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【れきし小話vol.1】動物に優しい悪役が人間にも優しいとは限らないという話

 自分の知識の整理と文章の練習がてら、ちょっとした歴史の与太話を書いていきます。
 第1回は春秋時代の暗君・えい懿公いこうについてお話していきます。
 歴史上、暗君暴君は山の様にいます。山の様にいたらダメなんですけどね。そんな暗君暴君界隈では独創的な奢侈と、個性的な末路で知られるのが衛の懿公です。

時代背景と評価

 衛の懿公は紀元前660年ごろの衛の君主で、衛は現在の中国・河南省かなんしょうにあった国です。
 この時代は後世春秋時代と呼ばれる戦乱の時代で、各国が争ったり同盟を組んだりといった時代でした。
 様々な国が乱立した春秋時代において、衛は文明の中心地に位置し、さらに当時の国際社会の盟主であったしゅう王朝にも繋がる由緒正しい血統を持った国でした。
 懿公の100年ほど前の衛公、武公ぶこうの時代には善政を布き、当時の周王を脅かした犬戎けんじゅうという勢力を討伐するなどして隆盛を極めました。

 衛の懿公は紀元前669年に父の後を継いで衛公として即位します。
 当時の記録した歴史書である史記しきには淫楽いんらく奢侈しゃしであったと記されています。つまり、必要以上に贅沢を楽しみ、道徳的な節度を忘れた淫らな行動が多かったということです。
 これだけならスタンダードな暗君ですが、彼の個性と言えるのが、『鶴を好む』です。
 衛の懿公は歴史に名を遺すほどの鶴オタクだったのです。
 まあ、鶴オタなだけで奢侈はともかく淫楽とは言われない思うので、公序良俗に反する行いもあったんじゃないかなと個人的には思います。

 マンガなんかだと悪役が動物に優しいところを見せて実は……なんて展開はよくありますが、懿公は動物には優しいけど人間には全然優しくなかったようですね。

鶴オタ、国を滅ぼす

 春秋しゅんじゅうという歴史書の注釈書である左氏伝や、戦国時代のしんの宰相・呂不韋りょふいが編纂した呂氏春秋りょししゅんじゅうには、鶴を車に乗せて送迎したり、安くない俸禄と官職を鶴に与えていたようです。

 これだけならただのおもろいオッサンで済むのですが、話はこれで終わりません。

 当時は周王朝を中心とした秩序に所属しない人々、蛮族と呼ばれる人々が各地にいました。
 紀元前660年にその中の一つ・てきと呼ばれる人々が衛の国に攻め込んできます。
 当然、懿公はこれを防ごうとしますが、衛の臣民が言う事を聞きません。
「鶴に命じて敵を討てばよいでしょう。我々よりたくさん俸禄をもらい、官職も高いのですから。
 我々が働く必要はないでしょう」

 鶴を愛するあまり人間を軽んじた結果、衛は滅び懿公は翟人に殺されてしまいました。

こんな個性ならない方が良い

 史記や春秋左氏伝での懿公の記述は以上ですが、呂氏春秋には続きがあります。
 呂氏春秋には懿公は死後『その肉を悉く食われた』『肝臓だけが打ち捨てられた』と記述されています。
 そして、寵臣であった弘演こうえんという大夫たいふ(大臣)が捨てられた肝臓を見つけたそうです。なんで懿公の肝臓と分かったのかは謎です。食われてた現場でも見ていたのしょうか。そして、弘演は自らの腹を引き裂き、肝臓を取り出して代わりに懿公の肝臓を入れて絶命したと呂氏春秋にあります。

 戦争で討ち取った敵の肉を食べるという行為は世界の様々な地方で見られ、特別異常というわけではありませんが、それでも一国の君主が食べられてしまうというのは非常に稀です。
 他にこのようなケースがあれば是非教えて頂きたいですね。

実は漫画にもなっている

 衛の懿公は『東周英雄伝』という漫画でも紹介されています。
 漫画内では鶴にしか心を許せない哀しい人物という描写がされています。作者である鄭問先生の画力もあってとても儚げで美しい懿公を見ることができます。さすがに食人描写はありません。
 他のエピソードも非常に読みごたえのある作品ですので、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

 次回はブスが好きなんじゃなくて好きになった人がブスだった話をします。