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「ま」についてのお話 「三種の[ま]」は人間には調整出来ないのだろうか

「ま(間)が悪い」「喋りにま(間)を入れると良い」ということがある。

 落語や漫才でも掛け合いに絶妙のま(間)を入れることで、面白くなる。
邦楽の小唄などは、三味線に合わせて、ま(間)を取るのが難しい。
何度も注意される、判っちゃいるけど間が取れないもの。
無意識にま(間)を取れるようになるのが一番いいのだが。

もう一つ、「ま(魔)が差す」と、いうことがある。

心の隙間を衝いて悪魔が入り込み、考えもしない失態をしでかしたり、咄嗟の判断が狂い大事故を起こしたり、罪を犯したり、普段の自分ではない様な行動をとってしまう。
地位の偉い人かどうか、教養があるかどうか、なんか関係ない。
人間だれしもその危険があることは、誰もが知っている。        けれど、誰もが忘れる。

両方の中間にあるような、「ま(間)が差す」というのもあるそうだ。

 「人生の転換期・状況の過渡期・環境の変化などによって、心にぽっかりと空いた空間(隙間)が広がること」や「心の中にある空間(隙間)が広がって、空虚感(無意味さ・虚しさ)を感じてしまうこと」を意味しているスピリチュアル用語です。と説明されています。

このような、ま(間)が差したところに、偶々「ま(魔)が差す」とえらいことになりそうです。この様なま(間)が差した時を察知出来れば良いが、一般人には察知できません。

「三種のま(間)」は一般の人間には調整できません。

バイオリズムを読める、占いの基本を知っていると、ある程度予測することで調整が可能かも知れないが。完全には無理だと思います。
予測できなくても、この三種のま(間)が存在することを。知っていることでかなり違うと思います。これを知ると、その人間に謙虚さが身につくかも知れません。

天(大自然=宇宙)にお任せするという気持ちも生まれます。

ま(間)が差したとこで、つい自分にとって良い判断をしたと思って、最悪の決断をすることがあるでしょう。人生、大体そんなもののようです。
その様なま(間)のときは、決断実行しないで、準備だけにするとか、勉強しておくとか、の段階にとどめておく方が良さそうです。
ただこれには結構勇気と忍耐がいると思います。
次回は、私自身の生死を分かつ「ま(間)」について書こうと思っています。


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