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光を描くって、きっと難しい。

国立新美術館で「テート美術館展 光」を観てきました。

駅直結の乃木坂から行くのがオススメです

Webサイトやポスターに使われている作品たちが優しい雰囲気のものばかりで、いいな~癒されそうだな~みたいなノリで観に行きました。

平日の昼時で、会期もまだまだあるのでめっちゃ空いてるかと思ったら、常に2つ3つの人だかりが視界に入る程度には混んでいて。人の気配をバチバチに感じなら、漫然と作品を眺めていました。

そんななか、この絵が気になりました。

ヴィルヘルム・ハマスホイという人の作品でした。

全体的に落ち着いた色使いなのに、なぜかちゃんと光が感じられました。暗いのに光がある。むしろ、影があるから光が感じられるのかも…

と考えながら、じゃあ、私だったらどうやって光を描くだろうか。光ってどう描いたら光になるんだろうと気になりました。

展示室の入口にあった挨拶文に「光は確実にそこにあるのに、反射や屈折などがない限り光を見たり感知することはできない」と書かれていたことも思い出しました。

綺麗な光とか光が眩しいって思うけど、たぶん光だけを描くことはできない気がします。思いつきで今、燦燦と降り注ぐ太陽の光を描いてみました。

なんや

これも、右上にある太陽的な何かのおかげで線が光のように見え……なくもない、はず。線だけにしてしまうと雨に見えそうだし、線にしか見えない気もします。

それなら、どう描くか。

きっと影とか闇とか、光と対照的なものを描くことで、光を表現するだろうなと思いました。もしくは、なにかに反射してキラキラしてる感じとか。とにかく、光以外の何かを登場させることで光を表現すると思います。

でも、ヴィルヘルム・ハマスホイの絵のように、例え光そのものを描かなくても光を感じられたり、光以外の要素がいっぱい描かれていても真っ先に光を感じる絵だって思えることがある。

しかも、一口に「光を感じる」といっても、その中身はあたたかさとか優しさとか懐かしさ、繊細さ、尊さ、ちょっとした寂しさなど、単なる明暗の違いに留まらない様々な感覚を内包していました。

ほんの一部ですが、こんな作品たちが観れます。

めっちゃ綺麗であたたかい


美しい
影まで綺麗
去年のリヒター展に続いて、また観れて嬉しい
不思議
都会のネオンみたい
色が変化するインスタレーションでした
まぶしい
何かが破裂したようにも見える。綺麗


会期は10月2日まで。さまざまな光の描かれ方を目で見て感じてきてください!

光が照らすってよく言うけど、案外、照らす対象あってこその光なのかも……なんてポエミーなことを考えまくったピーターでした😌✨️

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