「Perfect World meets Jimmy」のよっと(yoxtellar)さんとトークライブ
「Perfect World meets Jimmy」を初めて聴いた時、鳥肌がたち涙がでた。圧倒的な感覚がそこにあった。「迫力」というのか、エネルギーというのか。なぜ、こんなことが起こるのか?技術や頼まれ仕事では、完成度は上がるけど、こういう迫力は全く別の仕業ではないか?
その人が、ギリギリの極のところで作ったようなものだという直感がある。さて、私は、何を身体的に知覚したのだろう。ここからは、全く私の感想になるけれど、興味がある人は読んで欲しい。
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極から極への大きな揺さぶり。二つのものを同時に存在させること。
「踊れよ 踊れや 世界と踊ろう 風を起こすのは 君と私なの」
前半部は、桜のもとに歌う「君と私」。明るくはじまったような歌だけど、中盤、雨の音が入り、そのあたりから世界は様相を変えていく。
後半部は、2:40ごろから「世界の終わり」に風景は変わる。
「君がいる それだけで 奇跡でも いつまでも 共にいれない いつかの 終わりを 迎える時には 二人で 世界を 踊り明かしたら それでも それでも」
終わりや絶望が、それでも「奇跡」を同時に知覚存在させたままで語られる。
絶望ー希望。終わりー始まり。
その中を「踊れよ 踊れや」と煽るのが、ボカロの機会的な高音だ。
音の粒は、まわりながら、螺旋を描くように上りつめていく。
今日は、なんでこんな作品ができたのかを聞けたらいいなと思う。
よっと✖︎エイミー
FBライブ 9/6(火)20:00-20:30
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