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五月の海へ

五月一日、うるう年なら
立春から数えて八十八日目
夏も近づく八十八夜。

五月一日は
フランス猫たちにとっても、ちょっと特別な日。
春分から夏至までの三か月をほぼ二分するこの日、
猫たちは大切な相手に ”幸運のお守り ♡ スズラン” を贈る。

小さな造花を飾ったチョコレートの植木鉢も美味しいし
お花屋さんの店先に整列したコたちも立派だけれど、
猫たちは、木洩れ日の ”森のスズラン” !

森のスズラン

パリ市の門を一歩出れば、森と広野、
イール・ドゥ・フランスの野に
ロワールの岸辺の森に、若い緑を求めて
中世の猫たちも、野遊びに。


『ベリー侯のいとも豪華なる時祷書』より「五月」
 シャンティイ、コンデ美術館蔵(1411-1416 制作)

牡羊座から双子座へ星々は移り、
季節は、春から夏へ。
十五世紀、貴公子たちは若葉を身につけて
恋の始まりに胸高鳴らせ、妙齢の娘たちは
”五月姫” となって彼らを迎える。
ベリー侯も愛した青春の饗宴。

新緑にむせる村々でも
若い猫たちは意中の相手の住む家の
戸口に若木を立てかけて
「♩家族になろうよ〜ニャ〜」

十六世紀、フランス・ルネッサンスは真っ盛り、
一年中で一番美しい月を猫たちは歌う。
ロワールの城館フランソワ一世の宮廷では
流行の最先端、イタリア生まれのマドリガル、
パリの街角では、多声楽曲 ”シャンソン”
いまを生きるよろこびに弾け
すぐそこにある幸せを待つ
もどかしい若さにあふれて。

お母さん、切ないの、お嫁に行かせて。
いまは心を決めるとき
五月の若木を立てるとき。
              (フランス・ルネッサンスのシャンソン)

            🍀

五月、猫たちは旅に出る
春と夏の間(あわい)の海が好き。
チビ猫のころからユースホステルのある
岬を選んで(お宿に困らニャイように!)
よく旅をした。

三好達治の詩を想ってかニャア……。

海よ、僕らの使う文字では
お前の中に母がいる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、
あなたの中に海がある。

三好達治「郷愁」

「海(mer)」と「母(mère)」とは
フランス語では同じ音。メール /mε:r/ ―—

カルチェ・ラタンの路地裏に住む
半ノラ子猫の海は紺碧、地中海。
「我らが海 mare nostrum」
古代ローマ猫の真似をして。

そうと決まれば、尻尾を立ててパリ=リヨン駅へ。
マルセイユ行の電車にちょこんと乗りこんで
終点で乗り換えたら、海沿いの鉄路を東へ。

荷物を置くなり
ニャーとお宿を飛び出して
宵の八時を過ぎても
なお暮れなずむ浜辺を
尻尾ユラユラお散歩猫。

汀に立てば、夕凪の無風の風。
海と空との深みから
オーボエが馥郁と響き
波は夕陽に映えて
降り注ぐ金管の煌めき。
ハープやリュート、ヴィオラ
潮騒は、絃の爪弾き。

モンテヴェルディ Claudio Monteverdi (1567-1643) 
『聖母のための夕べの祈り Vespro della beata Vergine』 (1610)

            🍀

夕べの祈り vesproは、「晩課」
時祷書に、暦とともに収められた
「聖務日課」の日没時の祈り。

モンテヴェルディが数年後に楽長となる
サン・マルコ大聖堂ならずとも、十七世紀、
あちこちの教会堂で聖歌隊席は拡張され
オルガンとともに器楽演奏も典礼音楽に
多く用いられるようになっていく。

『聖母のための夕べの祈り』全十四曲 中
第九曲は歌と楽器で奏されるコンチェルト
「聞け、蒼天よ  Audi, caelum」。

歌われる詞は聖書の引用でもなければ
教会の祈禱文でもない。
のちのオペラに大きく影響した
音楽寓話 favola in musica 『オルフェオ L'Orfeo』(1607)の
作曲者にふさわしく、構成はどこか演劇を彷彿とさせて。

前半は、二名のテノール(中音域)による男声二重唱。
テノールⅠにテノールⅡが ”こだま ” で応える。

テノールⅠ
Audi, caelum, verba mea   聞け、蒼天よ、わがことばを
plena desiderio et     のぞみに満ち
perfusa gaudio                    深い喜び溢れる[わがことばを]

テノールⅡ
Audio                                     [わたしは]聞いている

「喜び gaudio」と「聞いている audio」
単に語の一部分を繰り返すだけではなく
”こだま” は自らの思いを告げる。さらには

テノールⅠ
Dic, nam ista pulchra            語れ、かく言うも、この麗しきものは
ut luna electa,       選ばれし月のごとく
ut sol replet laetitia      太陽のごとく、心躍る歓びで満たすがゆえに
terras, caelos, maria.            幾多の地を、幾多の空を、幾多の海を。
                        
テノールⅡ
Maria.           幾多の海を……マリア
テノールⅠ      
Maria !                                  マリアよ!

中性名詞「mare 海」は、横着猫向き。
主語 ”主格”も、呼びかけ ”呼格”も
直接目的 ”対格”も、すべて同じかたち(ニャハハ)
単数なら mare 、複数なら maria。

先唱者が「幾多の海を」と歌うと
”こだま” が 語の一部ではなく
全体を繰り返したことから
先唱者は同じ音列を、今度は
「呼びかけ(呼格)」として歌う。
おとめマリアよ!

   死を払い、いのちの光もたらす東方の 門、
   類まれなる癒し手、罪あるものと
   神との全き媒介(なかだち)……

テノールⅠの華やかな母音歌唱と
それを支える器楽合奏に導かれ、

Omnes hanc ergo sequamur それゆえ、我ら挙ってみあとに従わん。

六声の合唱が始まり、曲は後半へ。
テノールⅠ,ⅡとアルトⅠ,Ⅱにバスとソプラノ
中音域中心の編成で歌われる詞は力強く躍動し
新たに「晩課」の一となった第九曲は
祝福のうちに終わる。

Benedicta es,  vIrgo Maria   祝されてあれ、おとめマリア
in saeculorum  saecula      世々にいたるまで。

ルネッサンスからバロックへ
西欧音楽史を画した『聖母のための夕べの祈り』
全曲の終結部は受け継がれてきた「晩課」の次第を踏襲。

聖母讃歌「めでたし、海の星 Ave maris stella 」と
聖母感謝唱「マニフィカト Magnificat」を最後に
薄暮の『祈り』は、夜の静寂へと収斂していく―— 
壮麗な楽曲の伽藍を、猫たちの魂と
残照の海に刻して。

            🍀

共和制ローマがようやく掌中にした海軍力を誇り
地中海をついに「我らの海」と呼ぶにいたったのは
紀元前30年ごろ。

西はジブラルタルから、東はパレスチナまで
エジプトでは至宝アレキサンドリア図書館を臨み
巽風(シロッコ)吹く北アフリカの岸を洗う
神話と伝説の海は、歴史の海。
善きものとその欠如の狭間を右往左往する
ニンゲンたちの土地に周りを囲まれて。

かつて(*)カルタゴの 、いままたガザの
廃墟の彼方には、水の揺籃。
               (*) B.C. 149-146 第三次ポエニ戦争
                丘の上の都市は礎にいたるまで破壊され
                ついには火を放たれて、滅んだ。

海は、一切の感情移入を拒み
風と太陽をたゆたわせる。
自らは語らず、吾子のかなしみに
ただ耳を傾ける母のように。

海よ、母よ ―—

いのちを胎に宿したとき
ひとりの女性は母となり、
いのちを心に抱きしめるとき
だれもが<母なるもの>となる。 

            🍀

春まだき、南仏の二月の海は
ミモザの海であったのに
五月の海辺の小径には
マンネンロウの瑠璃の滴り

マンネンロウ Salvia rosmarinus
癒しの草は、露 ros+海の marinus
ローズマリー、海のしずく。

二千年の昔
生まれたばかりの赤ちゃんと
迫害を逃れて海沿いの道を行くうち
母マリアは疲れ、外套を
路傍の灌木にかけ置いて
しばし体を休ませた。

爽やかに香る丈低い木に咲く
小さな花の白は、爾来
誠実の宝石サファイアの
青紫になったとか。

ねこじゃら荘には
スズランのかわりに
恥ずかしがり屋のナルコユリ。
かたわらには、ローズマリーも
淡い花色に匂って。

五月、
すべての母たちと
<母なるもの>の月
―— マリアの月。

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