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No.88 1967年~ いろいろな「もの」への思い出

 前回、「“もったいない”本舗」についての話題を取り上げました。私もできるだけ「もの」を大切にしてきた方ではないかと思います。いろいろな「もの」を家の中に置いているので、家族から本や新聞など「もう少し処分したらどうなの」とよく言われます。私は人生において人との出会いや旅行、メディアなどのいろいろな「思い出」を大切にしています。その「思い出」の中にはいくつかの「もの」もあります。今回はそんな「もの」への思い出をご紹介致します。
 
 私にはとても大切にしている1本のシャープペンシルがあります。1967年の3月に小学校を卒業し中学校に入学するので、母がプレゼントにくれたものです。

 現在は私の机の引き出しの中に入っているこのシャープペンシル、中学から教師になって始めのころまで、およそ20年間使っていました。高校・大学・大学院の入試や試験・レポート、教師になってから授業構想や出版原稿のメモなどによく使っていました。不思議なことに一度も壊れたことがありませんでした。1980年代の後半にはワープロ専用機器を使うようになりほとんど使うことがなくなりましたが、現在でも使えます。このシャープペンシルが私にとって最も
思い出深い「もの」です。

 1980年代の後半から身につけている腕時計があります。

 この腕時計は光と振動で動くので電池が必要ありません。この時計を買うきっかけは、少し前に外国に行った時腕時計の電池が切れて困ってしまったことにあります。電池交換もいらないので現在でも身につけています。太陽光の関係で夏はよく充電できるのですが、冬は十分でなく部屋に置いておくとよく止まってしまうので、出かける前に時刻を合わせて光があたる所に置いてから使っています。35年ぐらい使っている愛着がある「もの」です。これからもできるだけ長く使いたい意向です。
 洋服もそれほど関心はないのですが、気に入って長く使っているのも少しはあります。

Burberryのセーター

 このセーターは2000年ごろ購入した記憶があります。学校にも着て行ったことがあり、教室では子どもたちが何を描いているか不思議そうに見ていたことがありました。定年退職後、幼児に五感の授業をする際に実際に着て行き「この絵からどんな五感が感じられるかな」と聞いたこともあります。
 現在このセーターは自立した娘が引き取り着てくれています。

 私は夏にはよくベストを着ます。出かける時などスマホや財布、定期入れを入れるには都合がいいからです。
 いくつかベストを持っていますが、一番長く使っているのが次のベストです。

Allegriのベスト

 1990年代後半には購入していると思われるので、25年以上着ていると思います。学校の遠足や校外学習にも着て行くと「先生、釣りに行くのですか。」と聞かれることもありました。このベストも現役で、エッセーNo.78でご紹介したこの夏訪ねた青森県十二湖の白神山地登山口に行った時にも着ています。

 1995年9月に授業参観と研究、国際会議のために、ストックホルム、オスロ、ロンドンを訪ねました。ストックホルムで街を歩いていたら偶然にも気に入った皮のバッグを見つけ購入しました。東京に帰ってから学校や研究会に行く時によく使っていました。最近は年のせいか背負うバッグを日常使っていますが、これをきっかけに皮のバッグをもう一度使ってみようと思っています。

 ここからは普段身につける「もの」というより、手に入った「もの」に話題を移します。
 1987年タイに行った時のことです。いくつかの都市を訪ねましたが、チェンマイから小型の飛行機でチェンライに行きました。私の前にお坊さんが搭乗されました。チケットを係の女性に直接渡すことはせずにカウンターに置き、そのチケットに係の女性がチェックをしてカウンターに置いたものをお坊さんは受け取っていました。機内でも女性がお坊さんの衣服に触らないよう注意していました。タイではお坊さんは特別な人だと認識していましたが、チェンライの農村地帯で優しいお坊さんにお会いしました。日本語が上手で訪日の経験があるようでした。いくつかお話をして下さり、私に小さな仏像を下さいました。この仏像は私のお守りになっています。その時のお坊さんの声の記憶は残っています。とても丁寧な優しい声でした。

 小さい仏像って言っても、どのくらい小さいか分かりませんよね。定規と比べると分かります。およそ2㎝の高さです。

 次は学校での贈り物の話題です。確か2015年の冬のことだと思います。その頃4-4-4制により、5年生から8年生(中2)担当の先生は中央校舎3階に職員室がありました。授業がない時には人工芝の中庭で初等科生が活動している姿をよく見ていました。見ている窓のすぐそばにスズカケノキがありました。11月ごろ実がなりますが、その後多くの実が落ちた後にも1つだけ実が付いていました。

 この1つの実は雨が降っても雪が降っても落ちないのです。


 この実がどうなるか時間がある時には見ていました。ある時、少し前に見た時はあった実がなくなっているのです。慌てて木の下に行き探すと1つの実が落ちていました。この実を大事に職員室の机の引き出しの中に置いておきました。
 先生方にこの実の話題を提供することもありました。これがいつまでも落ちなかったスズカケノキの実の現在の姿です。

 我が家で大切に保管しています。これもお守りになっています。私が定年退職した2020年3月より前にはこのスズカケノキの小さな枝はすべて切られ、実を見ることはできませんでした。
 
 2014年ぐらいから聖心教職員のOB・OG会に、世話役の方にお誘い頂き、現役の立場でしたが参加させて頂きました。ある居酒屋で開催されていました。
 2017年の会合の時だと思います。その年はテーブル席での会合でした。床は硬い素材で出来ていたように思います。日本酒も吞んでいて私が不注意にもテーブルに置いてあったお猪口を落としてしまいました。てっきり粉々に割れると思っていたら全く無傷でした。このお猪口も縁起がいいと考え、お店の人に事情を話しいただくことができました。普通のお猪口です。

 このお猪口もお守りになっています。
 
 定年退職後の2020年冬の桜の葉の思い出です。
 定年後の最も大切なことは健康管理です。午前中に運動をして午後に研究、仕事を続けていました(現在も同じです)。朝、多摩川の土手をウォーキングしていた時、あるお寺の桜の木から枯れた葉が1枚私の足元に飛んできました。靴の上にひっかかったので、何歩か歩けば飛んでいくと思ってそのまま歩いても靴から離れないのです。そんな葉でも縁を感じたので、丁寧にとってポケットに入れて家に持ってきました。
 これがその葉です。

 これもお守りの1つになっています。
 
 2022年2月22日は数字の並びがとてもいいですよね(西暦を略すと22.2.22になります)。従来ならこのような縁起物には関心を持つことはなかったのですが、エッセーNo.4「2022年1月8日 書評『町田忍の縁起物のひみつ』を見つけて」や前記の縁起に関することなどの経験により面白いという意識が出てきました。駅の券売機で偶然にも小銭入れに入っていた200円で切符を買いました。その切符がこれです。


 200円で買うということを意識していなかったのですが、200円の切符を買うと大きく200という数字がオチとしておまけに付いてきました。この切符もお守りです。
 
 縁起物も含めていろいろな「もの」への思い出という私の今までにないジャンルが加わり、これからの人生に楽しみが加わったように感じています。人生を楽しむという余裕を持つことは研究でも仕事でも大切な基盤だと思います。
 今回のエッセーはNo.88です。8という数字は漢字で書くと八です。八の形が上(現在の方向)から下(末を意味する未来や将来の方向)に広がっていて永久的に発展、繁栄するという意味があります。88ですから、さらに倍の発展があるかもしれません。私は今後もこの方針を貫きます。
 

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