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37.ZELDAが函館にやってきた

さてZELDAである。ZELDA(ゼルダ)は、1980年代から1990年代にかけて活躍していた日本のロックバンドだ。 メンバーが全員女性のガールズバンドの草分け的存在であった。女性グループとしてもっとも長い活動歴を持つことで、ギネスブックにも記載されている。バンド名は、アメリカの小説家、F・スコット・フィッツジェラルドの妻の名前に因んでいる。
1979年、日本のガールズ・パンク・バンドの先駆けであったBOYS BOYSのベーシスト小嶋さちほを中心に結成。新宿ロフトで初ライブを行う。1980年3月、小嶋が発行していたミニコミ「チェンジ2000」に出したメンバー募集に応募してきた高橋佐代子がボーカルとして加入する。当時高橋は中学生であった。同年12月、インディーズ・レーベルのジャンク・コネクションより1st.シングル『ASHU-RA』をリリース。
メジャーデビューは1982年、日本フォノグラム(後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント。現在はユニバーサルミュージックK.K.に吸収)よりアルバム『ZELDA』とシングル『ミラージュ・ラヴァー』を同時リリース。プロデュースは、東京ロッカーズのLIZARDのモモヨであった。なお、当時のメンバーは小嶋さちほ(ベース)、高橋佐代子(ボーカル)と鈴木洋子(ギター)、野沢久仁子(ドラム)の四人。1983年に、ギターが鈴木から石原富紀江、ドラムが野沢から小澤亜子に交替。石原はハードロック出身であるにも関わらず、テクニック面では「ヘタウマ」であったが、これが当時のZELDAの雰囲気に適合した。また石原のハーモナイザーを使用した独特のキラキラした音色と、インド音階を上手に組み合わせた中近東的なソロは、現在でも革新的である。私はそのギタープレイに夢中になった。今まで聴いてきた音楽ではギターテクニック至上主義のようなところがあって自分たちでバンドを始めようとは思っていなかったが、ZELDAに出会ってその考えは180度変わってしまった。自分たちでもバンドはできるんだ。サヨコの詞作や三つ編み姿も相まって「文学少女のニューウェーヴ」という趣で、埋め立て地に象徴される人口都市東京への嫌悪と愛情を多分に含んだ楽曲群は80年代当時の「東京」を象徴させるものだった。
 ジャパンのスティーヴ・ジャンセンを師と仰ぐ小澤は、古今のロックバンドのドラマーには珍しく16ビートを基調とした端正かつタイトなドラミングであり、シーケンサーの操作やシンセサイザーの音色作りにも習熟していた。そして、ムーンライダーズの白井良明をプロデューサーに、ゲストに鈴木慶一を迎えて2nd.アルバム『CARNAVAL』をリリース。ZELDAはニューウェーヴバンドとして不動の地位となった。  
ニューウェーヴは産業化したロックのカウンターとして、また閉塞感漂う社会状況から必然的に生まれたパンクも含めて、テクニックがなくても、音楽表現は可能である事を実践したムーヴメントである。演奏形態よりも姿勢・結果に重きを置き、2人組のユニット活動等も多かった。
私がZELDAに出会ったのはちょうどこの時期である。ある深夜番組でZELDAが出演しており、演奏は下手だったが、私に強烈な印象を与えた。早速2nd.アルバムの『CARNAVAL』を買ったのは言うまでも無い。それ以降、私はパンク&ニューウェーヴの洗礼を受け、日本のインディーズにはまっていった。
そのZELDAが函館でライブをすると聞いて私はまっすぐにチケットを2枚購入して、当時、バンド結成の話をしていた志村と一緒に行くことになった。ちょうど1986年。映画『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』に、メンバー全員が出演していた頃である。前年には、白井良明プロデュースの3rd.アルバム『空色帽子の日』をリリースした。このアルバムは「孤高の透明感」と絶賛されている。
ライブ当日、志村は何を考えたのかメイク一式を買いに行った。メイクをしてライブを見に行こうとしていたのである。グラムロックではないのに・・・変わったヤツだ。その間私はというと翌日に父が来て喫煙の説教を受けると言う最悪のタイミングにも関わらず、前々から買っていたチケットで払い戻しが出来ないこと。函館市民会館(ここ以外のライブは許可されない)で行われるライブであることを寮母さんに告げて説得し、ようやく夜間外出許可をもらった。その時の寮母さんの目はやるせないくらい呆れていたのをよく覚えている。
会場に着くとやはり女の子バンドであることからやはり女の子のファンが多かった。私はライブ前にTシャツを買ってノリノリだった。少しは明日の説教のことが気になったが、この際、徹底的に楽しもう。何せ人生を変えたバンドなのだから。知っている曲も、まだ知らなかった曲も合わせてステージはアンコールでの花のプレゼントであっと言う間に終わってしまった。 
ライブの帰り際、さっきのライブで花をもらった女の子2人組が出待ちなのかぽつんと立っていた。普段なら気軽に女の子に話しかけたりしない私であるが、このまま何もなく寮に帰るのが惜しかったので、
「その花くれたらお茶ごちそうするよ~~~」
と話しかけた。おそらく向こうも緊張していたんだろう。無言の時間がすこし経って、「こりゃ、ダメだ」と思った私は帰路に就いた。やっぱり私にはナンパは似合わない。苦手だ・・・

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