フリーク

最近、藤井風さんを聴き始めてすごくはまった。

はじめに曲を聴いた。初めての曲が、懐いた野良猫のようにすり寄ってきた。聴き続けられるなあと思った。さて、どんな人だったっけと思ってyoutubeでMVを開いて、そこからの記憶があんまりない。ずっとMVを見てストリーミングでも聴いている。車でも聴きたくてアルバム「HELP EVER HURT NEVER」を買ってしまった。曲だけを聴いた時とは違って、身体表現をしながら動く風さんを見ながら聴くと段違いでしみこんでくる。この音楽が、この人が生きてきた23年間のどこかから伸びてきたものだと思うと、連続する鏡の間のようにどこまでも続く深淵を覗いたような気分になる。

熱狂しているなと思ったとき、頭にフリークと言う言葉が浮かんだ。フリーク(英・freak)とはいろいろな意味があるけど「何かに熱中する人、熱狂者」という意味がある。確かにそうだし、風が吹けば飛んできそうな字面も好きになった。ジャンキー(英・junkie)という言葉もあるが、こっちは言葉としては好きだけど、なんというかこっちの方は能動的にのめりこんでいる感じがする。私は好きなものを享受しているというか、受け身で楽しんでいるので、フリークを名乗っていたいと思う。

そしてこれは、自分によくあることで、好きなものができると、それになりたいと思ってしまう。なりたい、というのは見たのみ目ではなく、その人や物の気持ちになりたい、と思う。ペンギンが好きすぎて、どうにかしてペンギンになりたいと思ったときは、南極の写真を見漁り、ペンギンの生態を調べ、少しでもペンギンの生き方に思いを馳せて近づきたかった。見た目はペンギンになれないので、心なしかモノトーンの地味な服を選んでいたかもしれない。分身としてここでペンギンを名乗っているのもそういう理由がある。それでも好きが有り余っている。

というわけで今は藤井風さんが好きなので、あんなふうにピアノをじゃんじゃん鳴らしたいと思うし、歌いながら踊りたいし、だぼだぼの服を着て動き回っていたいと思う。歌詞から見える価値観や英語も、うらやましくて、自分もものにしたいと思ってしまう。だがしかし、真似ようと思えば思うほど、できないこともあるし、違う人間であることを思い知る。そりゃそうだ。そう簡単に誰かになれてたまるか。これまでだって、憧れたものにはそう簡単に近づけなかったじゃないか。自分がちょっとやそっとで真似できるほど単純なものを好きになったわけではないだろう。

それでも実は同じところがある。同い年であることだ。すごい人が同世代にいると劣等感を感じるのに、今は不思議と感じない。自分にも自信を持てる何かを見つけたいなと思う、そんなポジティブさももらえている。有難い。


身内に見られたら恥ずかしいnoteになってしまった。読んだら忘れてね。

すでにご存じでお好きな方も、はじめましての方も、よかったら風に吹かれていってください。



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