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ソクラテスのお守り

漆黒のような冷風とは異なり、どこか透けて見えるような春の日差しと風に包まれた。
湖の前に白い巨塔は立ちはだかる。
私はその奥へはいまだに進んだことがない。
いつもなら真っすぐ進む道を遠回りし、湖の円周を囲うように作られている歩道の一部に足を踏み入れた。
巨塔は影を作る。明確な陰陽の境界線を成し、私の目の前に現れる。それは余白を許さない、乾性の境界性のような気がした。

豊かな水量が光の反射によって、一枚の巨大な板に見える。
「ねえ」私はハッとし、思わずそのまま水中に落ちそうになった。
「好き?水」「いや、水は…」「そう。でも来たんだ。ここに」「ええ」「ここさ、昔、一面、城下だったの。ほら、城跡があるでしょ」私はその人が指差す方向を見た。確かにそこには城壁が微かに見える。
「私、ここで昔、商人してたの。ほら、見た目は変わっているけど、昔もここ、大学だったのよ。で、そこの学生さん、その当時は圧倒的に男の人が多かったけど、そこの学生さんや学者さん相手にパン売ったりして。小麦粉なんて高いでしょ。だから、甘くするのよ、甘くすれば多少、量が少なくてもお腹は満たされるの。大学の勉強でするんじゃない?あんた、そのへん」私は頷いた。「でね、一回、その大学とやらの授業に黙って行ったことがあるのよ。パン売るかご持って、廊下を歩いてみちゃったりして。いろいろな学生さんが黒板見ているのを見て、『へー、難しいことやってんのね』って思って。なんか記号みたいなこと書いてあったの」

たまにいるのだ。三年も暮らしていると、いろいろな人に出会う。急に話しかけてくる人ももちろん、自転車をわざわざ降りて、スマホを見る私に話しかけてきたじいさんもいた。
ただ、不思議なのは、誰かも分からない「この人」は嫌な気がしない。私は疲れているのかもしれない。

「私以外にも同じような商人の娘でいろいろものを売りに来てたからさ、『あの人、いいねー』なんて言いながらその人の近くに行って売ったりね。パンも売れたし、コーヒーも売れるの。今みたいな苦いやつじゃなくて、パックのね。ほら牛乳が大半みたいなやつね。あれをいつも買ってくれる人が良くてね。ハンサムなのよ、颯爽としてて。今でも喫茶店が残っているの、その名残だったりするのよ。その家が代々継いでるの」
確かに言われてみればやたらとこのへんは喫茶店が多い。地元ではいつも探すくらいなのに、この辺りでは歩いていれば一軒、二軒は簡単に見つかった。

陽は傾くと言われているが、その傾きをじっくりと見たことは一度もなかった。水面を見ていると、光の差し方によって、その傾きの変化が良く分かった。
一向に離れようとしないとその人を見て、まあ、こんな平日に水辺にいる人は毎日がこんな感じなのかもしれないと思った。ほのかにいい香りのするこの不思議さは恐怖よりも、好奇心に変わった。

「あんたは冬好き?」「嫌い」「フフッ、即答ね」「この辺の冬は突き刺さるから。病む」「向いてないね、ここの住人」「だから出るんです。あったかいところに」「そう。どうだった?突き刺す以外に、ここでの暮らしは」私はそう聞かれ、記憶を起こす。

満身創痍という言葉をここまで実感し、自分の輪郭をあらわにされたことがこれまでの人生であっただろうか。
どれだけのカイロを腹部に押さえつけても治まらない胃痛を抱え、国家公務員が見る中で、ひたすらマークシートに向き合い、社会に迎合するための通過儀礼のような黒服を身にまとった。
一つ一つ反応し、そのたびに自分の輪郭を見せつけられる残酷さに苦しんだ。

「いろいろ神経質になった気がする。良くも悪くも」「神経質なんだ、見えないね」「それもよく言われます。いろいろ知ったんだと思います。たぶん」「何を知ったの?」「いろいろ」「だからそれを聞いてるんじゃないの」
外からの威風を思考で消化する癖がついた。そのせいでいつも疲れていた。
「知ったんだと思います。いろいろな『差』を」「差?」「自分の中ではない差を知ったんです。社会の中にあるもの、外の世界のもの。でも、それと同時に自分の中にも差があることが分かってしまった」「自分の中の差ってあんたは一つじゃない」「最後の1年、自分の身体に裏切られたとき、ああ、心だけなんだ、欺けるのはって。こんなに差があるんだと思って。思考ばかり巡って、止まらない。それをどうにかしようと思って、お酒とか呑むんです。身体も少しは楽になるんです、スーって。でも、一過性のものだからまた考えて、どんどん乖離していく感じがして。自分の衝動性に悩んだと思えば、その怖さを回避しようと思って、抑えると今度はびっくりするくらい動かない。ちょうどいいとかそんなものはないのかなと思って」

その人は私の顔を見ることはない。じっと水面を見ている。
「いろいろ知ると、自分の輪郭をまじまじと見せつけられるんです。それは、いわゆる自分の肩書に対する世間の見方とかも含めて。自分は嫌だとは思わないけど、同じ肩書をもつ人がそう言っているから、それに引きずられて複雑にものを見てしまったりとか。その逆も然りで。私は別に私だよって思うんだけど、若いこととか、性別とか、そんなにこだわらなきゃいけないことだとも思わないけど、そのことを知らされるからこそ、名前がついていく。それで分かった気になって、落ち着いたかのように見えるけれど、それが自惚や偏見と引き換えに得たものかもしれないことを感じて、あ、これじゃない、これじゃないっていつも宙ぶらりんな感じがあった気がします」

救急車が頻繁に通るまちだった。早朝でも、深夜でも昼夜を問わず。名も顔も知らない数多の焦燥感が日常にあった。
はじめのころは近づいてくる音が大きくなるたびに、急激に多量の血流が身体をめぐるような感覚があった。今でもドキッとはするが、慣れたと思っていた。錯覚だったのかもしれない。

私は何を知っていたのだろうか。

「ねえ、あの城跡に行ったことある?ないでしょ?」「えっ?」「あの城、あんた登ったことある?」「ないです」すると、その人は私の手をグッと握った。そのままどこにそんな力があったのかと思う間もなく、数段あったはずの階段を一気に飛び越えた。

ザボン

パソコンの入ったリュックが重りになり、私を底へと沈ませようとする。顔はまだ浸かっていないが、首から下はもう見えない。あまりの衝撃で周囲にいた鳩も一気に飛んで行った。「びっくりした?」ここまで来てやっと、この人、危ない人だと思えた。苦悶の表情なと一切見せず、さもそれが当たり前かのような表情をしていた。「その背中の黒いの、持ってても邪魔だよ」それを聞いて、私はすぐにリュックを剥ぎ取った。陽の当たり続けていた水がどことなくあたたかい。「そういえばあなた、泳げる?」聞くタイミングが明らかに遅いことは明快なのだが、もはやそのことすら面白くなっていた。「学校の水泳で困ったことはない程度」「じゃあ、沈みそうになったら、その時に考えよう」

その人は私の後について来いと言わんばかりに城跡に向かって泳ぎ始めた。何年ぶりだろうか、いや、何十年ぶりだろうか。知っている泳ぎ方はクロールと平泳ぎくらいなので、疲労が少なそうな平泳ぎを選ぶ。重りとなるものがなくなった身体は軽く、浮力も相まって、思いのほか進む。飛び込んだ水中は私に背きはしなかった。
その人はチラチラと私の方を見ながらも確実な泳ぎで路を示す。もう年齢がどうこうとか、そんなものはどうでも良くなっていた。とにかく置いて行かれることがないようについていく。
誰かが私たちを見ているだろうか。誰かが私たちを追うだろうか。

「もう足がつくよ」足の感覚がおかしくなり、そう言われてもなお、足底に不動のものが触れる感覚がなくあがく。「右からつく。左」その声に従い、右を下すと、陸が触れた。そのまま左もついた。水を含んだ衣服は絞ってもどことなく気持ちが悪い。けれど、どこか、やり切った祭事のあとのような達成感と高揚感に触れた。
「本当に城跡でしょ」石やら草やら雑多という言葉がぴったりとはまるような陸地だった。「こんな感じ」「そう、ここを進むと上に登れる」「どんな城だったんですか」「もとの形は知らないね。私が小さい頃はまだ膝あたりまで残ってたんだけどね」パズルのようにはまることは不可能に近い破片があちらこちらに置かれている。これが城として機能していたころは、何一つ欠けることなく佇むことが美しいとされていたであろう。しかし、美しさの定義は変わる。一貫性に富むことは今、どれほどの価値をもつだろう。

足の指の間を生ぬるい生き物が通り抜けるような感覚は足取りをやや重たいものにさせた。気がつけば、影の向きが変わっていた。

「あんたが三年住んだまちだよ」
目下に広がるのは、ビルや瓦の群れだった。明瞭な境界線をもたない桃色と紺色は層をなし、不規則な模様を描く。「あんた、この三年で何が分かった?」「何も分からなかった。分からなくなった」「分からないことが分かった」

その人は靴を履いていなかった。
「知る真実の数が増えたとき、そこから自分の感覚で取捨選択していくことへの戸惑いが大きかった」「これは私の感覚、これは人の感覚。たとえ、自分のもつ肩書をもつ人の大多数がそう思っていても、それは違うと思って、信じてみることが、あんたにとって難しいものだった。私の時代は違ったんだよ。誰かが作ってくれた神話に乗っかっていればそれなりにいられたの。『男や女はこうあるべき』『田舎の人間はこうあるべき』とか。でも、今は自分で自分の物語を作っていかなければいけない。誰かや何かに縋っていなければ生きていけないくせに、自由かも分からないものと引き換えてしまったばっかりに、自分の感覚や感情をどのような言葉で紡ぐのかを自分で決めて、それに身を委ねる必要が出てきた。そんなの簡単じゃないのに」「分かっているつもりで、それは最もらしい解釈に縋っているだけに過ぎない。無意識のうちに自分が信じたいものを信じて、見たいものを見たいように見て。それでしか生きられないと知ることは限界を示されることだったと思います」
それを誰かは「受け入れる」とラッピングをするかもしれない。リボンのついた箱に収めるかもしれない。
「あんたはそれを諦めだと思った。それがあんたの感覚から得た真実だね。人は誰だってそれなりのものに縋っているんだから、そのことを悪く思う必要はない。一人でいるわけじゃないんだしさ。ある種の信仰よ」

私はその人の名を知らない。
「私がパンを売っている時にね、白いシャツを着た学生さんにものを売るとその日、いいことがあるって言われてたの。それで、みんないろいろな服の人に売るんだけど、その中で白いシャツの人を目で追うのね。それでこぞってその人のところに近づいて、大きな声で『パン要りませんか?』とか『コーヒーはどうですか?』とか言うわけ。今になれば本当かどうかなんて分からないけど、でも、そう思っている間はうまくいっているような、うん、幸せだったの。思い込みだと思うけどね。もちろん、何に縋るのかは見極めなきゃダメよ。でも、縋ることは、そうね…

お守りみたいなものかもしれないね」

自分の感覚や感情によって紡がれた物語を"信じる自分を信じる”。一回。それに縋ってみる。それで違うと思えば、また考え直せばいい。これは偏った考えかもしれないと思えば、他者の話を聞いてみたり、本を読んでみたりすればいい。

「寒くなってきたね。このまち、春になっても夕方は少し冷えるのよ」完全に冷え切った身体は身震いした。「身体は欺かないね。正直でいるのよ。色々と大変かもしれないけど、でも、どこかでこの三年に救われるよ。自分で自分のこと、救える時がきっとくる」
その人は子ども同士の会話を微笑ましくみる母のような表情だった。

「あんたなら大丈夫」

卒業した。
病める時も健やかなる時も、嵐の日も晴れの日も共に我が身とあった。
そして、変化していくであろう我が身とこれからもある。

幸あれ。






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