汚物を善意でパッケージ!アドバイスを送ること

人の善意のネガティブな話。

アドバイスをくれる人がいる。例えばH氏。

「A社は、おかしい!あなた騙されているんじゃない!?」

この業務は全部自分の責で行っている。

僕はHが進めるB社が嫌いだ。ブスでババアの担当者はものすごく感じが悪い。そのためB社とコミュニケーションを取らないように、僕はA社を探しだしたのに。そしてアドバイスなんて求めたこともない。だってHと僕は全く別の人間でHの価値観が嫌いで、Hのような人になりたくない。アドバイスを聞く理由がまるでない。

Hに限らないが、きっとみんなの周りにも、望んでないアドバイスをくれる人がいると思う。望んでないアドバイス。安易にこれをくれる人が何を考えているか?

「私の言う事は間違いがない!あなたはきっとバカなんだから、私の言う事を聞いているのが良いの!あなたを心配してるから言ってるの」

ただの自己顕示の塊だ。自分はなんの労力も使わないくせに、自分の正しさを他人を使って証明しようとする。アドバイスが間違っていようが、自分が失うものなんてないのだから、間違いは発話者の記憶に残らない。自分の正しさだけをアピールしたいアドバイス。汚物を掛けられた気持ちになる。

掛けられた汚物はどう拭うのか。

①掛けられた汚物に気が付かないフリをする。

気が付いてないんだから拭かない。汚物は体についたままだが、気がつかなかったのだから苛立ちで自分の無駄な感情を誕生させることがない。

②自分の汚物と一緒に返す

いただいた汚物に苛立ちの汚物をミックスして、ぶつける。ぶつけたって晴れることはない。掛けられた汚物の記憶は残るのだから。

③汚物に感謝をする

汚物を宝物のようにして、感謝してしまえば体に付いた汚物も気にならない。付けられたものは宝物なんだから。

しかし、こちとらそんな人間できちゃいねぇし、鈍くもない。汚いものは汚いんだ。でも、わかってる。一番ダメージが少ないのは③なのだ。なんでも感謝で飲み込むとダメージもなく、苛立ちもしない。それが自分を守るためでもある。

子犬や子猫に自分の手から餌をやることがある。

自分の手にある餌を懸命に、まっすぐ、健気に、食べる様子は甘美な体験だ。与えるという行為で喜んでもらえる、自分は子犬・子猫に必要な存在なんだと感じ取れる、この小動物が求めてくる無防備な可愛さを、この瞬間すべて受け取れる。

与えることで満たされるのは、与えた方なのだ。与えた者勝ちだ。見返りを求め、与えまくれば良い。善意のラッピングで汚物を包め!

それが出来るのなら幸せなのかもしれん。でも気が付いてしまう。自分が包んでいるものが何なのかに。それでも気持ちがささくれている時は、ついつい与えたがる自分もいたりして。

今回はH氏に「ありがとう」という感謝と共に、もらったのと同じようなアドバイスを長文で送ってみた。返信には「これから、やりますから」とぶっきらぼうな文面が来た。

少しスッとしたのだった。

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