見出し画像

42.汗で作った塩ラーメン

高校生になって全国放送で母校の校歌を歌えるのは幾多の地区大会を勝ち進み、ハレの舞台、甲子園で勝利した高校球児の特権であるが、甲子園に行かなくても全国放送で校歌を歌う機会は存在した。
80年代に一世を風靡した「夕やけニャンニャン」なるテレビ番組をご存知だろうか?1985年4月1日から1987年8月31日まで続いたフジテレの夕方のバラエティー番組で、「おニャン子クラブ」生み出したのもこの番組である。この番組の特別企画で「甲子園に行かなくてもテレビで校歌が歌える」という企画が持ち上がった。2チームによる対抗戦で同じ高校に通う3人組がチームとなり、自分の学校の自慢を互いに言い合い、判定の末勝った学校が校歌を歌えるのだ。しかし、単なる学校自慢ではつまらない。そこで勝利のキーとなったのは各校のパフォーマンスである。
時は1986年。全国の各ブロック予選を勝ち抜いた高校が一堂に集まり、学校自慢と様々なパフォーマンスで競い合い、見事優勝したチームはタイトル通り自校の校歌を歌えるという企画である。この企画に北海道で一番早い卒業式でド派手なパフォーマンスを繰り広げる我が母校の生徒は飛びついた。確か一つ下の学年だったから26期生だ。今ではみんな42,3歳のいいオヤジであるが・・・当時は若かった。
企画が職員会議に持ち込まれたときには、毎年恒例の「高校生クイズ」の常連校で、1993年には全国制覇も果たしている鹿児島の兄弟校なら「これぞ母校の誇り」と胸を張れるのだろうが企画自体が悪ふざけでイメージを損なう格好の議題として反対の意見が大半をめ、PTAの会議でも反対されたそうである。しかし、そんな逆風の中、生徒の見方をして一肌脱いだのは亀浦神父である。普段は宗教の授業(一応カトリック系の学校だったので・・・)にロカの福音書を読んで聞かせる物静かな神父さんであったが、このときは北海道予選で、神父のいでたちで城之内早苗の「あじさい橋」を熱唱し、全国大会出場に大きく貢献した。
わが母校のチームが全国大会で披露したのは、青春のシンボル・汗の結晶をベースにしたラーメンを作る事であった。名付けて「青春と言う名のラーメン」。一生懸命に汗をかき、その汗を蒸発させて塩分を抽出、これをスープのだしとした塩ラーメンを作り、当時のラクロア校長に試食していただく、という趣向である。運ばれた時は怪訝な表情をしていた校長も、一口、又一口とすすり、やがて満面の笑顔で"Umm,delicious!"とお褒めになった。このインパクトが強かったのか、母校は全国優勝して晴れ晴れと全国ネットで校歌を歌ったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?