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沖縄生活

1ヶ月沖縄にプチ移住してみた。
1人で沖縄にのりこんだ。ふるさとワーホリという制度を使って。1人で生活したことも、1人で飛行機に乗ったことも、料理もろくにしたことも、車もほとんど運転していなかった私が、これら全部のことが求められる沖縄生活がなぜできると思ったのか。

正直生活していくことに対して、そこまで心配していなかった。これが謎の自信ってやつだと思う。もちろん、親からは猛反対を受け、沖縄に行く直前まで「何考えてんのか。バカじゃないの。そんな1人で生活もしたことないのに、何事もなく帰って来れる方がレアだよ」なんてことを言われ続けてた。これに対して私も、「だってバカだもん」って子どもみたいなことを心の中で口答えしてたけど、、笑   それにそんな親の心配をよそに、当の本人は日本語が通じればなんとかなるっていうくらいにしか思っていなかったし…。

私は沖縄にどうしても行きたかった。旅行ではなくて。これをはっきり言葉で理由を説明するには難しいのだけど、感覚的な部分が多い。ルーツがあるわけでもないけど、間違いなく時間の流れが合っているのは沖縄だというほぼ確信的なものが沖縄に来る前からあった。だからそれを確かめたかったのだ。友達からもよく南国が合ってそうって言われてたのも一因だったりすると思う。

あとは、挑戦がしたかった。高校時代から部活内で新しいコンクールに挑戦したり、それを一緒に挑戦してくれる仲間がいた。この時から多分挑戦する楽しさを感じていたのだと思う。私は、部活で新しい挑戦ができたことに満足していた。だけど、卒業の時だったかに先生が「あなたたちは色々挑戦したけど、達成できそう(結果が出そう)な挑戦しかやってないように思う」というようなことを言われた。これは私的にはすごく刺激的だった。確かにってすとんと腑に落ちた。だから、大学時代にも色々やってみたけど、達成できなさそうなことに挑戦するのはすごく難しいことだと思った。

今回もそう。達成できなさそうなことに挑戦したかった。だから、無謀とも思える、でもずっとやってみたかった“沖縄での一人暮らし’に挑んだ。
今考えたら、ふるさとワーホリの制度を使っているから十分保険をかけてるんだけど。でも、今回はふるさとワーホリを使ってよかったって心底思っている。無謀だと思った挑戦から自分で全部調べて、ふるさとワーホリにたどり着いて、選考も自分で進めて。今まで、受験や就活など頑張らないといけない時は、親の応援があった。だけど、今回は親の応援が得られない以上自分でやるしかなかった。だから、少ない頭で安全かどうかを判断して、少ない金銭力でいかに生活していくかを考えた。

実際に1ヶ月過ごしてみて、本当に過ごしやすかった。時間の流れ、人の温かさ、おおらかさ、来てすぐに多くの人に挨拶する中で自然と緊張せずに、挨拶できていたり、とにかく不思議なくらいありのままでいられた。自分を取り繕う、ということをどこに置いてきてしまったのか、と思うくらい。沖縄来る前から考慮していた、生活面。過ごしていく中で生活力のなさは完全に露呈していたけど、みんな助けてくれて。1人で過ごせるように色々と考えていたのに、結局助けられっぱなしで台所に1人で立つことも1ヶ月で片手で数えられるくらいだった。でも、助けてもらえなかったら一体どんな生活だったのかな、とも思ったり。本当に感謝しかない。滞在中、私は自分のことばかり考えて、というより自分の生活に必死すぎて、色々やってもらったことに対してほとんど返すことができなかった。ずっと頭を下げっぱなしってやつ。だからこそ、次行く時は少しでも何か返せれば…と思っている。

仕事でも、どん臭さ、不器用さが露呈して当初はかなり焦っていたのに、どういうわけか周りがなぜか許してくれて。本人はいたって真面目に、一生懸命取り組んでるはずなのに、なぜかできない。もどかしすぎて、沖縄に来る前の私だったらその日中(もしかしたら1週間くらい)引きずってモヤモヤしてその気持ちを何かに書きつけていたはず。だけど、沖縄で仕事してる時は上手くできてないのに、謎に落ち着いてて、次は少しは上手くできるはずって謎に楽観的で。ほんと周りの雰囲気なんだろうな…と思って、ありがたいなと思った。だって、何も出来てないのに、出来ても時間がかかってるのに「使えないやつ」って思われてる感じが全くない上に、できると「ありがとう。助かった」って言ってくれる。なんだそれー!もっと怒っていいのに!って私は思っていたくらいなのに。

沖縄来て感じたことはたくさんある。そのひとつに、“できないことじゃなくて、できたことに目を向ける’ってところだと思った。できないことに対して、もがいて、そこから少しでも脱した時、最大限の感謝や喜びを表してくれる。これだけではないけど、これこそが人の持ってる温かさなのかなと思った。あとは静かに見守っててくれる。集落で過ごしてる時はこの事をすごく感じた。私がどういう行動しているのか実は結構把握されてて、ビックリしたけど、おっかなびっくり1人で生活してる私を、温かい目で見守って必要な時は自然と手を貸してくれて、生活してる時よりも帰ってきてからそれをより感じてることに気づいて、本当に温かい人に囲まれていたんだなと感じる。

逆に、まだまだ足りない部分があることもはっきりした。それは、感受性。感じる力が極端に弱いし、チコちゃんがいたら「ぼーっと生きてるんじゃねーよ」って100%突っ込まれるなと思った。今まで、自分の性格や特徴は色々と分析して何が得策か考えてきた。だけど、自分が何者なのか、何かからパワーをもらっている、って考えたことはほとんどなかった。よく考えたら人間の能力を超えたところから色々パワーをもらって生かされているのかなって沖縄で人と話してる時に初めて思った。そういうことを考えずにぼーっと生きてるんだなぁと思ったけど、そもそも感じてないんだ!という気づきも得られた。感じてない以前に意識の範囲内にないって言った方がいいかも。だから、意識できるようになればもっと感受性も磨かれるだろうし、生のありがたみを感じられるのかなと思った。

沖縄滞在を経て、記憶が美化されないうちに純粋な気持ちを書き留めておきたかった。もっとリアルな生活などはきっとそのうちふるさとワーホリのホームページに載るだろうからそれを待つとして、ここにはつらつらと生活や仕事内容以外のことを書いてみた。

私は人に温かさを与えられる人間になれるのだろうか。豊かな人間性を育めているだろうか。少なくとも今の状態では想像がつかない。自分のことに必死すぎて周りが見えてないんだもん。
あと2年くらいはとにかく人間性を高めるためにも色々経験していくとして、5年後、10年後には周りにも目を向けて温かさを与えられるような立派な人間性が備わった人になれてればいいなと思う。そのタイミングがきっと沖縄移住なのかな…とも思ったり。

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