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『マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方』(鈴木美央著/学芸出版社)

『マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方』(鈴木美央著/学芸出版社)を拝読しました。

いや、これはすごいです。誤解を恐れずに言うと、さくっと簡単に読める本ではありません。俯瞰して観察し論考するために一度深く潜ることによって、マーケットがあらゆる人(つまり町)にとってポップな存在になりうるという証明を行った記録。

あるいは、
数多くのフィールドワークと定量データを盛り込み、自らの実践(鈴木さん自らマーケットも運営してしまった)を踏まえて、情熱と執着をエンジンにしながらも冷静沈着に書き上げた、マーケットに関する価値の高い研究書、というものです。この手の本は、さくっと簡単に読むのはもったいない。

斜め読みして思ったことは、「この方、研究者!?」(→建築家であり研究者でした)
一読して思ったことは、「研究に何年かかったんだろう?」(→本書から推察すると、おそらく2008年以降くらい?約10年?)
二読して思ったことは…、ひとことで言えないので下記に書きます。

著者の鈴木美央さんは建築士として5年間、ロンドンに住んでいたそうです。その時に感じた建物を設計することだけでは解決できない課題や、「小さな要素の集合がまちにインパクトを与えることはできないだろうか?」という思いが、マーケットに関する研究を始めたきっかけとなったという。

鈴木さんはマーケットを、

①屋外空間で売買が行われていること
②入場に制限がないこと
③仮設であること
④伝統的な祭り・フリーマーケットを除く
(本書P25より)

と定義し、「マーケットを舞台にまちの中に好きな店ができ、人々が交流し、出来事が起こり、コミュニティが生まれていく」(つまり、マーケットがまちを変える)と言い、ロンドンと東京のマーケットの相対的な違いを文化的視点から見ていくことで、両者の特徴と、マーケットの持つ機能を明らかにしていきます。

・ロンドンでは、路上で行われることが多く、東京では公園などで行われることが多い。
・ロンドンでは、道路利用の規制が緩く、東京は規制が厳しい。
・ロンドンでは、特化型マーケット(生活基盤型、中産階級の生活充実型、コミュニティの居場所型など)があり、東京は地域活性化、都市開発型が多い?
・ロンドンでは、日常に根差していて、東京では可能性はあるが相対的にはまだ日常に根差しているとはいえない?(地方には昔ながらの市はある)
・ロンドンでは、主催者が‟区”で東京では商店街振興組合、NPO法人、株式会社などである。
・ロンドンでは、出店者が‟出店”で食っていて、東京では食えていない。
・ロンドンでは、主催者が什器を提供していないので店構えが雑多。東京は統一感がある。
などなど。
(あくまで一冊を読んだうえで、ぼくが感じたこと、印象に残った部分です。書籍でそのままこのような書き方をしているわけではありません。詳細は書籍でお確かめください)

ぼくは拙著『小商いで自由にくらす』で、房総いすみ地域において店を持たず、主にマーケット出店で生計を成り立たせていく人たちを取材したので、どうしてもロンドンや東京といった都市部と房総いすみ地域(=日本の地方)のマーケット事情を比べてしまうのですが、その点でも『マーケットでまちを変える』は興味深く読むことができました。

※日本の地方のマーケットに興味がある方のために書くと、日本の地方のそれは、ロンドンと東京との中間だな、と思いました。
店構え雑多、主催者が個人、出店者は半分くらい食えている、開催数は多いが誰もが行くわけではない(人によっては日常的)、規制はほどほど?なので。
また、近所にある最寄りの商店街を見ていて、この路上にマーケットがあったら楽しいだろうなと以前から思っていた反面、ここが通行止めになったらかなり通行に関する悪影響が大きそうだな、とも感じていたので、「路上で行われるマーケット」の記述については特に繰り返し読んだ箇所となりました。田舎では、次のような、車がまちとマーケットにさまざまな影響を与えているため。
①モータリゼーションによって商店街が廃れた。
②1人1台車を持っていることによって、駅から遠いマーケットでも人が来る。
③広い立地があればどこでも開催できる。
④しかし、駐車場の確保は割と困難。拙著より。

そして、ロンドンやアジアと比べて相対的に、日本でマーケットが日常に根差していないのは日用の生活必需品はすでに簡単に手に入る土壌があるから?とか、ロンドンでは主に路上でマーケットが行われる(規制が東京より緩い)のは、迂回できる道路があるから?それとも車が少ないから?あるいはマーケットとはそういうものだというコンセンサスが人々のなかにあるから?

これからますます生活必需品そのものは便利に手に入るようになりそうだけど(離島などでは購買に関してすでにamazonが大きな役割を果たしている)、マーケットの意味合いは今後ますます「必要」から生まれるのではなく、「楽しみ」のために生まれるのではないか?ケの日のマーケットから、ハレの日のマーケットへ。つまり日本的マーケットになっていくのかな?

などと、『マーケットでまちを変える』を拝読しながら、同時にいくつもの思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えしていきました。

鈴木さんは、東京にも青井兵和通り商店街の朝市、FarmarsMarket@UNUヒルズマルシェ小石川マルシェnestmarcheなどの多様なマーケットが生まれていることと、その工夫やまちに与える効果を紹介し、マーケットを作る側にまわることを提案します。

事例を知ることは、可視化された要素の中から自分の作りたいマーケットにとって必要なものを選ぶ、組み合わせることを可能にします。

6章の「マーケットをつくろう」は、微に入り細に入り、都市部でのマーケットの作り方が紹介されていますが、これを読んで「できる!」と思うか「できない!」と思うかは、読み手の情熱次第でしょう。少なくとも作り方は明らかにされているので。

この章をここまで‟使えるもの”にしたことに、鈴木さんの「マーケットをつくろう」の熱量を感じました。あるいは、鈴木さんが実際に研究だけに飽き足らずに自ら継続的にマーケットを開催したのは、「マーケットをつくろう」を書くためだったのではないか?とまで感じましたが、考えすぎでしょうか。
少なくとも、俯瞰分析と実践の両方を行ったことが、研究の確かさを担保することに成功していると感じます。

書籍では、「ロンドンでは調査によってマーケットがまちづくりに一定の効果があると証明されていること」も書かれていますが、公共空間をつくる立場にある人にとっては都市計画・まちづくりの文脈でマーケットをつくる有用性がこれからますます議論されることでしょう。

ぼくは、マーケットはハレの日のもの(あるいは日常的に行われるハレの日のイベント=開催は頻繁だが行くのにワクワクする場)でよいと思っていますが、まちは個人の集合でできているので、人々が豊かに暮らせて、自己表現によって充実感を得て生きていくために、やはりマーケットの存在は有用です。

多様で雑多で個性あるマーケットが全国に増えたら、それはそこに生きる個人にとって、また、まちにとっても喜ばしい。

マーケットを作る人がそれで経済的利益を得ることは、マーケットに出店刷る人以上に難しいことです。だからこそ、ぼくはマーケット主催者を尊敬していますし、マーケットがそこに住む人へのプラスの効果を生むことと、マーケット主催者への理解が自治体レベルで高まることを望んでいます。『マーケットでまちを変える』は、その一石となるでしょう。

10年後、20年後、はたまた50年後、海外の、そして日本の都市、あるいは地方におけるマーケットはまちのなかでいかなる表情を見せているでしょうか。
ぼくが常々「未練がましい奴だ」と思われるのを臆さずに、「長生きしてみたい」と知人友人に言うのは、あらゆる手段を使ってこうした未来への一石を真摯に投じる人たちの存在によります。

書評のつもりが、感想文になっていまいました。ですが、読み手自身の感想と発想を触発する書籍こそが良書だとも信じています。テーマを定義し、比較し、分析し、鼓舞し、使えるものに仕上げた『マーケットでまちを変える』は、ぜひ本書を手に取ってみてください。

『マーケットでまちを変える~人が集まる公共空間のつくり方』(鈴木美央著/学芸出版社)

■発起人として、がんばってます。中学生と取り組む、「問い」を起点に地域を発信するプロジェクト『房総すごい人図鑑』


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