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私のこと深掘りしてみた。(毎日note2日目)

皆様こんばんは。つなです。

この書き出しの挨拶とかも面白いのを考えた方がいいんですかね・・・

毎日note2日目は、私について深掘りしてお話ししてみようと思います。

①生まれてから小学生時代の話

1994年、平成6年に生まれました。今年で29歳、20代最後の年齢になります。
東北生まれ東北育ち。親の転勤で何度か引っ越しをしましたが、東北にしか暮らしたことのない、生粋の東北民です。
とは言っても小さい頃に1回、小学生の時に1回、そして両親が家を購入した時に1回の3回しかないです笑
転校に至っては1回しかしてません。

小学生の高学年の頃、母親と一緒に受けた漢検で、なぜか私は漢字の能力に目覚めてしまいました。
学校の漢字のテストは満点を連発し、クラスの中で「漢字博士」という異名で呼ばれるほどでした。
ちなみに漢検は準2級までしか持ってません。
それ以外は、ごくごく普通の小学生生活を過ごし、無事地元の中学校に進学します。

②中学時代の話

「日本人なんだから英語なんて必要ない!」と騒いでいた私。
そんな私が、中学に進学すると英語の能力が覚醒し、定期テストでは高得点連発。
嫌いだった英語が、いつの間にか私の武器となりました。
ちなみに英検は2級、TOEICは600点台でした。意外と普通ですね。(昔とった杵柄)
それ以外は、ごくごく普通の中学生生活を過ごし、高校受験を突破し、晴れて「花のJK」生活が始まります。

ちなみに、部活は吹奏楽部に所属していました。
通っていた小学校にもブラスバンド部があったのでそこに入ればよかったものの、「朝練に行くのが嫌だから」という理由で入らず、中学から吹奏楽を始めました←
吹奏楽部に入部するをくれた同級生の女の子がいたのですが、その子と同じ中学に進学できるかと思いきや転校してしまい、バラバラの中学校に進学したのでした・・・

③高校生時代の話

英語だけが突出して成績が良く、反対に数学は赤点連発という、超文系脳の私。
そんな私ですが、地元でもそこそこな(自称)進学校に進学。
話は少し遡りますが、私は中学生の頃教師になることを志していました。
そのため、大学進学により有利なところ・・・ということで、当時通っていた塾の先生の薦めもありその高校を受験し無事合格。
正直、自分には手が届かない学校だと思っていたので、合格発表の時はもちろん泣きましたね。
高校の合格発表の時の話は、おいおいしたいなーと思っています。

前述のように、私は中学生の時に吹奏楽部に所属していました。
進学した高校でもそのまま吹奏楽部に入部。
ところが、高校2年の時から顧問との衝突が始まってしまい、結局和解することなくそのまま卒業を迎えてしまいました。
当時の顧問とは未だに音信不通。今何をやっているかすら知りません。
「教師を志していた」と過去形になったのは、この顧問との衝突がきっかけです。
この辺りの話も、そのうちしたいと思います。

ちなみにですが、前述した「吹奏楽部に入るきっかけをくれた同級生」と、偶然進学した高校が一緒となり、晴れて高校で同じ部活になることができましたとさ。

④大学時代の話

進学校に進んでしまったが故に、言わずもがな大学へ進学した私。
教師になるとまだ志していたらいいものの、大学に入った頃の私は将来の夢など皆無でした。
まあ大抵の大学生はそんなもんだったんだろうなと思いたいです。

大学4年間は無の期間だったなあと今になって思います。
普通に授業を受けて、普通にバイトをして、普通にサークルに入って・・・
あまりにも普通すぎて、正直何もインパクトがない4年間だったと痛感しています。

ありがたいことに、短期ではありますが2回海外留学(オーストラリアとアメリカ)をしました。
ですがその留学も何も学んだことがなく、無駄にお金を払わせてしまったなと親に申し訳なく思っています。

好きな英語でサークル活動ができる!ということでE.S.S(英語部)に入ったのですが、蓋を開けてみたら飲みサーでした。
おかげてお酒は割と飲めるようになったのですが、もっと身になるサークルに入ればよかったと、こちらも後悔。

⑤就職してからの話

私の就職活動は、卒業する1週間前まで続きました。
今考えてみるとろくな軸もなく、ただ「家から通える場所がいい」というだけで就職活動をしていたように思います。
その一方で、旅行会社に勤めることも密かな夢でした。
有名どこは軒並み受けたのですが、ちゃんとした軸を持っていなかったためことごとく全滅。

それでも、最終的には「自宅から通いたい」という点と「旅行会社に勤めたい」という点の両方を叶えてくれた求人と出会い、そこで社会人生活を始めました。
親戚が勤める会社でその頃欠員が出て、そこにご縁があり入社することになりました。

ただ、正社員ではなく契約社員としての入社でした。
最初はそれで良いと思って働き始めたのですが、いざ周りを見渡すとみんなちゃんと正社員で働いていて、契約社員として社会人生活を始めたことに引け目を感じることが増えてきました。
だからと言って私は何をすることもなく、契約社員のまま3年が過ぎていました。

社会人4年目に差し掛かろうとした頃、コロナウイルスの感染拡大が始まりました。
私が勤めていた会社も、もちろん大きな影響を受け業績が悪化。
契約社員だった私は人員削減の対象となり、4年目の終わりに契約満了のため退職しました。

社会人5年目のはずだった1年間は、半分以上をフリーターとして過ごしながら就職活動をしていました。
一昨年11月、無事なんとか次の仕事を見つけ社会人5年目を遅れて始めることに。
その派遣先でも就業2年目を迎え、いつの間にか昨日から社会人歴も7年目に突入していました。

⑥終わりに

ということで、今日は私の半生について軽く深掘り(矛盾)してみました。
この投稿を元に、さらに深掘りして毎日noteを続けていけるようになりたいなと思います。

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ここまで読んでいただきありがとうございました。

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