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10/4の踊るペンギンはタンバリンがうまい

今日は大学にて友達の誕生日をお祝いした。
たまたま近くにタンバリンが置いてあったのでこれはラッキーと、タンバリンを用いてそれは盛大に誕生日を祝った。
ハッピーバースデーの曲とともにタンバリンを興じたのだが、非常に楽しかった。

夕方、その様子を撮った動画が送られてきた。
あらやだ撮ってたのねなんて思いながら動画を見てみると、そこには必要以上に楽しげにタンバリンを叩き散らかす私の姿があった。

体を左右に揺らしながらジャンプをしつつ手首のスナップをきかせ、それはそれは軽快にリズムに乗っているではないか。
しかし驚いたのはそのあと、一瞬にしてタンバリンを肘、かかと、肘、つま先、かかと、肘と移動させ、あらゆる関節を細かに俊敏に曲げつつ、プロさながらにタンバリンを叩いていたのだ。

そんなことをした記憶は全くない。もちろんどこかでコソ練して今日の日を迎えたわけでもない。だというのにだ。自分で言うのもあれだが、恐ろしくタンバリンがうまいのだ。生きてて何が恐いって、意図せずうまいタンバリンが一番恐い。
そのことを今日、はっきりと感じた。

そして一通りタンバリンを叩き終えたあとは、以前参加した活動の反省会があった。あまりのテンションの落差に切り替えが非常に難しく、平静を保つのが困難であった。

私は今回の反省会は、反省しないタイプの反省会にしたかったので、良かったところ、今後も引き継ぎたいところのみを声高に発言する時間とした。
すると以外にも、教授らからお褒めの言葉を頂いた。
気楽にやってみてそれがうまくいくと、なんだこんな感じで生きていけば良いのか。人生難しく考えすぎていたな。なんて一時的に思ったりもするのだが、毎回そういうわけに行くこともないので、調子に乗るのはやめておきたい。

褒められると嬉しい。自己評価が高いほうではないので、普段から自分のことを自分で褒めるように意識しているのだが、やはり他者の評価によってでしか埋められない、幸せがあるのだろうなと、誰かから褒められたときにはつくづく思う。

こうしていつまでも楽しい大学生活が続くわけではないのだなと、近頃リミットを感じることも多い。
今のうちに、なってみたい自分の姿を実践してみて、失敗したら次に切り替えていく潔さと心の強さとポジティブさを、兼ね備えて生きていきたいものだ。

最後に、春巻きは、秋に食べたら秋巻きですか。
腹巻きを海苔に巻いたら海苔巻きですか。

…総じてどういうことでしょうか。今日もお疲れ様でした。


10月4日の踊るペンギンより

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