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No.105 1984年~1989年 青山学院大学古銭良一郎先生との社会科研究会での出版

 エッセーNo.80 「1961年4月~ 小学校から大学院まで私を担任・指導教授して下さり、教師へ導いて下さった先生方」でもご紹介致しましたが、私の人生のメンター(指導者)であったのが、青山学院大学文学部教育学科の古銭良一郎先生でした。
 エッセーNo.80で次のように書いていました。「文学部教育学科の2年生の時出会ったのが、古銭良一郎先生でした。『教育研究方法』という講座で教えて頂いたのです。その後古銭先生にはおよそ35年以上公私ともにお世話になりました。私の人生の半分以上の期間メンター(指導者)としての役割を果たして下さいました。先生は東京大学を卒業後、ピッツバーグ大学大学院を修了され英語がとても堪能な先生でゼミでは教育内容・方法、社会科教育を厳しく指導して頂きました。大学4年生の時にはゼミの先輩たちとの研究会が始まり、その後教員になっても毎月渋谷のお好み焼き屋さんで教師の方が集まって研究会を30年以上続け、その時の方々とは今も交流があります。」
 研究会とは別に、もう少し先輩の方々との社会科研究会があったのです。      
エッセーNo.80で次のように書いていました。「先生は私が聖心女子学院初等科に勤務した4年目に、聖心女子大学文学部教育学科の教授に就任されました。その少し前から青山学院大学の古銭ゼミの卒業生で社会科の書籍を出版する研究会に私も入れて頂いていました。その関係で以下の書籍を共著として出版させて頂きました。私が教師になって8年目までのことでした。最年少の私は先輩たちにいつも助けてもらっていました。

共著『小学校 社会科の内容と方法』青学出版、1984.12
共著『子どもに探求させる 社会科の自由研究』東洋館出版、1986.7
共著『小学校国際理解教育の授業』東洋館出版、1989.2
執筆指導『世界とともに生きる日本の産業』全12巻 リブリオ出版、1989.4」

 今回は古銭先生に指導して頂き教育書を執筆した経験、それがその後の私の人生に大きな影響を与えて下さったことを書きたいと思います

 私の初めての出版が、共著『小学校 社会科の内容と方法』青学出版、1984年12月発行でした。この経緯と内容については、エッセーNo.68で言及しています。私の社会科研究のスタートが本格的に始まりました。

 この出版をした1984年に古銭先生とのエピソードがあります。古銭先生はこの年から聖心女子大学の教授に就任されましたので、同じ学校法人聖心女子学院として働くことになったのです。出版後先生が「長い間聖心で働くことができたら定年退職後、私立小学校の教師としてどのようなことが出来たのか足跡を本として出版したらどうか」というアドバイスを下さったのです。このアドバイスをどのように現実にするか考え続けました。次のように決めました。出版は来年2024年の7月。私が古銭先生とで出会ったのが1974年。来年で50年になります。初めての出版が1984年で来年は出版後40年になり、来年7月は私が70歳の古希を迎えます。縁起がいい年の出版かなと思っています。出版社も決まり、出版に向けての作業も始めています。
 
 2冊目の共著は『子どもに探求させる 社会科の自由研究』東洋館出版、1986年7月発行でした。

 この先輩の先生が立てて下さった企画は、当時の私が社会科で一番取り組んでいたテーマにぴったりのものでした。教師になった1981年から聖心の子どもたちの調べる能力にびっくりして、自由研究に取り組んだらどれほどのことができるかと考え試行していた時期と重なったのです。構成は以下のようです。
第1章    自由研究の位置づけと教育的意義
第2章    研究計画の立て方の指導
第3章    研究計画の実際例(テーマ・研究目的・研究内容・その方法)
第4章    資料処理の仕方とまとめ方の指導
第5章    自由研究の実践例と考察
 
私は第3章研究計画の実際例、第5章自由研究の実践例と考察の一部を担当しました。
 第3章研究計画の実際例では、テーマを設定し、(1)研究の目的 (2)研究内容 (3)研究方法 (4)指導のポイントを提示しています。テーマ例には、「私の町の観光地と観光行事」「スーパーの品物はなぜ安い」「私の旅行記」「もう一度使えるごみ」「もしも沖縄に行けたら」「郵便番号の仕組み」「山手線一周の旅」「姉妹都市とは」「有機農法ってなんだろう」「カンの中の魚たち」「カマボコは200海里を語る」「変わってきた洗濯機」「食品添加物ってなんだろう」「日本列島自然災害日誌」「お札人物事典」「1964年東京オリンピックそのとき人々は」「新聞に載った世界の国々」「コアラとパンダのお国自慢」「今、地球に何が起きているか」「アフリカ研究」「80日間日本一周」「数字の社会を探る」「メイドインアジア」など149例を載せています。いくつかのテーマ例について一部を写真でご紹介致します。

 第5章自由研究の実践例として3人の先生で子どもの研究例を分担し15の実践例を載せました。私は4つの例を執筆しました。次のような研究例です。「私の旅行記」(3年生)、「一週間の食事調査をしてみたら」(5年生)、「「社会の数字を探検しよう」(5年生)、「アフリカ研究」(6年生)。「一週間の食事調査をしてみたら」(5年生)について一部を写真でご紹介しましょう。

 この『子どもに探求させる 社会科の自由研究』を執筆させて頂くことにより、これから先の私の社会科研究に自由研究をしっかり位置付けることができるようになりました。とても貴重な体験でした。表紙に私の名前を記載して頂いた初めての本の出版でした。出来上がった書籍を出版社から送って頂くことになっておりその日を楽しみにしていたことを記憶しています。
 
 3冊目の共著は『小学校 国際理解教育の授業』東洋館出版、1989年2月発行でした。

 先輩の先生が立てて下さった3冊目の企画も、当時の私が自由研究と並び社会科で取り組んでいたテーマにぴったりのものでした。教師になった1981年から聖心での国際性にどのように個人として対応したらいいか考えていました。社会科では開発教育・国際理解教育に取り組み、ある程度研究をまとめる時期と重なったのです。構成は以下のようです。第1章    国際理解を深めることが、今なぜ要求されているか第2章    世界の国々の人々と手をつないでいけるような子に育てるためにはどのようなことを教えることが必要か第3章    国際理解の教育における授業の設計の仕方第4章    国際理解を深めることを目指した授業プラン第5章    国際理解を深めることを目指した授業の実践例私は第3章国際理解の教育における授業の設計の仕方と第4章国際理解を深めることを目指した授業プランの一部と第5章国際理解を深めることを目指した授業の実践例のすべてを執筆しました。今回の書籍では私の執筆量が最も多かったです。先輩の先生方がご配慮して下さったのです。第3章では「外国でのフィールドワーク」「児童にインパクトを与える導入の工夫」「児童の興味・関心を引く授業展開の工夫」「授業のまとめに工夫」などを執筆しました。「児童にインパクトを与える導入の工夫」の一部を写真でご紹介しましょう。

  第4章では、「私たちの生活と世界の国々との結びつきの授業プラン」、「日本と異なった文化・風俗・習慣を有する国々の授業プラン」、「地球的な規模で起きている問題の授業プラン」、「国際協力の必要とその現状の授業プラン」を計6本掲載しています。私は2本執筆しました「。国際協力の必要とその現状の授業プラン」の「きれいな水を求めて-ユニセフ・ユネスコの働き」の授業について一部を写真でご紹介致します。

 第5章では、3本の実践例を私が書かせて頂きました。「アメリカ・オーストラリアの『世界地図』を見てみたら」の授業実践、「私は『迷(?)ニュースキャスター』」の授業実践、「『アジアの伝統工芸パンフレット』作り」の授業実践です。 「私は『迷(?)ニュースキャスター』」の授業実践の一部を写真でご紹介致します。

 また、著書の表紙と裏表紙に私がスリランカをフィールドワークした時に撮影した、マーケットと郵便局の写真を使用して下さいました。

 この国際理解教育の著書はこれから先の私の社会科教育の1つの方向を示してくれる役割を果たしてくれました。
 
 4冊目の著書は、執筆指導『世界とともに生きる日本の産業』全12巻 リブリオ出版、1989.4発行でした。
 今までの教育関係者に向けたものではなく、小学生の子どもたちが学校の図書館室や公共の図書館で読むことを意図したものでした。子ども向けの図書の制作に初めて関わることになりました。
 4冊目といっても、12巻で1セットになっている図書の企画でした。このころの日本はバブル経済の時代で、日本の産業がものすごく景気がいい状態でした。民間の会社の給料はものすごく高く羨ましいと思っていた時代でした。日本の産業も国際化していて、それに合わせて「世界とともに生きる日本の産業」12巻を出版することになりました。

 どのような産業を選択するか編集会議を持ちました。選択した産業は、①漁業 ②食品 ③自動車 ④家庭電器 ⑤カメラ ⑥建設 ⑦商社 ⑧運輸 ⑨通信 ⑩新聞 ⑪広告 ⑫銀行でした。私は特に食品・新聞・広告を推し、3つの産業は採択されることになり担当もすることになりました。今回は執筆指導という立場でしたので、選択した産業の代表的な会社を訪ね取材の許可を頂くとともに書籍の構成や編集会社が作成した文面をチエックしました。食品は「日清食品」新聞は「朝日新聞」広告は「電通」を実際に訪ね取材の許可を頂き、それぞれの産業のようすを教えて頂きました。それぞれの巻のタイトルも私たちのグループで決めました。
 スペースの関係ですべての巻の説明はできませんので、私が担当した3つの巻の冒頭のページを提示致します。

『3分間でホットな関係』〈食品〉日清食品
『世界のニュースを伝える』〈新聞〉朝日新聞
『広告で届ける夢と情報』〈広告〉電通

 この著作を通して、子どもたちが直接読む本をつくることも価値あることと学ぶことが出来ました。その後、子どもたちのための本をつくり続けることの一歩となる貴重な経験をさせて頂いたのでした。
 
 古銭良一郎先生の社会科グループに入れて頂きたくさんのことを学ぶことができました。いろいろな研究会や合宿で研究だけでなくテニスや麻雀で遊ぶこともありました。ある時は遊びの方が優先して楽しい研究会や合宿になることがありました。このテニスと麻雀はその後私の年齢に近い先輩たちとの古銭ゼミ研究会でも日常や合宿でよく行われていました。麻雀は先生の自宅や我が家でもしていました。スキーもよく先生と一緒に行きました。テニス・麻雀・スキーの3点セットで楽しみました。働き続ける、学び続ける、遊び続ける原点は古銭良一郎先生の指導にあったのではと考えています。
 この原稿を書いている時、自宅の荷物棚を整理していたら、テニスのラケットと麻雀パイが出てきました。これもいい思い出として残しておきます。

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