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デラドゥーンから来たタシ

2001年10月23日。数日前、夕食の席で同じボランティアのクミちゃんから一つ頼まれ事をされていた。クミちゃんによると、いつも通っている図書館の仏教講座に参加しているチベット人僧侶からPCに詳しい人が9-10-3に滞在しているので教えてもらいたいとの事。そこで私に相談してみたらしい。
「図書館の仏教講座に来ているチベット人のお坊さんが、9-10-3に今、パソコンに詳しい人がいると聞いたので紹介してくれって言われたんですが、話を聞いてみるとその人、ウィンドウズなんですよ。ノリちゃんはマッキントッシュだから、それじゃPEMAさんの事だと思って・・・」
パソコンに詳しいといっても私は単にCAD、それも自分が使いやすいCADを持ってきて教えているだけである。ウィンドウズ全般に詳しいわけではない。それ以前に何で私が9-10-3にいてパソコンが詳しいと言うことを知っているのだろうか?
「で、その人、紹介してもらってどうしようと言っているんですか?」
「どうもホームページが作りたいらしいのですけど・・・」
私は以前勤めていた会社の設計部の部分はHTMLを覚えて作った覚えはあるが、WEBの専門家ではない。しかも、THMLの参考書やマニュアルなど、全く持って来ていない。私がページを作ったと言ってもホームページビルダーなどのソフトを利用したわけではない。ハウツー本に付属していたCDをコピーして画像をちょっと変えたに過ぎない。果たして私が教えることが出来る相手だろうか?どうしたらいいんだ???
「以前勤めていた会社のホームページはちょっと作ったことはありますが、私はWEBの専門家じゃないですよ。果たしてお役に立つかどうか・・・」
「とりあえず、会ってやってもらえませんか?私には分からなくって・・・」
「じゃあ、23日の夕方に、連れてきてください」
TCVからの帰り、ダワ・ラの弟さんにバイクでマクロードから戻ってくると、
「ダワ・ラにいつでも待っているから来てくださいと伝えてください」
と言ったまま、直接9-10-3には戻らず、インターネットカフェに向かった。マクロードには、外国人旅行者が多いことから他のインドの地方都市に比べ、インターネットカフェは数多い。9-10-3でもインターネットカフェがあったがまだ開業準備中のようで使えない。私がよく利用していたのは
TIBET TOURA&TRABELS REGDという旅行会社が入っているビルの3軒となりにあるインターネットカフェだった。1時間で30ルピー(90円)。安い。
ちなみに住所は
Surya Complex,Temple Road
Mcleod GAnj-176919
Dharamsala H.P.India
である。
いつもそのインターネットカフェに行くと頬髭を生やした30前後のインド人が
「ハローーーー」
と言いながら席に案内してくれて、私がホットメールを使っていることと、日本人だと言うことを知っていたので、黙っていてもフォントを日本語に変えてくれ、ホットメールを開いてくれる。後に、日本人にもっと使ってくれるようにとの思いで、彼はカタカナで書いた「E-メール」の紙を私に見せて、「これでいいか?」と聞いたものである。
ここで私は以前在籍した会社のあるページをWEBごとコピーしフロッピーに保存した。もし、クミちゃんの言うチベット人僧侶がホームページを作りたいと言うのならそのソースを参考にしたいと考えたからである。HTMLを最初から記述していくのは大変である。私だってテンプレートがなければ作れない。後にNGOの高橋さんからドリームウェーバーやフラッシュなどのソフトの違法コピーをさせてもらったのだが、その当時はまだ持ってなかった。仮に持っていたとしても英語版である。クミちゃんの話によるとそのチベット人僧侶、英語がペラペラだという。こちらもそれなりの準備が必要だ。
待つこと暫し、クミちゃんの案内でその僧侶は私の部屋に入ってきた。
「タシデレ!!!」
と言うと、「チベット語が分かるのか?」という風に少し驚いたようだった。
軽く自己紹介をすると、彼はデラドゥーンから来ていて、今はカンチェン・キションの傍のメン・ツィー・カンに滞在していると言う。名前はタシ・カイラシ。
タシは吉祥の意味で「タシデレ」のタシだとは分かったが、後のカイラシが分からない。
「どういう意味なの?」
と聞くと、
「カン・リンポチェ(カイラス山)の意味ですよ」
と言う。誰が名づけたのだろう、縁起の良い名前である。
デラドゥーンから来たと言うから私が作ったミンドゥルリン僧院の巨大チョルテンの3Dモデルを見せてやると興味深そうに見つめていた。英語力はネイティヴなみである。しかもこれまで世界30カ国を周ってきたというではないか?支援者が多いらしい。
デラドゥーンはウッタランチャルUttar Anchal州(旧ウッタル・プラディシュ州の北部が近年分離)の州都であり、デリーへ少し戻ったクレメントタウンにはニンマ派総本山のミンドゥルリン僧院が再建されている。周囲をインド軍の基地に囲まれたこの僧院は台湾からの援助で建てたれたと言う話もあるが、インドで再建されたチベット仏教の僧院としては1,2を争うほどの立派な僧院である。また、この僧院には私をダラムサラに呼んだ建築家の中原さんが設計し、私がCADで3次元モデルを作ったインドで2番目に大きな仏塔(チョルテン)がある。ちなみにインド最大の仏塔はブッダガヤの大塔である。
ニンマ派はダライラマを擁すゲルク派と並び、チベット仏教の代表的な宗派である。ニンマ(古い)というチベット語はサルパ(新しい)という語に対してアティーシャの仏教復興以前から受け継がれてきた「古派」を名乗り、古代吐蕃王国依頼の伝統を保っているとは言うものの、やはりアティーシャの影響は避けられなかったと思われる。ともかくニンマ派の人々はシャーンタラクシタと共にチベット最古の僧院、サムイェー僧院の地鎮祭を執り行ったパドマサンババのタントラ仏教を信奉した人々で、有名な「チベット死者の書」はこのニンマ派の埋蔵経典(テルマ)である。ゾクチェン(大究竟)という教えがあるが、これはニンマ派の最高の教えであり、14世紀前半、ニンマ派最高の学者として知られていうるロンチェン・ラプジャンパ(1303~1363)によって「七蔵」としてまとめられた。現在は中央チベットよりも東チベット(カム)やネパール(主にドルポ地方)、ブータンで盛んである。また、出家しないで修行をする「在家行者」の伝統が強い。
その日はとりあえず、自己紹介とパソコンで何をやりたいのかということだけを打ち合わせして終わった。やっぱりホームページである。ネパールのドルポに行った時の画像も多いと言うし、自分の師匠の高僧の写真も載せたいのだと言う。
最後に、日本のことを少し教えてくれといったので、私がノートの片隅に北海道・本州・四国・九州を描いてやり、今は東京が首都だが、紀元710年から794年まで奈良が首都だったと言うと、それをくれという。まだ、日本には言ったことが無いようである。ノートを切り取って渡してやると、海老茶色の僧衣の懐に大事そうにしまいこんだ。
代わりに、私が図書館でどんな講義をしているのか聞いてみると、
「9時からの授業はチベット死者の書(バルド・ソドゥル)の授業で、11時からはシャーンティデーヴァの『入菩提行論』の講義があります。よかったら参加しませんか?」
それから数日間、ツェリン・ドルジェとロプサン・ダワ・ラにCADを教えるよりも、私が図書館の授業に通い、タシが私の部屋を訪れてフォトショップなどの画像処理ソフトを使った2人の格闘がしばらく続くことになる。

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