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ミノス王家の女性たち(Ⅱ)

「アリアドネの糸」。
パシファエの二人の娘のうち
この成句に名を残す姉娘は
牛頭人身の弟の誕生から十余年が過ぎて
ひとりの若い女性に成長していた。

そのころ
ミノスに咎あるアテナイは
その償いとして年に一度
(三年あるいは九年に一度とも)
クレタに貢物を献じることになっていた。
貢物は、ミノタウロスの生餌、
七人の乙女と七人の少年。

ある年
アテナイの王の血筋の若者が
これに憤り、怪物退治を決意する。
美しい勇者の名はテセウス。
人身御供の一団に紛れクレタに着いた若者を
一目見てアリアドネは恋に落ちた。

テセウスはささやく。
あなたの力を借りて怪物を倒し
故郷アテナイに生還できた暁には
あなたを娶ろう。
クレタの王女は
アテナイの王の后になる、と。

ミノタウロスの姉は
恋人に糸の玉を手渡す
アリアドネの糸。
迷宮の入り口にこの端を結び
糸を繰り出しながら進んで
怪物を倒したら糸を手繰り寄せ
もと来た道を引き返せばよい、と。

ミノタウロスがテセウスの一撃に倒れるや、
アリアドネは恋人とともに
父の家をあとにした。

二人を乗せた船は
秋吹く南風を受けて一路、北へ。
道半ば、エーゲ海に浮かぶ小島に錨を下ろした。
翌未明、かわたれの薄闇に
船は帆を上げ、さらに北へ。
まどろむアリアドネを
ひとり残して。

       *     *     *

ミノスの王家は白い牡牛とともにあった。
ミノタウロスのみならず
ミノス王自身、ゼウス神が化身した白い牡牛と
フェニキアの王女エウロペの息子であったから。

海と太陽が交わるところ、
漁(すなどり)と交易の果実、クレタ。
おお、海神よ。逆巻く水の不断の跳躍
その滴り、瑠璃と玻璃との
きらめきの凝縮<白>。
海から現れた白い牡牛の力こそ
ミノス文明繁栄のみなもと。

しかし
テセウスのアッティカ(ギリシャ)に
白い牡牛はいない。
いるのは、馬。
ただ駿馬、ただ奔馬。
恋する女性が身を潜めた
張り子の牡牛はもはやなく、
ある日、木馬がつくられる。
武装した屈強の戦士たちを腹腔に蔵し
十年におよぶ戦をギリシャの勝利に終わらせる
あの、トロイの木馬。

そのアッティカの浜をめざして
アリアドネの嘆きばかりが
エーゲの海を渡っていく。
不実な恋人を追って
寄せる波のように
満ち来る潮のように。

       *     *     *

アリアドネは、以後、西欧文明の
糸のながれの結び目にしばしば姿を見せる。

帝政に移行したばかりの古代ローマ
詩人オウィディウスは
エレギア詩形による書簡体作品『恋文集 Heroides 』に
遺棄されたエーゲの島からテセウスに書き送った
アリアドネの文をおさめた。

ルネッサンスから近代へ移り行く
十七世紀初頭のフィレンツェ、
新興の音楽ジャンルであったオペラにも
アリアドネは居場所を得る。
C・モンテヴェルディの『アリアンナ』(1608)
オペラ本体は散逸したものの
ヒロインの嘆きの歌はいまに伝わる
「アリアンナのラメント Lamento d'Arianna 」。

そして、近代がその終焉を予感したかのウィーン世紀末
その余薫につつまれ、第一次世界大戦さなかの欧州に
二十世紀のアリアドネは出現する。
R・シュトラウスとホフマンスタールによるオペラ
『ナクソスのアリアドネ Ariadne auf Naxos』(1916)

舞台は過去三百年の演劇潮流を抱きとるかのように
モリエールの『町人貴族』を思い出させ、あるいは
イタリア即興劇 Commedia dell'Arte を彷彿させる。
音楽も、十七世紀オペラにならって
主役級の若い男性を女声高音が歌うかと思えば、
一瞬モーツアルトと聞きまごう
コロラトゥーラのアリアが響く……。

       *     *     *

<美>に魅せられ、
その深みへ分け入ろうとする猫たちに
アリアドネは糸を差し出す。
自他の心の迷宮の果てに待つものが
ミノタウロスであったとしても
怪異の彼方に
(あるいは、その只中に)
猫たちは見る。
純白の牡牛を遣わす海神の宮居を、
沸き立つ潮の光の泡で
美と愛の女神ウェヌスを生んだ
海の広がりを。

エーゲの海、そして
「海辺の墓地」に立つ風を受けて
見晴るかす
地中海。

   見つかった。
   何が? ―― 永遠が。
   それは海
   太陽のよく似合う。
                A・ランボー「永遠」(1872)              

     


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