タレント)、吉田豪(プロインタビュアー)、など多くのミュージシャン他からもリスペクトを受けている

モホークス(Vo.SHIN:・Gt.MANGO・B.LOONY・Dr.WANGTANG)は、レコードも出しておらず、メンバーは流動的な神戸出身のバンドで、約3年程活動していた。当時としては、鋲打ちの革ジャンにメンバー全員が3本モヒカンでルックスもかなりハードコアで、関西のギグにはわざわざ東京でモホークスを見たパンクスが大阪に見に来る事も多かった。
その後、ハードコア派→MOBS(Vo.:KENJI・Gt.JOTARO・B.MOMO・Dr.SHIN)
Oi派→BAWS(Vo.LOONY ・Gt.WANGTANG・B.TATSUSHI )に別れる。
ちなみに当時放映してたバラエティ番組、突然ガバチョの『トサカの3兄弟』とはMOBSのVo.:KENJI、Gt.JOTARO、Dr.SHINの3人。

ナシは、ラフィンノーズ加入以前の岡村(PON)(B.)を中心に79年秋に結成された特異なビート感覚を持つバンドで、半年程の活動を経てKOSHI(Vo.G.)が加入し高速パターンへと進化していった。その過程は当時PONのベースがモールスベース(モールス信号みたいな矢継ぎ早のピッキングのベース)と呼ばれていて、更に80年代初頭の関西シーン中枢で常に一歩先から存在感を示していたKOSHIの毒の入ったヴォーカルとギター、当時最高速と言っても過言ではないビートを叩き出す敏腕女性ドラマーYONのドラムが加わったそのサウンドは正にハードコアパンク。
マントヒヒといえばあとはZOUO。元々は住之江の加賀屋公園でスケボーやっている集団だったが、ブームも去って、公園も潰れてリーダーのチェリーが後輩のデバソ(Gt.)、沖野(Bs.)、BUNBUN(Dr.)を誘ってバンドを始めたのがきっかけである。当時、チェリーらはナシの追っかけで、毎回ライブに通いつめてたが、暴れたりしてたから、他のバンドにアホって言われてたとか。

ちなみに、チェリーは、カネテツの広告にも出演していた。当時広告代理店のサラリーマンだった中島らもが梅田の246スタジオで見つけて採用したという経緯だが、中島らもとカネテツの当時同社の常務だった村上健(現会長)が灘中高時代の友人だからできた企画だろう。ちなみに246スタジオは梅田の東通り商店街にあって、円広志経営のスタジオである。
当時のハードコアパンクの箱としては「エッグプラント」が有名である。エッグプラントは、地下鉄四ツ橋線「花園町駅」をおりて大通りを少し南に下って右手にあり、黄色地に「EGG PLANT」と書かれた看板があった。「エッグプラント」といえばSOBである。「エッグプラント」開店直後くらいにワーミーでラリー(ex MOBS)とOiをやっていたトッツアン(Vo.)が始めた。メンバーはタンク(Bs.)、キン(Ds.)、カス(Gt.)。タンクはその後OUTOに入った。V.A.「Last Punk Osaka」が出たあたりで、セキ(Gt. ex BONES)、ナオト(Bs.※新谷がいたバンドで多分ex BRUTUS)、ヤスエ(Dr. ex SELTIC FROST)が入った。ナパーム・デス(NAPALM DEATH)、ブルータル・トゥルース(BRUTAL TRUTH)等のグラインドコアバンドに多大な影響を与えた。S.O.BはSabotage Organized Barbarian(サボタージ・オーガナイズド・バーバリアン)の略称であるがこの呼び名で呼ばれることはほとんどない。バンド名をつけたのはTOTTSUANで、結成当時、略語のアルファベットを並べたバンド名で考えていて、元々SOBというスラングが意味するところのSon Of a BitchからとってS.O.Bと言うバンド名にした。ただそのままだと面白くないと言う理由で、「Sabotage Organized Barbarian」の略=S.O.Bとした。最初にリリースした1stDEMO TAPEのタイトルは「Sabotage Organized barbarian」である。


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