見出し画像

ファッションで「あなたはどう生きるか」を問う。ライター・イラストレーター、皿 割子さんの【人となり】

こんにちは! ピーターです。

私の身近にいる人の「今」から、その根底にある資質や感性を深掘りするインタビュー企画「HITOTONARI」。第2回目は、ライターでイラストレーターの皿  割子さん@sarawarimakuri)にお話を伺いました。

皿さんと私は同郷で、同じ高校に通っていました。noteやTwitter、Slackで使用している私のプロフィール画像は、皿さんに依頼したものです。

現在「書く」「描く」「着る」という3つの切り口でファッションと向き合っている皿さんは、数年前までは音楽活動に全力を注いでいたと言います。10年以上続けた音楽を辞め、ファッションで書く(描く)ことを選んだ背景には、どのような想いや決断があったのでしょうか。


この記事に登場する人

■話し手:皿 割子さん

1992年、福井県生まれ。大阪府在住。2020年より、自身のnoteTwitterInstagramでファッションに関する文章・イラスト・マンガを発表。似顔絵作成やファッション以外の取材・執筆も行なう。本職はライター/編集業で、主な担当ジャンルはファッション系と音楽などのエンタメ系。

■聞き手:ピーター
1990年、福井県生まれ。東京都在住。編プロなどを経て、2021年春よりホットリンクに在籍。高校生の頃、コピーバンドで歌っていました。

ファッションを通して、自分の在り方を発信したい

――皿さん、お久しぶりです! と言っても、TwitterやInstagramではよく見かけています。先日、Webメディアに記事が出ていましたね。

皿 割子:
ありがとうございます!

――どんな経緯で取材依頼がきたんですか?

皿 割子:
Twitterがきっかけですね。「着たい服がない」ことに向き合ったツイートをしたら、たくさんの方に読んでいただけて、その時にWebメディアの方から連絡がきました。

――私も「いいね」をしましたが、投稿の表示回数が10万回を超えていて、共感する人が多いのだろうと感じました。

ただ、私の中で皿さんは「音楽の人」というイメージが強くて。

私と皿さんは、同じ高校の音楽同好会で知り合いました。皿さんは校外でも活動していて、卒業後も大阪でずっと音楽活動をしていたと聞いています。

きっと今の皿さんにも音楽活動での経験が息づいていると思いますが、まずは自己紹介も含めて、現在どんなことをしているのか教えてください。

皿 割子:
わかりました。私はピーターさんと同じ福井県出身で、高校卒業後から大阪で暮らしています。本業は「わしの」としてやっているライター/編集で、主な担当ジャンルはファッションや音楽などのエンタメです。

取材を通して、クリエイターさんたちの生き方や考え方を発信するお手伝いをさせていただくんですが、私自身としても、自分の内面的なことを発信したい気持ちがあって。それを実行するために始めたのが、皿 割子としての活動です。

皿 割子はライフワークのような位置付けで、文章・イラスト・マンガを書いて(描いて)います。こちらでも似顔絵作成のお仕事や、取材・執筆依頼をいただいています。

ネガティブを糧にする表現はやりきった

皿 割子:
先ほどピーターさんが言った「音楽のイメージ」は、私の経歴ともけっこうリンクしています。7年ほど前からライターをやっていますが、なりたての頃、私はゴリゴリのバンドマンでした。

サーキットフェス(同じエリアの複数のライブハウスで行われる形のフェス)に出るなど、がっつりバンド活動をしながらライターとして働いていたんです。

でも、「音楽はもうやりきったな」と思う瞬間がきたんです。

コロナが蔓延する直前、2020年の冬でした。音楽は10年以上やってきていましたが「よし、もうこれで終わり。悔いなし」と思えたんです。

音楽活動の終了とともに皿 割子としての活動を本格化させたので、私はつい3年ほど前まで「音楽の人」でしたね。

――皿 割子としての活動を始めた経緯、初めて知りました。「やりきった」というのは、目標を達成したのか、ある日突然そう感じたのか、どちらに近いでしょうか。

皿 割子:
どちらにも当てはまらないかもしれません。そもそも「やりきった」では、聞こえが良すぎるかもしれません。

私はずっと音楽を、負の感情をアウトプットする手段として使っていました。憎しみや怒り、悲しみ、悔しさなどの全てを音や詞、自分の声にのせる――というのが、私の音楽活動でした。鬱屈した世の中への反抗心みたいなものを、外に向けて訴えるための活動を10数年続けていました。

でも、自分に対して言うのも変ですが、怒り続ける・悲しみ続ける・過去の怒りを糧にし続けることは、本来の自分の生き方とは違うんじゃないかと気付いたんです。私はもっと明るく、ポップに生きることで、悔しさを昇華できる人間なんじゃないかなって。

――ものすごく大きな気付きだと思うのですが、どうやって気付いたんですか?

皿 割子:
良い音楽を作っている自信はありましたが、ずっと売れなくて。良いものを作っているはずなのに、売れない。才能がない。認められない。そんな葛藤のなかで気付きました。

私の音楽は、決して明るくもポップでもなく「わかる人にだけわかる」みたいなものでした。その上で「私はここにいてこんなにも良い音楽を作っているんだから、誰か見つけてよ」と、ずっと待っていたんですよ。

でも、音楽の限界を感じた時に「誰かを待つ」が「自分から見せつけにいこう」に変わりました。

みんなが惹きつけられそうなポジティブなものの中に私の反骨心を混ぜて、こちらから眼前に叩きつけにいこう、と…(笑)。下を向くより上を向く方が難しいから、だったら難しい方をやってみせたいという気持ちもありました。

ただ、私にとって音楽はポジティブなものではなくて。私にとっての一番ポジティブなものを考えた結果が、ファッションだったんです。

 そうやって、「ネガティブを糧にする表現はやりきった。今度は、ファッションを通したポジティブな表現を本気でやる」と決めました。

最終的に「皿 割子」になりたい

――インタビューを始めてまだ10分ほどですが、皿さんは、ご自身の感情とすごく向き合っている印象を受けました。

皿 割子:
確かに、めちゃめちゃ向き合う方です。自分のことをよく分かっていないから知りたいって気持ちが大きくて。

それと、自分以外の人にも私のことを分かってほしいと思っています。人に分かってもらうためには、誰が聞いても分かる言葉にしておかないと、絶対に分かってもらえません。だから、会う人みんなに「私はこういう者です」と伝えられるように、自分のことを語る言葉をストックしていく。そのために自分と向き合っている部分もありますね。

――実際に書き出すんですか? それとも、脳内の引き出しに閉まっておくのでしょうか。

皿 割子:
私自身の脳内に入れて、皿 割子として書き出すようなイメージです。

私と皿 割子は99%同じ人間ですが、皿 割子は私の中の良い面をより濃くした存在なんですよ。私が最終的になりたい人物像とも言えるので、敬意を込めて「皿さん」と呼ぶこともあります(笑)。

皿 割子のSNSアカウントを作った時に「皿さんが言うことってなんだろう。言わないことってなんだろう」と考えて、書き出しました。私はすごくネガティブだし弱いところもありますが、皿さんは愚痴を言わないし、「好き」を語る時に他のなにかを下げたりはしません。

――それは確かに、さん付けで呼びたくなりますね。自分の考えを言語化しているのは、昔からですか?

皿 割子:
そうですね。小学生の頃から作詞作曲や小説を書いていました。ただ、それ以前から「生きることは作ることだ」と思っていました。

――そう思うようになったきっかけは?

皿 割子:
福井県という絵に描いたような田舎で生まれて、その中でも特殊な盆地で育ったことが大きいですね。

盆地は山に囲まれているので、山の向こうの景色が見えません。くもりや雨、雪が多く、快晴はほとんどなし。冬はものすごく寒くて、冬季うつ病が発生することもあります。テレビを通して知る東京とはかけ離れていて、なんだか置き去りにされているような感覚があったし、幼少期から「檻の中で生まれた」と思っていました。

そんな環境に加えて、うちの父親が本当に厳しくて。小学生の頃に、「ここで暮らして就職して結婚して、お前はここで生きていけ」と言われたことがあったんです。子供心に「そう決まっているなら、生きる価値はないな」と考えていました。

でも、そんな時にとある音楽に出会って、音楽のもつ自由さや表情の豊かさ、表現の幅広さに衝撃を受けたんです。

――具体的には、どんな音楽だったんですか?

皿 割子:
世界観がものすごく作り込まれていて、単なる音や曲ではなく舞台のようでした。「こんなことを考えられるんだ」「頭の中にあるものを表現できるんだ」「こういうものを作れる人が、世の中に出ていけるんだ」と嬉しくなって、のめり込んでいきました。

そのアーティストのファンをきっかけに、ゴシックやパンクファッションも知りました。こんなに「自分らしさ」を表現できるファッションがあるんだ!と、これもまた衝撃的でした。

「ファッションを通して、なりたい自分になれるんじゃないか」「田舎で暮らす私でも、"何者か"になれるかもしれない」と思ったことが、ファッションに関する原体験ですね。

――なるほど。音楽もファッションも、なりたい自分に近づいたり、自分を表現するための手段として惹かれたんですね。

皿 割子:
そうです。本格的に文章を書き始めたきっかけも、そのアーティストとの出会いでした。中学生の頃から文学賞に作品を送り続けていました。

高校生の時、ある文学賞に応募していて、原稿を提出する時に父親から「お前ごときが受賞できるなら、世の中みんな文学賞とってるわ」と言われたんですよ。

で、本当に賞をとれたんです。受賞発表の時、父親からきたショートメールに一言「アンタはすごい」と書いてありました。私にとって父は、生まれ育った盆地の山のように目の前に立ちはだかる「壁」でしたが、10代の時に自分の力で父にすごいと言わせた経験は「書く」ことの原体験になっています。

パッションとは、ポジティブとネガティブを包括した「激情」

――皿さんは現在、文章を書く・イラストやマンガを描く・自分自身で着るという3つの方法でファッションと関わっていますよね。どんなこだわりやスタイルをもっているのか、それぞれ教えてください。

皿 割子:
まずは、書くことと描くことについて。私のなかでイラストやマンガは「試食」の位置付けで、本当に伝えたいことはnoteに書いています。

イラストとマンガは、比較的多くの人に読んでもらいやすいコンテンツですが、文章は「読む人は読むけど、読まない人は絶対に読まないもの」と認識しています。なので、書きたい(描きたい)エピソードを、note・マンガ・イラストのどれで出すかは、かなり考えます。

先ほどもお伝えしたように、イラストやマンガは、ポジティブに私の反骨心を表現するために描き始めました。今は私のキャッチコピーを「パッション×ファッション」と決めていて、それに連なるような考えや感じたことを描いています。

――イラストと言えば、2021年の春にも私の似顔絵を描いていただきました。現在も受付中ですか?

皿 割子:
はい。似顔絵を描くのも大好きなので、受け付けています。ただ、今は私の中にあるパッションを出したい気持ちが強いので、積極的には募集をかけていません。

――皿さんにとってのパッションは、どのような意味合いをもっていますか?

皿 割子:
激情ですね!(笑)。ポジティブかネガティブかを問わず、激しく湧き出てくるものです。いま、パッションを出したい気持ちが強いのも、湧き出てくる感情がたくさんあるからですね。

――そうなると、イラストやマンガは「月に●本描く」よりも、感情が湧き出してきたら描く、ですか?

皿 割子:
そうですね。実は、今年の春までは半年ほど「週1で更新する」と決めてやっていました。投稿ペースを守るために土日に寝ないで描いていたんです。その結果、生活もメンタルもボロボロになりました。

しかも、週1で更新するために無理やりネタを探している自分に気付いたんです。どこかで「皿 割子っぽさ」を演出しようとしている気がしました。

でも、それは違うだろって。

皿 割子は、自分のパッションに突き動かされてアウトプットしていくんだ! そう思って、週1更新はやめました。そもそも自分の生活をないがしろにすると、ファッションや創作活動すら楽しめなくなると気付かされました。

――なるほど。続いては「着る」ですね。私が知る限りでも、皿さんはパンク・森ガール・古着ミックスなどの服装をしていましたが、着る服の系統はどんなタイミングで変わるのでしょう?

皿 割子:
思い返すと、自分の価値観がガラッと変わる経験をした時かもしれません。

例えば、大学生の頃に「派手な髪色と個性的なファッション」を自分のアイデンティティにしていた時期がありました。でも、就活で黒髪に地味なリクルートスーツを着ることになって。没個性な姿で面接に行くことが本当に嫌でした。

そんな状態で集団面接を受けた時、「あなたにとって個性とは何ですか」と聞かれたんです。

すると、瞬間的に「私が今、この場で坊主にして全裸になって身体の薄皮を剥いた状態になっても、私だと分かるもの」と答えていました。とっさに「派手さではない。個性は表面を飾るものではなく、自分自身がもって生まれたものだ」と感じたんです。

就活が終わってからも、派手さや個性的なファッションを追い求めるのはやめて、自分らしさって何だろうと考えるようになりました。

他者から気付きを得て、価値観とともに服の系統が変わる経験は何度もありました。ファッションは自分を表現するためのものだと考えているので、内面が変わったら、それに合わせて着たい服も変わるのだと思います。

最後に「最高の人生やった」と言ってみせる

――お父様とのエピソードもそうですが、怒りや悲しみで終わりそうな経験からも、ポジティブな教訓を得ていることが多いですね。糧にする力が強いというか。

皿 割子:
それは、「人生の最後に”最高やった”と言ってみせる」という気持ちからかもしれません。

私のなかには「自分から頼み込んで生まれてきたわけでもないのに、しんどいこと起きすぎじゃないか。もっと楽しい人生じゃないとおかしいやろ」という怒りがあって…(笑)。だからこそ、しんどいことがあっても、ただでは起きないんだと思います。

――「最高の人生やった」と言うために、この先どんなことをやりたいですか?

皿 割子:
まず、35歳までに本を出したいです。

ただ本を出すだけではなく、皿 割子として発信しているパッション×ファッションに連なる内容で出版したいです。書籍として発売することは、「私の発信に商品化するだけの価値があるか」の証明にもなると思っています。

皿 割子の活動をあらゆる形で支えてくれている友人たちがいるので、出版パーティーに呼んで一列に並んでもらって、みんなに順番に感謝の言葉を伝えて、頼まれてもいないのに勝手に本にサインをして渡していく――そこまで含めて、目標です!(笑)。

ただ、友人の一人から「それ、俺は別に行かんでもいいな」と言われました。

――あれ? なぜでしょう?

皿 割子:
私も「なんで?」と質問したら、「今までの生き方とか活動をそばで見てきて、皿 割子が本を出すことは全く奇跡じゃないから」と言われたんですよ。

このまま突き進んだら、皿 割子の夢が叶うのは当たり前だと思っている。パーティーを開く必要もないくらい当たり前で、奇跡的なことでもないから。

そう言われた時から、私が夢を叶えた姿やその時に見える景色を、応援してくれている人たちにも絶対に見せようと決めました。

――聞いていて、私も胸が熱くなりました。将来の展望として「自分のファッションブランドを立ち上げる」というものも、あるのでしょうか。

皿 割子:
SNSでファッション関連の発信を行なう人の行き着く先として、ブランドの立ち上げはよくあることですが、私はそれだけは絶対にやりません。

ファッションに携わる方々への取材を通して「どういう人たちが自分でゼロから服を生み出す人たちなのか」を目の当たりにしているので、私は全くその域に達していないことを強く自覚しています。

あるとしたら、私が心から好きだと言える空間を作って、そこに世界中から私自身が集めてきた服たちを置くような展示でしょうか。それであれば、「自分がどんな好きなものに囲まれて生きていくか」という、皿 割子のテーマに沿っているので。

繰り返しになりますが、私がやりたいのは、ファッションに関するクリエイションを通してパッションを伝えることなんですよね。

パッションは私だけがもっているのではなく、みなさんのなかにもあるものです。これからも、文章・イラスト・マンガで「ファッションを通してあなたはどう生きるか」を問い、「私はこう生きます」を示し続けます。

――わかりました。これからも様々なアウトプットを通して、皿さんの生き様を見届けます。皿 割子さん、本日はありがとうございました!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?