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エイハブの六分儀-2023.3月号 西 香織

【今月の星空案内】

一段と春めいてきた今日この頃、3月21日(火)には春分の日を迎えました。

夕暮れ時の西の空では一番星の金星が見事ですね。この輝きは、7月まで宵の明星として楽しめます。突然ですが、ウクライナ語で、金星はヴェネラ。ソビエト連邦の金星探査機の名は、まんま「金星」だったのですね。木星ユピテル、オリオン座の上に赤く輝く火星マルス…英語では、ジュピターマーズですから耳なじみのある同じローマ神話の名で呼んでいます。

エイハブの六分儀-3月号

少しずつ西へ傾いてきたオリオン座をウクライナでは、プルヒ、ベルトの三つ星小三つ星(こみつぼし)のあたりはコサリと呼んでいるそうです。オリオンの四角を田畑にみたてていて、プルヒは鋤(すき)、コサリは干し草を扱ったり土を耕す農具を意味します。干し草の季節の朝に、三つ星が昇ることから名づけられました。かつて、ウクライナ一帯はスキタイと呼ばれ、そのタルギタイ王の時代に、鋤、くびき、斧、盃などの黄金の道具が天から降ってきたと信じられていて、それを星座にかかげたそう。ゴールデンプルヒの信仰は古くから続いてきたのだとか。

実は、日本でも、オリオン座を田んぼにみたて、三つ星と小三つ星を唐すきとしていた地域がありました。遠く離れた国で、同じような絵を描いていたなんてちょっと嬉しい。ウクライナは農業大国で、「ヨーロッパのパンかご」とも呼ばれるほど穀物が豊かに実る黒土地帯が広がっています。農耕民族でありながら、いざという時には家族や土地を守るため武装して勇敢に戦ったのがコサックと呼ばれる人たちです。どこか日本の初期の頃の武士とも通じるものがありますね。

また、ウクライナでは、天の川商人の道と呼ぶのだそうです。かつて夏の時期に旅商人であるチュマク人を、北から南のクリミア半島へと導いたからです。そんな白い天の道は、街中で肉眼では見えませんが、オリオン座のベテルギウスおおいぬ座シリウスこいぬ座プロキオンでできる冬の大三角の中を北から南へ貫いて続いています。再びウクライナの人々が、空を渡る商人の道をたどって自由にクリミアに渡れる日が来ると良いのですが。

ところで、なぜ唐突にウクライナの星空案内か?といいますと、昨年6月から縁あって、ウクライナのハルキウプラネタリウムで解説員をしていたオレナ・ゼミリャチェンコさんと、同じくキーウから避難してきたご友人のマリーナ・ノーシキナさんとともに、ウクライナ語と日本語のバイリンガルのウクライナ特別投影「ふるさと・ハルキウの星」というプラネタリウム番組を
投影したからです。

ハルキウプラネタリウム
オレナ・ゼミリャチェンコ解説員

オレナさんからは星座だけでなく、たくさんの優秀な天文学者や宇宙開発で活躍した科学者や技術者、宇宙飛行士などについて興味深いお話を聞くことができました。

中でも印象的だったのが、セルゲイ・コロリョフです。そう、フォン・ブラウンと双璧をなす、ソビエト連邦のロケット開発を牽引してきた人物ですね。彼はキーウの西にあるジトーミルに生まれ育ち、キーウの大学で学びました。様々な困難にも関わらず、ウクライナ市民であることを生涯放棄することはなかったといいます。

セルゲイ・コロリョフ
スプートニク

宇宙船の制御システムがハルキウで製造されていて、人類初の人工衛星スプートニクの「ピーピーピー」という電波音も、ハルキウにあるシェフチェンコ工場で生まれたのだとか。ハルキウ市民のオレナさんは、そのことをとても誇りに思っているそうです。また、コロリョフのライバル的存在、ロケットエンジンの設計者バレンティン・グルシュコもウクライナ人とのこと。さらには、ビックバン理論を提唱した天文学者ジョージ・ガモフはウクライナのオデーサ出身だというではありませんか。私たちはこれまで「ソビエト連邦」とひとくくりにしてきましたが、天文学や宇宙開発史において、ウクライナ人がその主軸を担っていたと知り驚きました。いつかオレナさんに監修していただいて、ウクライナの宇宙開発史の番組を作れないかと、妄想がふくらみます。

グルシュコエンジン設計者 バレンティン・グルシュコ
ビッグバン理論の提唱者 ジョージ・ガモフ

オレナさんによると、ウクライナの子どもたちは、日本の子どもたちと同様、宇宙飛行士に憧れてプラネタリウムでいきいきと宇宙のことを学んでいたそうです。ハルキウプラネタリウムは現在、窓が割れ、暖房システムも損傷。ほとんどのスタッフが遠い地に避難して営業休止を余儀なくされています。私たちは今、何を失いつつあるのか直視しなければ…それと同時に、いつになるかはわかりませんが、戦後のウクライナの人々に希望を与えるのは、宇宙への想いや星々の輝きなのではないか、とも思います。そのためのサポートをしていけたらと考えています。

言葉も通じず慣れない日本での避難生活は、一年以上に及ぼうとしています。この先の見通しも立っていません。遠い祖国を想いながら、情熱をもって常勤ではないものの、プラネタリウムでの単発の仕事に打ち込むオレナさん。2月には、避難先のご自宅にてオレナさん手作りの美味しい本場ボルシチとミートボールをふるまって下さいました。春の雨降る寒い夜だったので、冷えた身体に染みいるような温かく優しい味わいで、ホスピタリティ溢れるオレナさんの人柄に触れる思いがしました。

本場のボルシチ・サワークリームを添えて
ミートボールとマッシュポテト

今、少しずつですが、日本全国のプラネタリウム館が彼女を招待して、ウクライナ語での投影が広がりつつあります。JPA(日本プラネタリウム協議会)の冊子に寄稿されたオレナさんご自身による記事がコチラにて公開されています。

※ オレナ・ゼムリャチェンコ氏による寄稿記事
  「ユーリ・ガガーリン記念ハルキウプラネタリウムの特色」
  (日本語訳)は上記よりPDFダウンロードできます。

本番に向けてのリハーサルの途中、彼女が提供してくれた戦争前のハルキウ市の街並みを映すシーンでは、涙を流し言葉につまりながらも懸命に解説をしてくれて、私も涙が止まりませんでした。「ウクライナの皆さんを悲しませるのであれば、この演出はやめようか?」と提案しましたが、彼女は「このままで」と言いました。美しかったハルキウのことを知っていてほしいという想いもあったのかもしれません。泣き言や恨みがましい言葉などいっさい口にしませんが、普段は元気に笑うその胸の内には、はかり知れない不安と悲しみがあることを改めて思い知りました。

お互い言葉は通じない中、同じく避難者のマリーナさんの通訳や、カタコトの英語そして翻訳機などの力を借りて意思疎通を図りながら、特別投影の準備をしました。残念なきっかけではありますが、宇宙や星、プラネタリウムに恋をして、同じような気持ちで働いてきた同志と、数千㎞の距離をこえてめぐり逢えたことに感謝しています。

ところで、ウクライナでも、おとめ座は作物の実りを象徴する豊穣の女神であり、戦争を嫌う正義の女神アストライアとされています。

©ミツマチヨシコ

かつて黄金の時代と呼ばれた頃、人々は神々と地上で平和に暮らしていましたが、銀から銅、そして鉄の時代と呼ばれるようになる頃には、人々の心がすさんで争いばかりが起きるようになりました。呆れた神々は天に帰っていき、アストライアだけが地上に残り平和になるように力を尽くします。しかし人間の心は変わらず、戦争が無くなることもありませんでした。悲しみにくれたアストライアは天に昇っていきましたが、今でも空から地上を見守っているのです。アストライアの深いため息が聞こえてきそうです。

夜半過ぎから日の出にかけて、東から少しずつ高く昇ってきているおとめ座の一等星は純白の輝きのスピカ、ウクライナ語ではスピーカです。

実はオレナさんも私もおとめ座生まれでして。おとめ座の二人が、平和を祈りながらバイリンガルでウクライナ特別投影をお送りしました。足を運んで下さった皆さま、本当にありがとうございました。おかげさまで、あたたかな笑顔溢れるイベントとなりました。避難生活を送るウクライナの皆さまだけをご招待したウクライナ語のみの投影も続けて行いましたが、終了後には皆さま涙と笑顔で「ありがとう」と声をかけてくださいました。喜んでいただけて本当によかった。

オレナさんも、「言葉にできないほど幸せで、感謝しています。」と言葉は通じなくても、同じ気持ちで喜び合いました。これからもこんなふうに、星空を通して小さな平和を少しずつ広げていきたいな、と思いました。

人間は、人を傷つけ命を奪う兵器も作りましたが、その一方でロケットや探査機、国籍を超えて協力しあうISSも創造してきました。それから、工夫をこらし望遠鏡を進化させ、世界中の天文学者が力を合わせて宇宙の謎に挑んでいます。それだけでなく、言葉の壁をこえて同じ想いで繋がりあえるプラネタリウムという機械だって生み出してきました。プラネタリウムは今年で誕生100周年を迎えます。この記念すべき年に、プラネタリウムの美しい星々をオレナさんとともに見上げながら、決して諦めずに人類の未来を信じよう、そう思うのです。

オレナさんとコスモスタッフ

西 香織
コスモプラネタリウム渋谷「星を詠む和みの」解説員。幼い頃からプラネタリウムに通う。宇宙メルマガTHEVOYAGE 「エイハブの六分儀」で毎月の星空案内を担当。時々宙短歌を詠んだりしながら、地球だからこそ楽しめる眺めを満喫する日々。


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