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23.あれ???スキー部が無くなっている(涙)

母校のサイトが新しくなっていたので「どれどれ」と見ていたらクラブ紹介のページに目が行った。そこで衝撃の事実が・・・
スキー部が無いのである。どこを探してもスキーのスの字もない。雪の少ない函館とはいえ一応北海道だ。スキーの本場である。まあ最近はスキーよりもスノーボードのほうが主流であるだろうが私にとってはそんなことはどうでもいい。青春の1ページを飾る思い出の部活動だったのである。その思い出のクラブが無くなってしまった。高校でないものはもちろん付属の中学にもない。そこでスノーボードならと思ったが、それもない。その代わり水泳部なんてものがあった。しかし、プールのない学校のどこで泳ぐんだ?もしかしてプール造っちゃったの?
スキー部がなくなった理由はいくつか考えられる。まず、スノーボードに対してスキーっていうとダサいイメージがあるのでは?だからみんなスキーをやらなくなったのかも知れない。また、顧問の「みっちゃん」こと光永先生が退職したことも大きいだろう。もう一人の黒木先生ももう高齢だ。とっくの昔に引退されているだろう。また、シーズンになると函館近郊のスキー場に練習に出かける。放課後から出発するのでどうしてもナイターの練習になってしまい、帰ってくるのは夜になる。結果としてシーズン中は1年生の前半の義務自習をサボることになった。これが問題視されたのか?それに金もかかる。
スキー部に入ったのは、元はといえばラグビー部のハードなトレーニングに付いていけなかったためである。運動系のクラブの中で一番楽そうだった事と、せっかく北海道にまで来たのだから北国らしいクラブとしてスキー部を選んだのである。安直と言えば安直だ。シーズンオフの練習は軽いストレッチとのんびりゆっくりのランニングだった。スキーの経験はというとほとんどない。スキーの道具などまったく持っていなかったので夏休みに帰省した折にミズノの本店で一式揃えた。けっこうな出費である。
そして、いよいよ雪が降ると本格的なスキーの練習に入るのだが、この練習に行ったスキー場がまたショボかった。東山スキー場と言うが、スキー場とは名ばかりで、何せリフトがないのである。唯一、巻き上げ式のロープが一本垂れているだけだった。上に上がるにはこのロープにしがみついて上がるしかない。慣れてくるとコツはあるのだが、最初のうちは必死になってしがみついていても握力がないせいか、途中で転んでしまう。その度に一緒に練習していた少年スキークラブのガキどもに白い目で見られたものである。何よりも悔しかったのはそのガキどもがポールを立てて回転や大回転の練習をやっている横で顧問のみっちゃんに教えられてへっぴり腰でボーゲンをやっていたことだろう。最初は転ばないで滑り降りることだけで精一杯だった。
ところが、若い高校生のころというものはたいしたもので2年生の冬には函館近郊のニヤマ高原スキー場で行われた高松宮スキー大会の大回転に出場し、何度も転びかけながらも完走するまでになった。何事も人間は好きなことなら頑張れるものだ。高校時代の特訓のおかげで、もう何年もスキーには行っていないが、ゲレンデを高速でぶっ飛ばすことは多分出来るだろう。何よりも体で覚えたのだから・・・後日、PTAの面接で大阪に来たみっちゃんに私の母は「スキーに傾ける情熱を勉強にも注いでくれたらいいんですが・・・」と言われたそうである。落ちこぼれの始まりだ。
もうひとつ印象に残っているのは、2年生の冬休みに函館の遺愛と白百合という女子高のスキー部と合同でニセコのワイススキー場に合宿に行ったことである。あの時はハーレムだった。同じキリスト教系の学校だったのでクリスマスは盛り上がったものである。1年学年は向こうが上だったが、「あの時、告白していたら・・・」と思う女の子が何人かいたことは未だに悔やまれる。
ところで、スキー部は無くなってしまったが、中学では毎年、スキー研修なるものがあるそうである。もちろん泊り込みである。ホテルなのか旅館なのか定かではないが、そこにはテレビとビデオデッキがあったらしい。さすがはわが後輩たち。やってくれたようだ。通販でAV十数本を一部の寮生がワリカンで購入して上映会をやったらしい。しかも無修正のビデオだ。計画の規模が大きかったためか、誰かがチクったのか、最終的に教師へ情報が伝わり鑑賞していた者は後日芋づる式判明した。自首するものもいたそうだ。可哀想なのは親に「無修正AVを見ました。すいませでんした。」と告白しなければならない生徒である。親はそのときどんな思いで息子を見つめたのだろう?

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