杉田康一/ポチフクplanning

大自然のバランスを重視 しています。  「never die」の心で、未だ諦めず、新…

杉田康一/ポチフクplanning

大自然のバランスを重視 しています。  「never die」の心で、未だ諦めず、新商品開発で会社の再構築を目指しています。 <趣味>ピアノ 小唄 東洋史観(算命学)<ペット>亀2匹 <他>㈲ポチフクplanning代表(1947年生まれの団塊の世代)

最近の記事

生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅲ

今日は12月8日 80年前に真珠湾攻撃、太平洋戦争が勃発した日 大本営発表を聴いた父は「何でアメリカと、勝てるわけがない」と思った。 次は太平洋戦争、軍艦で南方の島に送られた。 日本の軍隊の計画はいい加減で、予定のトラック島に着いたところ定員オーバーでこんなに沢山の兵隊の面倒は見られないと、父の所属部隊は急遽もっと南のクサエ島(クサイエ)(小学生の時の地球儀には載っていた)に廻された、と聞いている。 潜水艦にもやられずやっとの思いで着いたと思ったら、さらに遠方へ、潜水艦の恐

    • 生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅱ

      俎板のような手術台で麻酔もなく破片を摘出 迫撃砲の至近弾は炸裂後一部が父の右耳下頸部から顎を抜けて喉ちんこ(口蓋垂(こうがいすい))を半分破壊し、舌に切り傷を作って口腔から抜けた。 大きな凹字形破片が頸動脈を囲むように止まった。 破片が数ミリでもずれて、動脈を少しでもかすっていたら即死だった。 奇跡のま(間)としか言いようがない。 野戦病院の俎板のような手術台で麻酔もなく凹字形破片を摘出した。 細かい金属破片は取りきれず顎と頸部の骨や筋肉に筋金として留まることになった。 輸血

      • 生死を分ける「ま(間)」 その刹那(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅰ

        「九死に一生を得る」とか「人間(じんかん)万事塞翁が馬」とはこう云うことか 二度の奇跡の生還と言えそうだ はじめに                                   泥沼戦争のほんの序章に過ぎなかった第二次上海戦の従軍でした。    父は二十一歳、満州、ハルピンと移動した後の最初の戦闘でした。 機関銃隊に所属し、伝令や弾薬運びの途中でした。 近くに着弾した迫撃砲弾の破片を首に受けての重傷です。 被弾した瞬間は、地の底に引き込まれて行くような感覚だったそうです

        • 土木学会×note 投稿コンテスト 「暮らしたい未来のまち」応募作品 風と水と土と太陽と 人間とあらゆる生き物と 自然とバランスをとりながら暮らせるまち そんなまちに暮らしたい

          総合タイトル 風と水と土と太陽と 人間とあらゆる生き物と 自然とバランスをとりながら暮らせるまち そんなまちに暮らしたい構 成(-1)作品に関するおことわり (0)はじめに (1)いつものようにゆっくり目が覚める (2)いつもの朝の様に新聞を開く (3)それじゃ、夢を楽しもう (4)家族はテレビの代わりに「スぺフォ」を持っている (5)新聞を見る リアルすぎる映像だ  (6)飛行自動車は全て位置エネルギーで飛ぶ (7)今の時代に高い建物は無いのだ (8)青々とした海が広がって

        生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅲ

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(4) 社会人なりたて・・・事故の手前はスローモーション、ミクロの魔

           社会人になってすぐに今でも信じられない様な、忘れられない瞬間があった。 英語学校の仲間とディベートの練習と打ち合わせをやろうと云うことで、ICUの施設を借りて合宿したことがある。 私は何かで遅くなったのだろう、夜遅くに一人車で出かけた。 ICUの見える大通り、あれ、行き過ぎたと思い、車線の左側を走っていた私は前方の分離帯でUターンしようとハンドルを右に切って分離帯中央に差し出した。 その瞬間私はブレーキをガツンと踏んだ。 小さなライトバンだったので、咄嗟の時によくぞアク

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(4) 社会人なりたて・・・事故の手前はスローモーション、ミクロの魔

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(3)学生時代・・・危険は思わぬところに潜む

          高校2年のとき、なんだか無性に野球がしたくなり、野球部に入った。 球速には自信があったので、投手を希望した。 まあいいだろうと云うことであったが。 が、ピッチャーは足腰を鍛えなければな、まずランニングだ。 と、言われて広くもない校庭を何周もただ走る。 同級生に、お前ピッチャーやるって言ってたけど走ってばっかりいるな。 何時投げるんだと。 ある日ノック(トスバッティング?)の球ひろいをしていた時であった。 ある打球が校舎の縁の下にあたる部分の四角い空気穴に転がり込んで

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(3)学生時代・・・危険は思わぬところに潜む

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(2)

          少年時代・・・・子供は何をしでかすか判らない 小学2年生か3年生であったろうか。 母の実家のある北陸での夏休みのことだった。 上野から12時間、一人で来ていた。 (同方面に行く人にこの子をお願いしますと、今では考えらえれないことだが) ある日の強い夕立の後のこと。 近くに大川がある。 川水が濁っているときが、魚が良く釣れる、と云うことで、従兄とその友達と二人で私を連れて大川に釣りに行った。 入り江のような形になっている川渕で糸を垂れていた。 本当に大きな鯉らしき魚とウグ

          生死を分ける「ま(間)」 その刹那(瞬間)(2)

          生死を分ける「ま(間)」    その刹那(瞬間)(1)

           どんな人でも、人生の間に生死を左右するその瞬間に出会ったことが何度かあると思う。 振り返ってみると、私にも千分の一秒でも間が悪かったら大怪我をしたか、命を失ったか、障害者になったかの刹那が結構あった。 数えてみたらかなりある、思い出して書いてみよう。 赤ん坊時代・・・・親は大変だ、子育ても親と子の運任せの時代 私の初めての事故らしい怪我、恐らく額のタンコブであろうが、這い這いし出した赤ん坊のころである。 この時の記憶が私の最古の記憶である。 戦後の1947年から1948

          生死を分ける「ま(間)」    その刹那(瞬間)(1)

          「ま」についてのお話 「三種の[ま]」は人間には調整出来ないのだろうか

          「ま(間)が悪い」「喋りにま(間)を入れると良い」ということがある。  落語や漫才でも掛け合いに絶妙のま(間)を入れることで、面白くなる。 邦楽の小唄などは、三味線に合わせて、ま(間)を取るのが難しい。 何度も注意される、判っちゃいるけど間が取れないもの。 無意識にま(間)を取れるようになるのが一番いいのだが。 もう一つ、「ま(魔)が差す」と、いうことがある。 心の隙間を衝いて悪魔が入り込み、考えもしない失態をしでかしたり、咄嗟の判断が狂い大事故を起こしたり、罪を犯した

          「ま」についてのお話 「三種の[ま]」は人間には調整出来ないのだろうか

          女神の前髪 12  人生はスリルと神秘とサスペンス

          このプロジェクト以降、私の人生少しずつですが波乱に富んで行きます。 女神を掴めたと思う刹那、くるりと回って悪魔の面。 また女神の面、貧乏神の面、とくるくる目まぐるしく巡り巡ります。 幸運の女神と不運の女神は表裏一体、コインの表と裏です。 私の人生、退屈や、後悔している暇などありません。 高校一年の時の作文で、「波乱に富んだ人生を送りたい」と書きました。 とうとうその通りなってしまいました。 「波乱万丈、夢と冒険」の人生のつもりで書いたものでした。 ですが、ごく平凡な

          女神の前髪 12  人生はスリルと神秘とサスペンス

          女神の前髪 11 幸運の女神は育てられるか

          本当の幸運の女神を掴まえるには何を身に着ければ良いか。 幸運の女神が逃げずに離れないようにしておくにはどうしたら良いか。 運強さは勿論必要でしょう。 洞察力というか、物の見方捉え方その深さが必要。           選択力と決断力を磨くことも必要でしょう。 あとはセンサーと云うか或る種の感性、第六感を磨くことも必要でしょう。 それらの準備の他に必要なものは何か。                意識しない何気ない日々平凡な日常としての準備も必要でしょう。 準備が無けれ

          女神の前髪 11 幸運の女神は育てられるか

          女神の前髪 10  女神は変転する

           誰でも最初から不運の女神を掴まえようとはしませんよね。 掴まえた後で面がひっくり返って、不運の女神になる事もあるのです。 どんなに良く見える現実や過去であっても、未来の結果は人知では計り知れないものです。 幸運の女神を掴まえたと思った時が幸運の女神、取り逃がした時が後の祭りの不運。 女神の前髪掴んだ、と思ったら、前髪が顔と一緒に外れてなんと貧乏神が現れ、抱き着かれる事もある。 仮装した女神もいるか。 掴まえた女神がくるりと反転し悪魔に成り代わったときが、大凶運。 それでも

          女神の前髪 10  女神は変転する

          女神の前髪 9 他力発想が無かった

          当時の私は視野が狭かったのです。 それでもこの機械メーカーとの人間関係を持続させておくべきでした。 「売ってみませんか」に乗れば、その後の展開が違ったかも知れません。 当時の私は物事の捉え方が弱かったと言えます。 他人や他の組織の力を借りて起業する他力発想が無かった。 作ったような機械は応用が利くので、私にとっては有望な市場でした。 私の同業分野の市場と得意先の分野の市場の両方に売れるものでした。 その機械メーカーは当時私が知っている市場を持っていなかったと今わかり

          女神の前髪 9 他力発想が無かった

          女神の前髪 8 通り過ぎた瞬間

          私にそんな力はありませんよ。 今の仕事で精いっぱいです。 私はその場で簡単にそれも軽く断ってしまいました。 幸運の女神が微笑んで、「あっ、そう!と言って通り過ぎた」瞬間だった。かも知れません。 あの工場長のもう一つの目的がこれ。 「機械を売ってみませんか」だったのかも知れません。 もう数年後であれば、冗談で出た言葉であってもそれに乗じたと思います。 私が社長になっていたら考えたかもしれません。 その時の私は現業の延長線までにしか関心がありませんでした。 入社2年目で数

          女神の前髪 8 通り過ぎた瞬間

          女神の前髪 7 「機械を売ってみませんか」

          自動機械メーカーの工場長が、遠路はるばる私に会いに来ました。 東海地方の浜松から北関東の奥の工場まで、よく来てくれました。 納期遅れの謝罪と挨拶のためにです。 この会社に機械をお願いしたのはその時が初めてではありませんでした。 私の入社より十年近くも前から、ある工程を自動化する計画がありました。 機械メーカー数社が挑戦しましたが、どの会社も失敗した曰く付きのものでした。入社した私の最初のミッションともいえるものがこの機械製作の解決でした。 下町をほっつき歩いていて、

          女神の前髪 7 「機械を売ってみませんか」

          郵便ポストに思う

                                     2009年8月記 赤い制服を着たおまわりさん。 これが幼い頃の私が持っていた、町の郵便ポストの印象だ。 何時頃から現在のポストに取って代わって来たのだろうか。 写真に撮っておかなかったのが悔やまれる。 昔、おまわりさん、電車の車掌さん、そして郵便屋さんが、子供にとって、制服を着た、童話や童謡、お話しに出てくる尊敬すべき職業の代表だった。 先の郵政民営化選挙、私は最初から民営化には反対だった。 民営と言ってもどこが民