【読後メモ】トマス・アクィナス(第2章:その3)

(解説)人間が人間らしい生き方をする中心概念である「徳」の中で、トマスが考え抜かれ最も磨き上げられた概念に「節制」がある.厳しい修道生活に裏打ちされながらも、自然の本性を肯定し「欲求能力」を悪とは見ない、それ自体の自律性により内的に高められ乗り越え変容していく過程で喜びを生む徳が節制であると結論づけていることに驚かされるものがある.


《抜粋メモ》

「節制」という徳を有する人物の特徴は、「欲望すべきものを欲望する」という積極的なあり方の土台の上でバランスよく欲望をコントロールする喜びに生きているので、やりたいことを我慢する「抑制」という状況にない.欲望自体を善い方向へと変容させていくのが節制の本質である.

抑制ある人/節制ある人の相違

・抑制ある人:「悪しく激しい欲望」と「理性」との葛藤が前提にあり、意志の力によって「悪しく激しい欲望」に抵抗し、正しい理性に従うという選択肢を選ぶことを可能にしている人

・節制ある人:「欲望的欲求能力」自体が徳を通じて整えられ、深刻な葛藤なしに理性的な在り方を貫徹させることが可能となっている人.

節制のある人は、「理性」があたかも専制的に「欲望的欲求能力」を奴隷のような仕方で強引に従わせているのでなく、「欲望的欲求能力」が自体が内的に高められ、「理性」と調和的に協働することが可能となっていて、自律的にふさわしい働き方を身につけることができており、このことに喜びを感じている状態である.

トマスにおける人間精神の諸能力

人間精神が有している諸処の能力を大きく「把捉力と欲求力」の2つに分けている

・「把促力」=認識力/(理性と感覚)
・「欲求力」/「理性的欲求能力=意志」と「感覚的欲求能力」
うち「感覚的欲求能力」の2つ/「欲望的欲求能力」と「気概的欲求能力」

「欲望」は「情念」のひとつである
「欲望」には、善い欲望と悪い欲望がある

・ある情念が善い情念になるのは、その情念が「理性によって節度づけられている」場合である.
・欲望的欲求能力と気概的欲求能力は理性の命令のままに従うのではなく、自ら固有の運動を有している.しかし善いあり方をするために理性と「協働」する習慣が必要である.


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