たくさんのひとりぼっちの中で

仕事がひと段落した夏の夜、ぽんと熱が出た。実際は「ぽん」などとかわいいものではなく、だらだらと体の重さが続いてダメ押しに出たような熱で、結果はコロナだった。5日間のお休みが強制的に決まった。

部屋で朝起きては、今日もどこにも行けない日が始まると思って憂鬱になる。昼間は情報番組の楽しそうな声と、母が洗濯物をはためかせる音を聞きながら遠めの部屋でうつむいている。夜は寝つきも悪いのに九時過ぎには布団に入って、日付をまたぐかどうかの時に目覚めて、からからののどに麦茶を通しては、朝までの時間がありすぎることに絶望する。そんな日を3日間続けている。

今日は母が買い物に行き、家に1人になったときは、部屋の掃除をした。掃除機のコンセントをつないで、階段を一段一段丁寧にほこりを取って、他の家族の部屋まできれいにした。片づけたら、何をしたらいいのかわからず、気が狂うのかと思った。やることがないのだ。行くところもないのだ。どこにも行かないことは、やんわりと自分が決めているのに、どこにも行ってはいけない閉鎖病棟に閉じ込められているような気がして、どうにでも自分を傷つけてやりたい気持ちになってしまった。窓を開けたら落ちてしまいそうな。体も痛む。うまくいかない全てが悔しくて泣けてくる。涙は理由を持たずに次から次へと。今日が主治医のいる日だということを思い出して藁にもすがる思いで電話をした。
「悲しくて部屋にいると涙が止まらなくなってしまうんですけれど。何かした方がいいと思うのに、何もしたくない、何をしても気分が晴れなくて。」
そんなことを話したら、電話に出た看護師さんは一切責めずに聞いてくれて、「あのね、今はコロナで身体が悲鳴を上げているから、今は寝て休んでいいんですよ。何もできないことをね、せめなくていいんだよ。」と励ましてくれた。

幾分楽になった今日の午後はやり過ごして、カップラーメンを食べたり、流れる雲をスケッチしたりもしている。自分はエッセンシャルワーカーと言われて、コロナ禍を休まず働いてきた。しかしステイホームが叫ばれた中や、今よりもっとコロナがはやっていた時期の人々の孤独はこんなものではなかっただろう。どうだろうか。自分の体のつらさとひとりぼっちなのと。いつかは治るといままでのたくさんの人の例から私はそう思って気を確かに持てる。今は休む時だ。

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