だから何だって話(徒競走 編)

小学3年生の頃のたまに思い出す話。
運動会があった。だって当時はコロナが無かったから。

徒競走が嫌いな生徒だった。
子供の頃から太っていて、走るのはクラスで一番遅かった。
体育の授業で2人ずつ走るとき、片方がゴールしてから俺がゴールするまでを秒読みしてる奴らのことが嫌いだった。それでも明日になれば一緒にそいつらと遊ばざるを得ない自分が、歯痒かった。

うちの学校では、走る速さが同じくらいになるように生徒を組み込む。それでも俺にはビリ以外をとった記憶が無い。当時も、どうせビリだっただろう。

ビリだけが貰う青色の花の「よくがんばりました」シールが嫌いだった。1位はピンク、2位は黄色、3位は緑だった。俺の母さんのnanacoのICカードには、次第に青い花畑ができていった。

運動会が終わり、生徒が教室に戻った。確か、俺ら白組が負けたと思う。小学校の6年間で、俺のチームが勝ったことは1回しかない。

男子トイレで小便をしていると、隣にあるクラスメイトが来た。足だけは速い奴で、その年もきっと体操服の袖にピンク色の花のシールをつけてひけらかしていたことだろう。家が近所でたまに一緒に帰る程度の仲だった。
青いシールを一人で引っ提げて家路に就くのが情けなかったので、「一緒に帰ろう」と提案した。

するとAは「俺は足の速い人としか帰らない」と断られた。彼のその言葉の真意は分からない。負けた八つ当たりからなのか、自尊心からか、もしくはたまたまその時の虫の居所が悪かったのかもしれない。しかしその言葉は、その当時の、その瞬間の俺にとっては最大の侮蔑のこもった断り方であった。彼にこもった悪意すら感じ取れた。

その時は呆然としながら教室に戻り席に着いたが、帰りの会で彼の言葉を自分の脳内で反芻している内に、自分への情けなさと彼への腹立たしさで涙があふれて止まらなかった。

「さようなら」と全員が散開した後に、気づいた担任が俺のところに向かった。事情を説明し、担任が、彼に、俺への謝罪を促す流れとなった。

「ごめんね」

その「ごめんね」は調子が低く口早で、(なんで俺が謝らなきゃいけないんだ)(足が遅いこいつが悪いんだろう)(取りあえず謝ってこの場を収めよう)という考えが容易に読み取れるものだった。

俺はそれを聞いた途端に悲しみよりも怒りが勝ってカっとなり、「やだ!!」と叫んだ。子供らしい怒り方だったと思う。
担任も彼の謝罪の誠意のこもってなさをすぐさま感じ取り、滾々と彼を叱った。
当時の俺には、担任の叱る内容のようなことを相手に伝える語彙と、アンガーマネジメントの能力が無かった。それ故の小憎らしい「ごめんね」に対する力強い「やだ」であった。

そのあと、一緒に彼と帰ったのか、彼が再び誠意をもって謝罪してきたのかは覚えていない。当時の俺にしては、殴りかからなかっただけ偉いと思う。今でも変わらないくらいに高いプライドをズタズタに踏みにじられて、今ならもっと酷く取り乱しているかもしれない。

俺は小中学校の同窓会に行く気も、今年あるであろう成人式に行く気もさらさら無いが、家が近所であることを加味すれば彼と再会することも何ら不思議なことではないだろう。きっとこの話をしても、彼は覚えてないだろうし、「根に持ち過ぎだ」と俺のことを笑うだろう。

それでもいい。アイツが事の顛末を覚えていることにハナから期待してない。別にそれでも仕方がない。今更謝られても何も変わりはしない。この話は俺の「運動会」→ 「徒競走」→ という連想ゲームの記憶の掘り出しで何度も思い返しては腹を立て、長期記憶に刷り込まれてきた。もう戻りはしない。今まで不愉快な思いをしてきた分のお金を取り立てることもできない。俺も当時の彼のように、薄っぺらい感情で、思ってもない言葉で、彼を許すのだろう。

俺は、今、教員になるために日々励んでいる。


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