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フィンランドのおばあちゃんと毛糸の靴下

夜のお月様が綺麗に冴え渡り、澄み渡る空気から冬のおとづれを感じる今日のこの頃。
あったかいお風呂が幸福なこの季節、同じく私が楽しみにしているのは「毛糸の靴下を履くこと」だ。夏の間、引き出しの中で眠っていたカラフルな毛糸の靴下たちを引っ張り出してきて、優しいあたたかさに幸福感を感じるこの季節を私は愛している。

↓毛糸の靴下は、フィンランドのおばあちゃんが私に贈ってくれた靴下たち。

毛糸の靴下で学校を歩き回るフィンランドの高校生

私が高校時代1年間を過ごしたフィンランドの高校では、校内は土足でうろつくのだが、冬になると、誰もが上履きのように分厚い毛糸の靴下を履いて過ごしていた。

フィンランドの冬は雪がよく降る。雪の日の朝、分厚い毛糸の靴下を履いた状態で、長靴を履いて登校をした学生は、室内に入ると雪が溶けてぐちゃぐちゃに床が濡れてしまうので、長靴を脱いで毛糸の靴下が室内靴になる。

そんな訳で、毛糸の靴下で校内を彷徨くことになるのだが、毛糸の靴下はみんなカラフルで、スキニーパンツの上に履くとまるでカラフルなブーツを履いているように見えて、かわいい。普段はすごくメタル系のブラック調✖️パンクなファッションの男の子も毛糸の靴下を履くと急に可愛くみえてくる。

みんなにその可愛い毛糸の靴下はどこで買ったのかと聞くと、多くが「ムンミが編んでくれた」という。ムンミとはフィンランド語でおばあちゃんという意味だが、どうやらカラフルでかわいい毛糸の靴下はみんなムンミのお手製らしい。もちろん中には器用な子もいて、お昼休みにおもむろに編み物セットを持ち出して、自分の毛糸の靴下や手袋を編み始める。

私のおばあちゃんが編む毛糸の靴下

かくゆう私のフィンランドのおばあちゃん(ホストマザーの方のおばあちゃん)も毛糸の靴下を編んでくれるムンミだった。ムンミは、ホストペアレンツが忙しい日にホストシスターと私のお世話をしにによく遊びにきてくれた。いつも毛糸と作りかけの作品がぎっしり詰まった籠を両手に抱えて家にやってきた。美味しいケーキを焼いている間に編み物やフェルティング、刺繍など色々な手仕事を教えてくれた。

いつもお転婆娘のホストシスターも、ムンミがやってくると途端におとなしくなって、ムンミにベッタリとくっついて一緒にお絵描きをしたり、縫い物をしたりして過ごしていた。私も一緒になって、ムンミから編み物を教わったり、ムンミの最新作の解説(古くなったシーツで作ったお化けのお人形や、くるみで作ったお家とか)を聞いてゆっくり過ごした。

ムンミと過ごした時間はいつもあったかくて、思い出すたびに心にじわっと幸福感が湧いてくる。そんな滋養たっぷりな時間の記憶をくれたムンミ。彼女からもらった毛糸の靴下は、すでに使用歴10年目だがいまだに健在で、毎年ひとが恋しくなる冬の時期に私を癒し続けてくれている。

「毛糸の靴下を贈る」という行為とは。

もちろん中には毛糸の靴下を編めない不器用なムンミもいる。
私のホストファザーの方のおばあちゃんは、自分では編み物ができない人だったけれど、私が日本に帰国するとき、わざわざお友達にお願いしてフィンランド国旗がどど−んと編み込まれた赤い毛糸の靴下をプレゼントしてくれた。この毛糸の靴下も私のお家履きのごとく大活躍して、私の足をあっため続けてくれている。

どうやら、このムンミのくれる毛糸の靴下には、「編む」という行為が目的ではなく、「毛糸の靴下を孫や愛おしい相手に贈る」という行為に何か目的と意味があるらしい。それはちょうど、「あったかくしなさいよ、健康に第一にね」と相手を想いやる気持ちと言葉に変わる何か媒体のようものなのだろうか。

また、フィンランドのように共働きの親が多い社会では、おばあちゃんやおじいちゃんは、孫にとって親がわりのように近しい存在となる。もちろん北欧の手厚い公共のケアシステムがあったとしても、緊急時は特に、近しい家族である祖父母に頼らざるおえないのが現実だ。そんな時に、子どもは親以上に歳の離れた存在である祖父母と過ごし、仕事に忙しい親と過ごす時間とは異なる時の流れや会話を経験する。そんな祖父母がくれた余白の時間は、同じく彼らがくれた「毛糸の靴下」と一緒に記憶に残り続けるはずだ。

勉強に、恋愛に、趣味に、と忙しいティーンエイジャーな高校生が、昼休みに編み物を編んでいたのは、そんなめまぐるしい日々の中にも、束の間の手元に没頭する時間=余白の時間が、編み物をすることでもたらされることを知っていたからじゃないだろうかと思ったりしている。

毛糸の靴下を編んでくれた友人

さて、ムンミからもらった10年ものの毛糸の靴下も、流石に擦り切れ始めている。
ただし私は10年経った今も毛糸の靴下を編めるほど、編み物の腕は上達していない。
ちょっと言い訳をすると、自分が作った料理が美味しくないのと同じで、自分で作った靴下は多分嬉しくないような気がする。

ただ、毛糸の靴下がないと私の足は冷えてしまうので、毛糸の靴下を編んでくれる編み物上手な友人に頼ることにした。友人は、初めての毛糸靴下作りにも関わらず、楽しみながらスイスイと編んでくれた。カラフルで私の足にピッタリのその靴下は、これを書いている今も私の足をあっためてくれている。

この靴下を履くたびに、今は遠くに引っ越してしまった友人のことを思い出して、一緒に遊んだ日を思い出して楽しくなる。そして、いつか彼女とおしゃべりをしながら毛糸の靴下2号を編みたいなと思っている。

そして、いつか私も誰かの靴下を編んであげられるように、今年こそ編み物を始めると心に誓っている(毎年同じ誓いを立ててる気もするけれど。)

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