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形而上学的プードル

トイ・プードルの飼われ方が好きではなくて。

そりゃあもう、立派に飼ってる方がたくさんいるんでしょうけど、これはそう、もっと、形而上学的な話なんです。

そもそも私は昔からイヌというものに対面すると、居た堪れなさを感じます。動物は大抵好きですから、もちろんイヌのことも好きですし、可愛いとも思います。近くにやってきて人懐こくされたらデレデレとだらしなく笑いながら撫でてしまいます。
でも同時に≪なんかすまんね≫と思ってしまうのです。
動物というのは圧倒的に尊敬すべき存在で、一級品の芸術作品であり、私のような下賎の民が気軽に接して良いものではありません。
愛玩動物はそんな下賤の民にも優しくしてくれる、心的余裕のある貴族みたいなものです。我々は撫でさせていただいている、可愛がらせていただいている、構っていただいているのです。
ネコはそれはもう、貴族然とした佇まいです。
それから鳥。ネコとは別に、鳥はもはや思考パターンがヒトと違いすぎるので、エキセントリックな同居人という印象です。
ですがイヌの立ち振る舞いというのはヒトに近く、まっすぐで、あなたを信頼していますよと訴えかけているようではないですか。

イヌの、飼い主とイヌという絶対的な関係。

愛らしいお洋服を着せられ、いかにも大切に、お金をかけ、ヒトの家族として育てられたイヌの代表、トイ・プードル。

夕方になると近所の稲荷神社を祀っている公園に、奥様方とそのトイ・プードルが集まってくる。みな、可愛い。悲しいプードルも嬉しいプードルも、みな、今日も可愛い。

最近、恐竜の本を読んでいます。それまで地味だった恐竜は、三畳紀の大規模な気候変動によるリンコサウルス類の激減を受けて、その空白になったニッチを埋めることで繁栄したというのです。

たとえば、人間がその数を減らし、トイ・プードルが世界を牛耳る時が来るでしょうか。生態系ピラミッドのほとんどをトイ・プードルが占め、世界は巻き毛で覆われる。大型トイ・プードルの群れが土煙を上げながら荒野を闊歩する。ヒト属は中型食肉トイ・プードルに怯えながら暮らしている。

そのとききっと私はトイ・プードルのことがとても好きだろうなと思いながら、中型食肉トイ・プードルに阿鼻叫喚する奥様方を想像しては、夕日で燃やし、今日も公園の集会を通り過ぎるのでした。

もし気に入ってくださって、気が向いたら、活動の糧になりますのでよろしくお願いします。